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#和風ファンタジー
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鏡の壁の迷路。
ここは俺の過去から現在までを映してきた場所だ。
楽しかった時や些細な出来事を、俺の視点で映してきたが、見たくないモノもあった。
見たくないモノが映しだされたら、俺は他の道を選んだ。それでもまた見たくないモノを映し出されると、違う道を選んで歩いた。
道に迷って、出口が見つからないと思ったこともあった。
だが出口となる扉は、俺が刈り取る魂の持ち主を見つけると現れた。
今の俺は、紗羅を助ける未来のために歩いている。
それは紗羅の周囲で起きていたことを、俺が見た範囲で、紗羅の未来を脅かすモノを見つければいい。
俺が見逃したモノも、この鏡の壁はきっと映し出すはずだ。
俺は注意深く、鏡に映ったモノを見ていく。
父さんと一緒にパン生地を捏ねる紗羅。
店に来た客と笑って話す紗羅。
なんてことない日常が映しだされる映像に、紗羅に何かあるように思えなかった。
この映像は何もないな。じゃあ、こっちは……
迷路を迷いながらも進んでいくが、映る映像に異変はない。
少し歩き疲れた俺が立ち止まって、ぼーっとしながら映像を見た。
昼ごはんを買いに来たと笑う紗羅の婚約者——逗子孝光さんに、工房から出てきて嬉しそうな顔で話す紗羅の光景。
——あ、この映像はバイトの子が休みの日で、接客の母さんが買い物に行くからと、俺に店番させた時だったな。
確か、あの時……
俺が思い出していると、映像に紗羅の親友——糸原れみさんが映った。
「こんにちはー! あら?逗子さん、来ていたの?」
れみさんは逗子さんにそう言ってから、俺を見る。
「樹くんは、今日はお手伝い?」
美人のれみさんは、色っぽく微笑む。
「あ、母が……出かけているから」
俺は少し緊張して、声が上擦っていた。
——これ、改めて見るのは、ちょっと恥ずかしすぎる。
俺は口に手を当て、顔を赤らめながら映像を見つめた。
紗羅がれみさんに、今日のおすすめのパンを説明している映像が流れる。
「へぇー美味しそうだな。俺、これを買おうかな」
逗子さんがトングでパンを掴むと、れみさんが逗子さんの真横にぴったりとくっついた。
「私の分も、取って」
れみさんが逗子さんに微笑むと、逗子さんが
「いいよ」
と言って微笑んでいた。
横に並んでいる二人の顔は、お互いの顔が今にもくっついてしまいそうなぐらいの距離。
この光景を見た当時の俺は、二人の距離がすごく近いなと思った。
れみさんは保険会社勤務で、逗子さんは保険契約している顧客だった。
年齢も近い逗子さんと意気投合したれみさんは、紗羅に逗子さんを紹介した。
れみさんと逗子さんは元々の知り合いだから、距離も近いように見えるのかなと思っていた。
——それにしても……今見ても、やっぱり距離が近いよな。
俺がそう思っても、映像の中の紗羅が気にしてないなら、やはり俺の考え過ぎかと思った。
また歩き出すと、次から次に映し出される映像の中に、一人の男が何度も映っていることに気づく。
俺の視点は、その男を視界の端に入れているが、全く意識してなかった。
だが、次の映像——
「ありがとうございました」
と笑顔を向ける紗羅と、パンを購入する男の後ろ姿。
それを見て、俺は思い出した。
確かあれは……
俺は大学の講義が早く終わり、バイトまでの時間があったから一旦家に帰った。
先に店の方に寄った時、パンを購入した男に紗羅が接客していた。
男は紗羅からパンの入った袋を受け取り、
「ありがとう」
と言って店を出ようとした。
その時、俺と一瞬目があって、俺に会釈してきたので驚いた。
紗羅に誰なのかと聞くと、最近よく買いに来る客だと言っていた。
俺は面識はないが、俺がここの息子だと知っていたのかもと、当時の俺は思った。
だが違う。今、この映像を見て、俺は初めて知る。
男は、俺が何度も視界の端に入れていた人物だ。
数日後の俺の視点、映像が鏡の壁に映し出される。
大学の講義が終わった俺は、バイトに向かう予定だった。
バイトに行くまで少し時間はあったので、小腹が減った時のために店のパンを少し持っていこうと、家に向かっていた。
そう、映像の通りで、俺が店の前まで行くと、あの男がいたんだ。
男は、外から店を見ている。
あの時の俺は、男が店に入ろうとしているのかと思ったが、男は店に入らずに去っていく姿を見ていた。
男を何度も見かけていたことに気付いてなかった、あの時の俺。
男がパンを買うのをやめたのだろうと、深くは考えないまま、俺は店に入っていったんだ。
店の中に、紗羅とれみさんだけがいる映像。
「結婚祝いだからね」
と言ったれみさんは、紗羅に長封筒を渡していた。
「いいプランを用意してくれてありがとう」
と笑っている紗羅に、俺は間を割って入って言ったんだ。
「最近よく来る男のお客さん、さっき店に入らず帰ったよ」
「え? そうなの?」
「二人で喋ってたから、入りにくかったのかもしれないよ」
俺が笑いながら言うと、れみさんが真剣な顔になっていた。
「その人、どんな人?」
「え?」
俺が驚いた声を出すと、紗羅が
「れみも見たことあるよ」
と言って、れみさんに話しだした。
男に何の疑いも持ってなかった俺は、二人の会話を聞くことなく、いくつかのパンを選んでいた。
まだ紗羅とれみさんが話している最中に、俺はさっさとパンを袋に入れて店を出た。
映像は、店を出た俺を追いかけて来たれみさんの顔を、「樹くん、待って!」という声と共に映す
「どうしたんですか?」
と俺の声と共に映る、息を切らしたれみさんの顔。
——俺、この時も思ってたけど、やっぱり今見ても、綺麗な人は息をきらしても美しいんだな……
れみさんの顔に少し見惚れながら、映像を見ていたのだが──
映像の中のれみさんの表情が、一転する。
「樹くんが見た人なんだけど……」
と言い淀むれみさんの顔は、眉を寄せて嫌そうな顔に変わっていた。
れみさんは低い声で言う。
「おそらく紗羅のストーカーよ」
「え?」
れみさんが店の方を向いて
「紗羅はいつもよく来るお客さんって言ってたけど、あの人……板垣さんは、やばい人なの」
と言った。
「え?どういうことですか?」
「あの人、私の会社の本社の人で、本社からここは遠いの。それなのにあの人が、毎日通うっておかしい」
「でも……それは自宅がこっちってだけでは……」
「そうかもしれないけど、板垣さんは本社で何をしているかわからない、窓際の人とも言われてるから……」
俺の顔を真っ直ぐに見つめる、れみさんは
「あの人のことで、何かわかったら私に連絡して」
と言った。
この時の俺は、自分の視界の端で板垣という男を見ていたことを、全く認識していない。
だから俺はれみさんが板垣に対して大袈裟に考えていると、そんな風に軽く思っていた。
その後の俺は、芽里のことで頭がいっぱいになっていた。
そのせいで、れみさんの言ったことは俺の頭からすっかり抜け落ちていたんだ。
もしかして……れみさんの言ってたことは、本当だったのでは?
俺は鏡の壁に映し出された数々の映像を、思い出してみた。
数々の映像の中に、必ずと言っていいほど板垣が映っている。
そしてそれは、常に紗羅だけを見つめている板垣が、映し出されていく。
俺は全く気づかなかったが、紗羅とよく会っているれみさんが気づくのは、当然だったのでは?
本当にストーカーで、もしかして事故も……?
いやいや、それは憶測すぎる。
事実は、板垣が常に紗羅の周辺で、姿を現している。
れみさんの言った事は主観的ではあるが、客観的な事実に基づいているのでは……?
理系の俺は仮説から、ロジックを立てて考えていた。
だが俺は、忘れていたんだ。
鏡の映像が俺の視点だということを……。
それを忘れたまま、俺は鏡の映像の検分だけで、自分が立てたロジックは立証されたと思ってしまった。
実際は憶測の仮説検証でしかなく、ロジックそのものが破綻している。
そのことに俺は、全く気づいてなかった。