第9話:駅の改札
午後9時過ぎ、帰宅ラッシュも落ち着いた頃の南ヶ丘駅。
改札前に立つのは、やや小柄な男性。
濃緑のスーツに淡いグレーのネクタイ、革靴は雨で少し濡れている。黒髪は整えてあるが、前髪が額に落ちている。左肩には黒いビジネスバッグ。名前は及川誠(おいかわ まこと)、三十二歳。
スマホが短く震える。
《定期を使うな》
知らない番号の短文に眉を寄せながらも、いつも通り定期券を改札機にタッチする。
ピッという音のあと、足元の感覚がふっと軽くなる。
気づけば、周囲に人影はない。壁の広告はすべて文字が滲んで読めなかった。
階段を降りると、地下ホームがひっそりと広がっていた。線路の向こう側には、暗い水面のようなものが揺れている。
電車の到着音が近づくが、その音は耳のすぐそばから響いてきた。
改札へ戻ろうと振り返ると、そこには出口も階段もなく、鏡のような壁だけが立ちはだかっていた。
鏡の中の自分は、定期券を持っていなかった。








