玄関ホールで残留思念を読み取った後、私はその場で倒れたらしい。夜には熱が上がりだし、その後三日間昏睡状態が続いたそうだ。
私が目を覚ました時に見たカイルは、三日間片時も離れず傍に居てくれていたらしく、顔は酷くやつれていて青白くなり、このまま後一日でも私が目覚めるのが遅かったら彼は本当に死んでしまったんじゃないかと思うくらい弱っていた。
そのせいで今度は彼が寝込んでしまった。
彼が永劫にも等しい時を生きてきて初めての事だったらしく、神殿中が大騒ぎに。 王族の方々が見舞いに訪れたり、まだ来訪していなかった“前世持ち”の神官達まで慌てて戻って、その中にはまだ幼年期なのも構わずに帰って来た者もいた。
別の神子達も『何か手伝える事はないか』と駆けつけて来てくれたりまでした。その中にあの“ライサ”も混じっていて複雑な気分になったが、彼女はとても私に優しく接してくれて気味が悪い程だった。彼女の兄だと言う双子の“ライジャ”だけは私達にもの言いたげにしていたが、彼女に窘められて黙っていてくれた。
私に出来る事は何も無いまま、あれから一週間がすぎた。 その間、傍に付きっきりだった私は『このままでは、また貴女様が倒れてしまう』と周囲からとても心配され、気分転換をする様にと庭に追い出され—— 今此処に居る。
「大丈夫かな…… 」
気分を変えろと部屋から追い出されても、カイルの事が心配で綺麗な花も目に入らない。周囲は新緑の木々に溢れ、庭師達が丁寧に手入れした綺麗な花々が咲き誇っているというのに、ただただベンチに膝を抱えて座ったままでいる。景色を楽しむ余裕を持てない事が本当に残念だ。
「“前の私”が死んだ時は、カイルはどう乗り切ったんだろう?“今の私”が倒れた位でここまで弱ってたんじゃ、もっと酷かったんじゃないの?…… だって、死んじゃったんだよ?」
誰に聞かせるでも無く、呟いた。
「…… あんなに、愛してくれていたのに」
倒れる前に見た残留思念は、今までの中で一番強烈な記憶だった。その前までは何処か他人事で、VRを使って誰かの物語を楽しんでいるくらいな感覚に近かったのに、玄関ホールでの出来事はハッキリと『私の記憶だ』と思えた。『思い出した』という感覚に近いかもしれない。他の記憶は、相変わらずなのに。
…… 怖かった。
ライサに殺されるかもという恐怖より、『私の恋心も、いつか飽きたら、不用品みたいに砕くの?』と感じた彼女の怯えと悲しみの深さが、痛いくらい胸に刺さった。今でも、その棘がこの体の胸にまで残っている感じがする。
もう、“猫のイレイラ”と“今の自分”の、気持ちの境界線が曖昧だ。蒼白の顔で寝込むカイルを見ている時に『好きな人の傍から離れては駄目だ』と思ったのが、“自分”なのか“彼女”なのかもわからない。
(私はカイルが好きなの?でも、彼を好きなのは“猫だった頃の私”だよね?——じゃぁ、今の私は…… ?)
一緒に積み重ねて来た時間が私達には無いせいか、カイルに感じる想いに当てはまる、納得のいく言葉が見付からない。恋心を募らせる事が出来る程私達にはまだ思い出が無いのに、感情は記憶に引っ張られ、心が『彼を好きだ』と訴えている。
(でも訴えているのは“彼女”であって、“私”では無いんだよね?)
「ダメだ…… わかんない」
整理出来ない頭の中から意識を逸らそうと、私は軽く首を振った。考えがぐるぐる回ってしまってとうとう頭痛までしてきた。
「——お花は、楽しめていますか?」
思考の海に沈んでいた私に、誰かが声を掛けてきた。顔をあげて声のする方を見ると、神官服を着ているセナさんが微笑みながら立っていた。
「その様子では、逆効果だったみたいですね」
困り顔で言われ、申し訳ない気持ちに。
「…… すみません」
小声で答えると、私は項垂れて息を吐いた。
「…… セナさんは、どうして此処に?カイルの側に居なくてもいいんですか?」
「えぇ、大丈夫です。今さっき目を覚まされたので、その事をお伝えしに来ました。伝達役の者がイレイラ様と同じくらい落ち込んでいて使い物にならなかったのでね。今回の件で帰還した別の神官が今は側に仕えていますので、心配いりませんよ」
「カイルが、起きた?——じゃあ、すぐに行きます!」
私は慌てて立ち上がり、神殿の方へ体を向ける。だが、一歩前に足が出た時、腕をセナさんに掴まれ引き戻されてしまった。
「どうしたんですか?早く戻らないと!」
振り返り、声を荒げる。
「今急いで行っても、入浴中でお会いできませんよ?裸姿を覗きたいのでしたら止めませんが」
悪戯っ子みたいな顔をされてビックリした。彼の発言内容にも。『風呂場を覗く』事を少しだけ想像して、私は言葉が詰まった。
「それよりも、今は私と少しお話をしませんか?色々お悩みのようですからね」
少し首を傾げてセナさんが提案してくれた。彼が浮かべる優しい笑顔に、少しも似てないのに不思議と母の面影が重なる。そして、父も…… 。保護者の様な彼の笑みが、じわりと心に沁みた。
「まさか、見ただけでわかるくらい、顔に出てます?」
「はい。ハッキリと。解決出来るかはわかりませんが、誰かに話す事でまとまる考えもあるかと思いますよ?」
確かに、その通りかもしれない。彼は長年カイルの神官を勤めていると言っていたし、その視点から見えてくる事も多そうだ。
私は納得して再びベンチに腰掛けると、すぐ隣にセナさんも座った。
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