テラーノベル
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珠子の表情が一瞬にして凍りついた。場も、同様に静かになる。
圭助が珠子を殴った事よりも、その場に居てはならない人物の名を珠子が、叫んだからだ。
珠子は、皆の視線に耐えきれなくなり、崩れるようにうずくまると、わっと声を上げて泣き出してしまう。
圭助は、右手を握りしめ、何かを堪えるように、ブルブル震えていた。
しかし、すっと、金原へ向き直ると、深々と頭を下げた。
「金原さん、いえ、社長。内輪のみっともない所をお見せしました。珠子は……ここにいない方がいい。ひとまず、店へ連れて帰ります」
「そうだねぇ、そうしてくれるかい?柳原の旦那。その子は、奉公にでもだせばいいよ」
お浜が冷たく言い放つ。
「お、お浜さん!それは!珠子さんは、成田屋さんでマネキンガールをやっているのでしょ?珠子さんが、いないと、成田屋さんが困ります!」
お浜らしからぬ、冷たい言い様に、櫻子は、つい口を出していた。
「櫻子ちゃん、あんたって子は
本当に、良い子すぎるよ……あのね、成田屋にゃー、珠子は必要ないだ。まだ、お玉の方が役に立ってるんだよ」
子供が着飾っているのが物珍しく、それも、ドレス生地で作った着物と聞いたとたん、皆、我が子にもと、口を揃えるのだと、お浜は言った。
それに比べて、珠子は、多少ハイカラな着物としか見てもらえない。街には、お洒落着など溢れている。目新しく無いのだ。
加えて、ドレス生地で作った着物だ、足さばきが良いなどと、珠子は、着心地の一つでも語る訳も
なく、ただ、店で座っているか、人混みを歩くだけ。商品とし売り込む気持ちなど更々みられなかった。
「大人の着物は、やっぱり、無理があるねぇ。小物に絞った方がいいと思うんだよ……」
お浜が切々と、現状を語る。
「それなら、なおさら、珠子は用無しだ。花柳界、芸者達に一声かけて、ちょいと、商品を身に付けさせれば、たちまち、話題になるからねぇ」
言うように、当時の流行は、花柳界、つまり芸者達が担っていた。彼女達が身につければ、皆は憧れ、それは、流行りとなって街中へ広がって行く。
昔、世話になった置屋経由で芸者達に声をかけることなど、朝飯前だとお浜は豪語した。
「だからさ、花柳界につてがある以上、マネキンガールなんて必要ないんだよ」
せめて、もうちょっと、珠子が愛想よく客と接してくれたならと、お浜は付け足した。
「でも、お浜さん!珠子さんは、新聞にも載ったじゃないですか!お店の宣伝になっているはずです!」
「……櫻子さん、あれは、貴方のために手を回しただけですよ。正確には、柳原商店の商売を存続させるためですがね」
「……え?」
考えてもご覧なさいと、八代が、いつも以上に静かに櫻子へ語り始める。
「経緯はどうあれ、社長は、刺された。勝代さんを、お上へ付き出せば、当然、彼女は罪に問われる。しかも、不貞行為も行っていた。洗いざらい、表沙汰にしてしまえば、あなたたち姉妹、いや、義理とはいえ、勝代さんが母親である以上櫻子さんは、罪人の娘になってしまう。当然、表を自由に歩くこともできやしない。世間様の目、というものがありますからね。社長は、櫻子さん、それを一番恐れたんですよ……」
八代が発した罪人の娘という響きに、櫻子の息は止まりそうになった。
考えてもみなかった。確かに、言われた通り、金原が、ただの怪我だと収めなければ、勝代は捕まり、そして、自分は世間から白い目で見られる立場になる。
1,983
#宵待ち亭
#夢
「八代、もう、いいだろう。それぐらいにしておけ……」
金原は、つと、泣きじゃくっている珠子を見るが、たちまち、言葉が続かない。苦虫を潰したような顔をし、黙りこんでしまう。
そこへ──。
「ハリトン!!」
お玉が叫び、ハリソンの腕を掴んだ。
「え?!何ですか?!お嬢ちゃん?!おじさんの出番ってこと?
いや、関係者じゃないし、そもそも、ハリトンじゃないし、いやいやいや、無理よ、無理!」
あわてふためくハリソンの声を遮るかのように、珠子が立ち上がり、涙声で叫ぶ。
「なんなのよ!珠子は、何もしてないのに!皆して!!全部、お姉様のせいじゃない!!何もかも、珠子から奪ったくせに!!」
もういいわっ!と、捨て台詞を吐いた珠子は、勢い駆け出した。
「あぁ、これは……。お嬢ちゃんの言う通り、私の出番ってことですか。ちょいと、虎ちゃん借りますよ」
癇癪と共に駆け出した珠子を追いかけようと、ハリソンが、立ち上がる。
「皆さん、このハリソンにお任せを」
などと、軽口を叩くが、その表情は、いたく、こわばっていた。
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