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夕方の屋上。夕焼けに沈みかけた空の下、吹き抜ける風だけが、いくらか現実を曖昧にしてくれていた。
けれど、あいつらの言葉は鮮やかに残っている。べっとりと耳の奥にこびりついて離れない。
「ほんっとに意味わかんないよね、あんたさ。何考えて生きてんの?」
「気持ち悪いんだよ、なんか全部がさ。目とか、声とか、歩き方とか――」
それは遥にとって、何百回目かの「説明」だった。
なぜ自分が嫌われているのか。
なぜ見下され、笑われ、汚いものみたいに扱われているのか。
まるでそれを「教えてあげている」ような、正義の顔をした残酷さ。
「生まれてきたこと、間違いじゃない? お母さん可哀想~」
「そうそう、あの家族でひとりだけ、顔も空気も違うもんね。そりゃ無視されるよ」
「男とか女とかの前に、人としてダメって感じ? ほら、なーんか臭そうだし?」
遥は、笑わない。
怒らない。
言い返さない。
ただ、心臓だけがぎしぎし音を立てて軋むのがわかる。
「お前さ、昔からずっと、誰にも懐かないで黙ってんじゃん。無理してるの見え見えだし。なにが“平気”なの?」
「さっきもさー、先生の前でだけ“いい子”っぽくしてたよね。あれ見て笑っちゃった。あんたの存在自体が嘘っぽいんだよ」
遥は、指先を見ていた。自分の爪の、薄いところ。指の間。皮膚の細い線。
全部、自分の身体にくっついてる。嫌でも離れない。どうしてこんな身体に生まれたんだろう。どうして、こんな目で見られるんだろう。
「目つきがやばい。睨んでないつもりでも睨んでんの、わかんないんだ? こっち震えるわ」
「つか、喋るときも声おかしいし。喋んなくても気持ち悪いし。どうしたいの?」
沈黙していた遥が、ついに口を開いた。
「……俺、別に、なんもしてねえよ」
「は? それが“なんかしてる”んだよ、わかんないの? 怖いんだけど、マジで」
「なんで……そんなに、俺のこと、気持ち悪いって思うんだよ」
声がかすれていた。
けれど、それは反抗でも叫びでもなかった。
ただ、独り言のような、崩れかけた音。
「やめてよその声。ぞわってする」
「なんか喘いでるみたい。うっける~」
「てか、ねえ、遥ってさ、ほんとはそういうの好きなんじゃない? 虐められるのとか、無視されるのとか」
遥の背筋がぴくりと震えた。
だれかに、核心を突かれたような、言い当てられたような。
「ちがう……俺は、」
違うと叫びたかった。
でもその声は、自分の喉の奥で飲み込まれた。
なぜなら、自分自身が、その“違う”を証明できないと知っていたからだ。
――嫌われるのが当たり前だと思ってるくせに。
――気持ち悪いって言われると、なんか安心してんだろ。
――お前、自分でもそう思ってるもんな。
「なあ、お前さ――“そういう目”で見て欲しいんだろ?」
その言葉が、遥を決壊させた。
風が吹いた。どこまでも高く。どこまでも遠くへ。
でも遥の目だけは、遠くも未来も映していない。
足元だけを見ていた。自分の影。沈むような影。
遥は、もう言葉を持っていなかった。
謝ることも、否定することも、できなかった。
ただ、ひとつだけ――
「……俺なんか、いない方がよかったんだろ……」
呟いたそれを、誰も聞き取らなかった。
聞こえたとしても、笑いのネタにしかならない。
屋上の夕陽は、誰にも優しくなかった。