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第3話 未来駅弁
未来駅の弁当売り場は、旅の匂いがした。
焼いた米。
蒸した野菜。
冷たい果物。
温かい汁。
海の近くから来たような魚の香り。
それらが、透明な棚の中で並んでいた。
磁馬は棚の前で立ち止まった。
大きな駅だった。
天井は高く、列車の発着音はやわらかい。
人の流れは速いのに、足音はあまり響かない。
床には行き先ごとの光の線が走っている。
その中で、駅弁売り場だけが、
昔の売店みたいに少しにぎやかだった。
「いらっしゃいませ」
少年の声がした。
黄緑の短い上着。
腰の注文端末。
跳ねた前髪。
少年は、磁馬の前に並ぶ弁当を順に指した。
「こちらは立体景色弁当。開けると目的地の風景が小さく出ます。こちらは温度記憶弁当。食べる場所の気温に合わせて味が変わります。こちらは昔風幕の内再現型です」
磁馬は目を細めた。
「駅弁、すごいな」
少年は少し笑った。
「旅の最初は弁当ですから」
「名前は?」
「セナです」
「磁馬」
「じば?」
「うん」
「覚えやすいです」
セナは棚から一つ取り出した。
「初めてなら、これがおすすめです。未来駅名物、時刻表弁当」
「時刻表?」
「食べる順番で、駅の一日が変わって見えるんです」
磁馬はすぐに小銭袋を出しかけた。
そして、手を止めた。
鞄を開ける。
未来駅用の小銭袋を出す。
使う。
すぐ戻す。
落とさないように。
一つ。
二つ。
三つ。
磁馬は支払いを済ませた。
セナは包みを渡した。
「飲食席は向こうです。歩きながら食べるなら、通路の端でお願いします」
「描きながら食べる」
セナは少し止まった。
「描きながら?」
「うん」
「こぼさないでくださいね」
「気をつける」
「その言い方、少し心配です」
磁馬は弁当を両手で持ち、駅の端へ歩いた。
広い窓のそばに、立って食べられる細い台があった。
その向こうでは、未来列車が静かに入ってきている。
磁馬は台に弁当を置き、スケッチ帳を開いた。
まず、弁当の包みを描く。
角。
結び目。
小さな駅名の印。
持った時の重さ。
それから、ゆっくりふたを開ける。
中には、いくつもの小さな区画があった。
米。
魚。
野菜。
小さな卵焼きに似たもの。
透明な器に入った汁。
見たことのない果物。
磁馬はしばらく見た。
「いいなあ」
湯気が細く立った。
その湯気の中に、駅の朝の姿が浮かんだ気がした。
まだ人が少ないホーム。
開店準備をする売店。
最初の列車。
磁馬はペンを動かした。
弁当の湯気。
駅の窓。
列車の先頭。
箸を持つ自分の手。
一口食べる。
米は温かい。
少し甘い。
あとから香ばしさが来る。
「うまい」
隣から声がした。
「それ、時刻表弁当?」
磁馬が顔を上げると、茶色の帽子をかぶった少女が立っていた。
ベージュの小さな鞄を肩にかけている。
手には空になった弁当の包み紙を大事そうに持っていた。
「うん」
「朝の味から食べた?」
「たぶん」
「順番間違えると、昼が先に来るよ」
磁馬は弁当を見た。
「それもいい」
少女は目を丸くした。
「変な人」
「よく言われる」
「私はユラ」
「磁馬」
「じば?」
「うん」
ユラは磁馬のスケッチ帳をのぞいた。
「食べながら描いてる」
「うん」
「冷めない?」
「少し冷める」
「いいの?」
「冷めるところも描く」
ユラはしばらく考えてから、隣の台に自分の包み紙を置いた。
「私、包み紙集めてるの」
「いい趣味だ」
「でしょ」
ユラは得意げに笑った。
磁馬は次の区画を食べた。
魚だった。
でも、食べた瞬間、遠い海の駅のような匂いがした。
波の音はしない。
けれど、駅の床が少し濡れている感じがした。
磁馬はまた描いた。
弁当の中の魚。
窓の外を通る列車。
海の見えない未来駅。
それでも弁当の中に入っている海。
ユラは横で見ていた。
「絵、動く?」
「たぶん」
「見ていい?」
「うん」
紙の中で、弁当の湯気が少し動いた。
湯気の奥に、朝のホーム。
次に昼の売店。
次に夕方の乗り換え口。
ユラは息をのんだ。
「本当に時刻表みたい」
磁馬は首をかしげた。
「弁当がそうだから」
「弁当だけじゃないと思う」
その時、駅の案内音が鳴った。
ユラが顔を上げる。
「あ、次の列車」
「乗るの?」
「まだ。お母さんが切符を直してる」
「直す?」
「行き先を変えるの。寄り道するんだって」
磁馬は少し笑った。
「寄り道はいい」
「磁馬さんも?」
「うん。今日は駅弁の寄り道」
ユラは弁当売り場を見た。
「一個だけ?」
磁馬は弁当を見た。
まだ半分残っている。
「一個のつもり」
ユラは棚を指した。
「あっちの星見弁当もおいしいよ」
磁馬の手が止まった。
「星見弁当」
「夜の駅で食べると、味が変わる」
「今は昼?」
「駅の中では昼。でも弁当の中は夜になる」
磁馬は少し考えた。
腹はまだ入る。
たぶん。
時刻表弁当を食べ終えると、磁馬は包み紙を丁寧にたたんだ。
「それ、くれる?」
ユラが聞いた。
磁馬は包み紙を見た。
使った後のものは、買った時代で捨てる。
けれど、ユラがこの時代で集めるなら、
この時代に残る。
「大事にする?」
「する」
「じゃあ」
ユラは包み紙を受け取って、鞄に入れた。
「ありがとう」
磁馬はスケッチ帳を閉じようとして、
ふと鞄に触れた。
未来駅用の小銭袋。
ある。
ペンケース。
ある。
スケッチ帳。
今、持っている。
訳機。
ある。
一つ。
二つ。
三つ。
磁馬は安心して、二個目の駅弁を買いに行った。
セナが笑った。
「もう一つですか」
「星見弁当」
「いいですね。でも少し量がありますよ」
「大丈夫」
セナはじっと見た。
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんは危ないです」
ユラが横から言った。
「私もそう思う」
磁馬は少し困った顔をした。
けれど、星見弁当を買った。
ふたを開けると、
中は夜のようだった。
濃い紫色の米。
小さな光る粒。
丸い野菜。
薄く切られた肉のようなもの。
甘い香りの果物。
食べる前から、
少し静かだった。
磁馬は描いた。
星見弁当。
昼の未来駅。
昼なのに弁当の中だけ夜。
一口食べる。
やわらかい。
少し冷たい。
あとから温かくなる。
磁馬は目を丸くした。
「うまい」
セナが近くまで来ていた。
「食べたあとに温かくなるんです」
「不思議だ」
「未来駅の夜行便向けです」
「夜行便」
磁馬はその言葉を聞いて、
昔の夜行列車の窓を思い出した。
窓。
灯り。
落としたペン。
駅で降りた少女。
弁当の味が、
記憶の線を引っ張ってくる。
磁馬はペンを動かした。
昼の未来駅に、
夜行便の影を重ねる。
ユラが言った。
「食べ歩きなのに、ずっと止まってる」
「描くと止まる」
「じゃあ歩こう」
「食べながら?」
「通路の端ならいいんでしょ」
セナがうなずいた。
「混雑しない区画なら」
磁馬は星見弁当を片手に持ち、
スケッチ帳を片手に持とうとした。
セナがすぐ止めた。
「こぼします」
ユラも言った。
「絶対こぼす」
磁馬は弁当を見た。
「じゃあ、少し食べてから」
三人で笑った。
星見弁当を半分ほど食べてから、
磁馬たちは駅弁売り場の周りを歩いた。
セナは仕事の合間に少しだけ案内してくれた。
未来駅には、駅弁だけの小さな通りがあった。
山の弁当。
海の弁当。
雨の日用の弁当。
長距離用の弁当。
眠る前に食べる弁当。
到着してから食べる弁当。
磁馬は目移りした。
ユラは包み紙の柄を見ている。
「この駅弁、包みがかわいい」
「味は?」
「まだ食べたことない」
セナが言う。
「それは季節記録弁当です。食べると、その季節の駅の匂いが少しします」
磁馬は立ち止まった。
「匂い」
ユラがすぐ言う。
「三個目はだめ」
磁馬は少しだけ残念そうにした。
「見るだけ」
セナが笑う。
「見るだけならどうぞ」
磁馬は季節記録弁当を描いた。
買わずに描く。
包み。
棚。
説明札。
通りすぎる人。
それでも絵の中では、
ふたを開けていない弁当から、
ほんの少し季節の気配が流れた。
ユラが目を細める。
「開けてないのに」
「描いたから」
「便利だね」
「食べてないから、お腹には入らない」
「それでいいよ」
磁馬はうなずいた。
歩いているうちに、
駅弁通りの端へ来た。
そこには古い形の売店があった。
未来駅の中なのに、
木目の棚と小さな布の屋根がある。
昔の駅弁売りの姿を残した店らしい。
店には年配の女性がいた。
茶色の上着。
穏やかな目。
手元には竹皮のような包み。
セナが少し姿勢を正した。
「ここは、復刻駅弁の店です」
磁馬は近づいた。
「復刻」
女性がにこりと笑った。
「昔の旅弁を、未来駅用に直して出してるんだよ」
「昔の味?」
「完全に同じじゃない。でも、思い出せるようにはしてある」
磁馬は包みを見た。
「描いてもいい?」
「いいよ。食べるならもっといい」
ユラが磁馬を見る。
「三個目」
磁馬は少し黙った。
セナも見る。
「三個目ですね」
磁馬は腹のあたりに手を当てた。
時刻表弁当。
星見弁当。
まだ歩ける。
たぶん。
「半分」
女性は笑った。
「半分にしてあげよう」
復刻駅弁は、やさしい匂いがした。
米。
煮物。
小さな魚。
漬物。
未来の味ほど驚かない。
けれど、食べると遠くへ行く気がした。
磁馬はゆっくり食べた。
「うまい」
声が、少し静かになった。
女性はうなずいた。
「旅の味は、派手じゃなくていいんだよ」
磁馬はその言葉を描きたくなった。
言葉は線にならない。
だから、
女性の手を描いた。
包みをほどく手。
弁当を渡す手。
昔の味を、未来駅で残す手。
絵の中で、
三つの弁当が並んだ。
時刻表弁当。
星見弁当。
復刻駅弁。
それぞれから違う時間が出ていた。
朝。
夜。
昔。
ユラは小さく言った。
「駅の中なのに、旅したみたい」
磁馬はうなずいた。
「駅弁は、先に旅する」
セナがそれを聞いて、少し驚いた顔をした。
「それ、店の札に書きたいです」
「いいよ」
「本当に?」
「うん」
ユラが笑う。
「磁馬さんの言葉、駅弁売り場に残る」
磁馬は少し照れたように、
鞄を押さえた。
その時、
復刻駅弁の包みをしまおうとして、
磁馬のペンが一本、台の下へ転がった。
ころ。
音がした。
磁馬は止まった。
ユラがすぐ言う。
「落ちた」
セナもしゃがむ。
「台の下です」
磁馬は弁当を置き、膝をついた。
ペンは台の奥に見えた。
遠い。
女性が細い竹の棒を出してくれた。
「これで届くかい」
磁馬は受け取る。
「ありがとう」
慎重に、ペンを寄せる。
少し動く。
また奥へ行く。
ユラが横からのぞく。
「左、左」
セナが言う。
「もう少し手前です」
女性が笑う。
「駅弁より大騒ぎだ」
磁馬は真剣だった。
ペンはようやく台の手前まで来た。
ユラが小さな手で拾い上げる。
「取れた」
磁馬は両手で受け取った。
「ありがとう」
「また見つかったね」
「うん」
「よく落とすね」
「よく言われる」
セナが言った。
「でも、落とすと人が集まりますね」
磁馬はペンを見た。
「探すから」
女性がうなずいた。
「探してる人を見ると、手伝いたくなるものだよ」
磁馬はペンを鞄の内側へしまった。
一つ。
二つ。
三つ。
今度は落ちない。
食べ歩きは、三個と半分で終わった。
磁馬は少し歩き方が遅くなっていた。
ユラは包み紙を三枚、大事そうに鞄へ入れている。
セナは売り場へ戻りながら、磁馬の言葉を端末に書き込んでいた。
駅弁は、先に旅する。
その札が、
小さく売り場の端に表示された。
磁馬はそれを見て、少しだけ笑った。
最後に、
磁馬は小さな紙を三枚出した。
セナには、駅弁売り場で弁当をすすめる姿。
ユラには、包み紙を集める姿。
復刻駅弁の女性には、包みをほどく手元。
それぞれの絵の中で、
弁当の湯気が少しだけ動いていた。
セナは絵を見て言った。
「売り場に飾ってもいいですか」
「うん」
ユラは自分の絵を見て、
包み紙と一緒にしまった。
「これも集める」
女性は絵を見ながら、
ゆっくり笑った。
「未来駅にも、いい旅人が来るねえ」
磁馬は頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
「また食べにおいで」
「うん」
ユラがすぐ言った。
「次は二個まで」
セナも言った。
「二個までですね」
磁馬は少し考えた。
「たぶん」
二人は同時にため息をついた。
未来駅の窓の外では、
列車が一つ、静かに出発していく。
磁馬はスケッチ帳を抱えた。
鞄の中を確認する。
スケッチ帳。
ペンケース。
小銭袋。
訳機。
包み紙はユラへ渡した。
落としたペンもある。
一つ。
二つ。
三つ。
全部ある。
腹はかなり重い。
でも、
スケッチ帳も重い。
時刻表弁当の朝。
星見弁当の夜。
復刻駅弁の昔。
未来駅の昼。
一つの駅に、
いくつもの旅が入っていた。
磁馬はゆっくり歩き出した。
駅弁通りの匂いが、
背中のほうへ遠ざかっていく。
鞄の中で、
三つの弁当の絵が、
少しずつ時間を進めていた。
朝になり、
夜になり、
昔へ戻り、
また未来駅へ帰ってくる。
磁馬は腹をさすりながら、
次の列車を見送った。
旅はまだ始まっていないのに、
もう十分に旅をした気がした。
コメント
1件
ああ、すごくいいお話でしたね……。未来駅の♡♡♡売り場の、あの「旅の匂い」が立ち込める感じ、すごく鮮やかに浮かびました。磁馬さんの、食べながら描くスタイルも素敵で、一口ごとに朝や夜や昔の記憶が広がっていくのが、絵と一緒に動いているみたいでした。 特に「♡♡♡は、先に旅する」っていう言葉が胸に残っています。ユラとセナとのやりとりも微笑ましくて、三個目の弁当前に「たぶん」って言う磁馬さんに思わず笑ってしまいました。読み終えたあと、なんだか自分も駅で美味しいものを食べたくなりました。素敵な作品をありがとうございます。
於田縫紀
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