放課後の相談室は、今日は妙に暑かった。ドアを開けて入ってきたのは、眼鏡をかけた男子。手には分厚い問題集が抱えられている。
「……あの、ここ、相談できるんだよね」
「うん、座れよ」
遥は机の端に腰をかけたまま、ペンを指先で回している。
男子は椅子に腰を下ろし、問題集を机に置いた。
「俺さ……ずっと勉強ばっかやらされてるんだ」
「やらされてる?」
「うん。親が”東大じゃないと意味ない”とか言ってさ。毎日、塾と家庭教師で埋まってる。スマホも時間決められてて……」
男子は苦笑いを浮かべた。
「友達のLINEグループも置いてかれてる。今、みんな何の話してんのか、全然わかんない」
遥は少し目を細めた。
「それ、つらくね」
「つらい。でも、やめたら裏切りになる。俺、弟もいて……”お前が道を作れ”って言われてんだ」
男子は口をつぐんだあと、小さくつぶやいた。
「でも、本当は……勉強、そんなに好きじゃないんだ」
「だろうな」
「遥は、親に言われたりしないの?」
遥は首をかしげて笑った。
「俺? 親に言われるっていうか……殴られる」
男子は言葉を失い、目を見開いた。
遥はあっけらかんとした顔で続けた。
「勉強しろとかじゃなくてさ。呼吸してるだけでうざいって言われる」
「……それ、笑えないだろ」
「笑えないけど、笑うしかないだろ」
相談室の空気が一瞬沈黙に包まれた。
遥はペンを机に置き、男子の目をまっすぐに見た。
「なあ、やらされるのって、マジできついよ。俺も、毎日そうだからわかる」
男子は唇を噛んだ。
「でもさ」遥は言った。
「勉強が嫌いなら、それはそれでいいと思う。嫌いなのにやり続けてるのって、逆にすげえよ」
男子は一瞬、きょとんとした顔をした。
「すごい……の?」
「だってそうだろ。俺ならもう投げてる。なのにお前は投げてない。嫌いなもん抱えてるのって、めっちゃ強い証拠だよ」
男子はうつむいたまま、少しだけ口元を緩めた。
「強い……か」
「うん。だからさ、投げてもいいし、続けてもいい。ただ……お前の選択ってことにしろ。親のじゃなくて」
男子はしばらく黙っていた。
窓の外から運動部の掛け声が響く。
「……俺の選択、か」
「そう。出した答えが何でも、それで負けじゃねえ」
男子は大きく息を吐き、問題集を抱えて立ち上がった。
「ありがと。ちょっと、楽になった」
「よかったな」
ドアが閉まったあと、遥は小さく笑った。
――強いのは本当だよ。俺は嫌いなもん、抱えきれなくてもうボロボロだから。