放課後の旧準備室は、薄暗い。窓は半分だけ開いていて、外から吹き込む風が紙の端を小さく揺らしていた。部屋の奥の机には、一人の男子生徒が座っている。遥――この学校の一部の生徒のあいだで“相談に乗ってくれるらしい”と噂される高校二年だ。
彼は机に肘をつかず、背もたれにも寄りかからず、ただ静かに座っている。誰かを待つ、という様子もなく、ただそこに“いる”。
そこへ、戸口の影が揺れた。
「……あの」
小さな声。遥は顔だけをわずかに向けた。
「入りなよ」
その一言は、歓迎でも拒絶でもなかった。ただ事実を述べただけのような、乾いた落ち着きがあった。
生徒はおそるおそる部屋に入り、椅子に腰を下ろす。落ち着かない視線が机の上を泳ぐ。
「……相談、してもいいですか」
「話したいなら。無理に吐き出す必要はない」
その言い方に、焦らされていた気持ちが少しほどけたのか、生徒は息を吸い、言葉を落とした。
「……休み時間が、いちばんつらいんです」
遥は頷かない。相槌も打たない。ただ“続けて”と静かに空気で示す。
「みんな集まって話してて……自分は、どこにいればいいか分からなくなって。席に座ってるだけでも“浮いてる”って思われてる気がして……」
言葉が詰まった。視線が沈む。
遥は目をそらさず、しかし決して深く覗き込むこともせず、一定の距離を保ったまま言った。
「教室って、誰が命令したわけでもないのに、勝手に“役割みたいなの”が出来るからな。群れるやつ、黙ってるやつ、中心にいたがるやつ。……おまえは、そのどれでもないってだけだよ」
生徒は、意外そうに顔を上げた。
「……それって、悪いことなんですか」
「悪いなら、学校はとっくに全員同じ人間で埋まってるだろ」
淡々と言う。ふざけてもいないのに、少し救われるような調子だった。
生徒の肩がわずかに落ちる。
「……休み時間って、自由な時間じゃないですか。でも、自由って……しんどいんですね」
「自由は“自分で選ぶ”ってことだからな。逃げ場がないと、しんどくなる」
遥は一度目線を机に落とし、また生徒へ向き直った。
「おまえ、たぶん周りが思ってるより、よく人を見てる。だから疲れる」
生徒の喉がかすかに動く。
「……そんなこと、誰にも言われたことないです」
「普通は言わないよ。気づいたところで、誰も説明できないから」
沈黙が落ちる。だが痛い沈黙ではなかった。
生徒は指先を押し合わせながら、小さく問う。
「……どうしたら、休み時間が怖くなくなりますか」
遥は少しだけ椅子を引き、姿勢を正した。ほんの数センチ動いただけなのに、空気が変わった。
「まず、“どこにいればいいか”を決めろ」
「……決める?」
「毎回、考えるからしんどいんだよ。“迷い”は体力を使う。廊下側の窓でも、黒板の横でも、どこでもいい。“自分の居場所だ”って一回決めたら、そこにいるだけでいい」
生徒はその言葉をじっと飲み込んだ。
「……そんなことで、変わるんですか」
「変わる。人間は“選択が少ない”ほうが動きやすいから」
遥は続ける。
「あと……声をかける相手は、一人だけでいい。毎日じゃなくていい。“今日、誰か一人に話しかけられたらよし”くらいでちょうどいい」
「輪に入らなくても……?」
「入らなくていい。入る必要のほうが珍しい」
生徒はわずかに笑った。涙に濡れたような、弱い笑みだったが、確かにそこにあった。
「……なんか……楽になりました」
「なら、来た意味はあったな」
生徒は立ち上がった。来たときより背が伸びたようにさえ見える。
「また……来てもいいですか」
「おまえが話したいなら。俺はここにいるだけだから」
その無愛想とも取れる言い方に、逆に安心があった。
生徒が扉を閉めると、部屋には再び静寂が満ちた。
遥は一人残されて、小さく吐息を落とした。
「……休み時間がつらいのは、あいつだけじゃないだろ」
誰に言うでもなくつぶやき、窓の外へ視線をやった。
夕の光が資料室の埃を照らし、静かに渦を描いていた。
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