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朝の更衣室は、薄暗く冷たい。壁に並ぶロッカーの影が長く伸びる中、遥は一人、静かに着替えていた。手が震えることはない。だが、それは緊張のせいではない。すべてが慣れすぎて麻痺しているだけだった。
隣のロッカーから、低く囁く声が聞こえる。
「……おい、あいつのシャツ、裏返しじゃね?」
「マジかよ、着替えもろくにできねえのか」
笑い声が波紋のように広がっていく。
誰かが、遥のロッカーの中身をじろじろと覗き込み、ペットボトルの水をわざとこぼす。水音は小さくても、その冷たさは遥の身体を刺す。
体育館に足を踏み入れると、空気が一変する。太陽光に照らされた体育館で、同級生たちは自然と輪を作っている。遥は輪の外、壁際へと押しやられる。
誰も近づかない。だがそれは「見ていない」のではなく、意図的な避けだった。目が合うと、すぐにそらされる。
ボールが転がってきた。
誰かが近づき、蹴り返すふりをして、遥の足元を強く蹴る。彼は痛みをこらえながら、拾い上げたボールをゆっくりと遠くへ蹴り返す。音だけが体育館の隅々まで響いた。
声が聞こえる。
「おい、あいつ見てみろよ。汗臭そうに震えてるぜ」
「キモいな。なんで体育なんか来るんだ?」
誰も彼のことを仲間として認めていない。
「仲間外れ」ではない。彼はもはや、クラスの“敵”として扱われていた。憎しみや嫌悪ではなく、冷たい無関心と、消えろという意思が空気を支配する。
休憩時間、トイレの近くで数人が立ち話をしている。そこに彼が通りかかると、囁き声が一斉に止まり、そして誰かが吐き捨てた。
「見んなよ。キモいから」
その背後から、囁くような声が聞こえる。
「お前、体育のあとのシャワー、いつも誰かと“特別”に一緒にいるよな」
「え? まじ? それで無理やり押さえつけられてるんだろ、あいつ」
声は低く、だがはっきりとした意味を含んでいた。周囲の笑いは冷たく、残酷だった。
遥は耳を塞ぐこともできず、その場に立ちすくむ。涙は、決して流さない。泣けば、また“弱さ”として蹂躙される。だから、震える声を飲み込み、視線を落とすだけ。
教師の視線は、時折彼をとらえる。だがその眼差しは、「見ている」ことと「助ける」ことの間で揺れ、結局は助ける方を選ばない。
帰り際、誰かが彼の背中に軽く触れた。振り返ることもできず、無言のまま足早に去る。
心の中の鎖が、さらに強く締まる感覚だけが残る。