「しっかしこんなに騒ぎになるとは…俺としたことが考えなしだったな…だいじょうぶか、優羽」
「ん。大丈夫だよ」
わたしは笑って見せたけど、彪斗くんは不意に手を伸ばして、わたしの頬を撫でた。
「…こわかったか…?顔色が、あんまよくない。ごめんな。おまえはこんなふうに騒がれることに慣れてないのに…」
「う、ううん…!こわくはなかったよ?ただ…びっくりしちゃって…。だって、彪斗くんだってわかった時のみんなの興奮っぷり、すごかったんだもん。彪斗くんって、やっぱりほんとの芸能人なんだなぁ、って思って…」
「……」
彪斗くんは一瞬だまりこんだものの、すぐに呆れたような溜息をついた。
「…だからちがうって…。たしかに俺のせいで余計に騒ぎになっちまったところはあるけど…でも、あいつらをあんなに盛り上げたのは、おまえだよ」
「え?」
「おまえが、あいつらをぜーんぶ惹きこんだんだ。だから、あの騒ぎはおまえが起こしたってこと」
「わたしが…?」
目をぱちくりさせるわたしを、
彪斗くんは、呆れとやさしさが混じった顔で見つめた。
「『ダイヤの原石』って言われる理由がわかったか?おまえには類稀な才能があるんだ。人を惹きつける歌の才能が」
わたしに、そんな才能が…?
「歌っている時のおまえ、すげーよかったよ。いつもの小動物みたいなおどおどした感じが消え失せてて、まぶしかった」
まぶしく…。
そう。わたしもまぶしく見えた…。
目を開けた瞬間、飛び込んできた景色が。
まるで、ステージにでも立っているような心地だった。
無数の人の目が、わたしだけを見ていて。
輝きを帯びたその目が、光の雨のようにわたしに降りそそいでいるように感じた…。
「歌ってる時、どんな心地だった?」
「…ちょっと、どきどきしたけど…でもたのしくて…」
「『もっと歌っていたい』って?」
こく、と最初に小さくうなづいて、
それから何度もうなづいた。
自分自身に確認するように。
「こんな気持ちになったの初めて。おとうさんの前でしか歌ったことがなかったし、それで、いいと思っていた…」
あんな景色が見られると、知るまでは…。
「とても、いい景色を見たの。あの景色を見た瞬間、わたし自身も生まれ変わったような気がした…」
わたしは胸底から込み上げる喜びをいっぱいにこめて、彪斗くんに笑った。
「彪斗くんのおかげだよ。わたしを導いて、背中を押してくれなかったら、ひとりでは絶対に見れない景色だった…」
…そっか。と、小さくつぶやいて、彪斗くんはわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
もう…ただでだえ揉みくちゃになってボサボサになってるのになぁ…。
結び直さなきゃ、と思ったけど、する、と、ヘアゴムが取られて、やさしい手つきで、三つ編みをとかれていく。
「彪斗くん…?」
「じっとしてろ」
ふんわりと髪を持ち上げ、彪斗くんはやさしく頭を撫でてくれた。
どう…したの?
と聞こうとしたとたん、メガネが外されて、彪斗くんがぼやける視界に消えた。
「びっくり、だよな。こんなことするつもり、まったくなかったのに。閉じ込めて、俺のそばにいさせるだけで、いいと思ってたのに…」
ぎゅう
不意に、抱き締められた。
前に、湖で抱きしめられた時とはちがう、包み込むような、やさしい抱擁。
とく、とく…って、不思議なくらい、わたしの胸は落ち着いていた。
まるで、ちっぽけな小鳥になったように、彪斗くんの胸の中で安らいでいた。
硬い腕に頬を寄せたまま見上げると、メガネがなくてもわかるくらいのすぐそばで、彪斗くんの綺麗な顔と目が合った。
その顔は、これまで見たことがないくらいに、困ったような、自信なさそげなような表情を浮かべていた。
どうしたの…彪斗くん…。
頬に感触を感じた。
ちょっと冷えた彪斗くんの指が触れてきた…。
「ほんと、可愛いよな」
「……」
「世界一可愛くて…臆病で…守りたい、俺の小鳥。おまえを他のヤツなんかに、見られたくなかった…。けど、おまえがそやって前に進みたいって言うなら…新しい景色を見たいって望むなら…そうやって、心の底から笑ってくれるなら…おまえ、今日からずっとこの姿でいろよ」
「え…でも…」
ブスでいれ、って…。
メガネも三つ編みも、彪斗くんの命令でしょ…?
「もういいんだ。だせぇメガネなんかもうかけるな。コンタクトにして、髪もおろして、寧音にみてもらって、今日みたいな格好をしろ。そうすれば、おまえをけなすヤツなんかいなくなる。おまえの自信を奪うヤツなんかいなくなる」
彪斗くん…。
彪斗くんの手が、わたしの頬を包み、そして、言い聞かせるように続けた。
「いいか、小鳥。おまえに敵うヤツなんてどこにもいない。おまえは生まれながらの、最高の歌姫だ」
『ここを去るのは、君が大好きだったお父さんが君に宿した想いをも捨てる、ということになるんだからね?』
あの時、須田さんに言われた言葉。
どうして今、思い出すんだろう。
今ならその言葉にはっきりと答えを言えるような気がした。
手放したくない。
大好きな歌を。
裏切りたくない。
お父さんが託してくれた思いを。
そして、こんなに切ない声で導いてくれる、彪斗くんの思いを―――。
よし、エラいぞ。
そう褒めてくれるかのように、彪斗くんの目が、やんわりと細まった。
そして、頬を包んでいた指が、そっと、わたしの唇をなぞった…。
どきりと、胸が高鳴る。
彪斗くんの目は、いつしか元の宝石のような輝きを取り戻していた。
わがままそうな黒々とした目で、じぃっと物欲しそうに見ている。
わたしの唇を―――。
もう、鼓動も感じない。
息が、止まる。
けど、振り切るように、彪斗くんはわたしの身体を離した。
その瞬間、わたしは胸がしゅんと縮むのを感じた。
もしかして、わたし、今がっかり…した…?
彪斗くんは立ち上がると背を向けたまま言った。
「そろそろ帰るか」
「ん…」
おもむろに差し出された手を握って、
わたしは彪斗くんの顔を見ないように、少しさがって歩いた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!