駅前にある美術館。
日本絵画展をやっている大ホール隣にある小さなホールで、陶芸家kusuharaによる展覧会をやっていた。
時刻は17時。
閉館ギリギリの時刻に滑り込むようにして深雪は紫音を中に入れた。
すでに客はまばらで、綺麗なクロスが敷かれた展示台の上に、壺やら皿やらが並んでいる。
(どうしよう、私。陶芸とか全然わからないから気の利いた事とか言えないかも……)
しかし紫音の心配は杞憂に終わった。
深雪は、ティーカップやソーサー、装飾小鉢などをすっ飛ばして、どんどん奥に進んでいく。
(……え、暖簾……?)
紫音は陶芸展にはおおよそ不似合いな、部屋を仕切り暖簾を見上げた。
(これって、まるで……)
レンタルビデオショップなどでよく見るそれを、紫音はキョトンと見上げた。
「小粋な演出だよね」
深雪が笑う。
その意味が分からずただついていくと、暖簾の向こうには――――。
無数のペニスが並んでいた。
煌々と照らされた展示台。
展示台としては低めの腰の高さにしてあるのは、よもやわざとだろうか。
綺麗な麻布に覆われたそこに確かな存在感を持って、天に向かって反り立つ大小さまざまなペニスが並んでいた。
血管の1本1本まで精巧に再現された男根。
照り返す光の加減も計算されつくされた塗料。
そのリアルさに、モザイクに覆われたそれしか見たことのなかった紫音は悲鳴を上げそうになった。
「はは。これ、徳利だよ」
深雪は亀頭を掴むとパカッと外し、脇に置いた。
「ほらね。おちょこ付き」
裏返した亀頭がちょうど盃になっている。
紫音は眉間に皺を寄せたままそれを見つめた。
「昔から男根は平和や子孫繁栄の縁起物として親しまれてきたんだ」
深雪は真面目な顔でそう言うと、見事に勃ちあがったそれを撫でるように触った。
(……芸術って奥が深い)
表情に出さないようにそれでも慄きながら、それらを見下ろした。
「ほら、こんなのもある。子宝に恵まれそうだね」
深雪が笑いながら指さした先を見ると、そこにはまるで八岐大蛇のように何本もの男根がくねくねと勃ち上がったオブジェがあった。
「…………!!」
いよいよ全身に鳥肌が立つ。
「ーー実はkusuhara先生は、こういうリアルな男根を作る陶芸家で有名なんだよ。生徒を集めて教室を開いているくらい」
深雪はうっとりとそれらを見下ろしながら言った。
「……り、リアルですもんね」
精一杯の相槌だったが、深雪は小さく息を吐きながら首を横に振った。
「リアルなだけならいくらでも作れるよ。だって、自分の男根をかたどって石膏を流せば、精巧な男根のコピーなんていくらでも作れるんだから。そうじゃなくて先生の男根は本物よりもリアルなんだ」
そう言いながら、ひと際大きなペニスを掴み、深雪は目の高さまで上げた。
「この躍動感。今にもドクドクと脈打ちそうな血管。溜まった熱さえ伝わってきそうな生々しさ。先端の滑らかさから、陰茎に寄った皺まで、全てが忠実に再現されている。ここまでの作品はkusuhara先生じゃないと作れないんだよ」
ハアと高揚したため息を漏らす。
その尊さをさっぱり理解できず、リアルかそうじゃないかさえもよくわからない紫音はただ隣で頷いた。
「ーーこういうの、嫌い?」
深雪は紫音を振り返り、眉毛を下げた。
「女の子はもちろん、男でも理解してくれる人がなかなか少なくて。だからここには自分が選んだ人だけ連れてこようって決めてたんだけど、もしかして、紫音ちゃんもダメだった?」
「……あ、いえ!」
紫音は慌てて否定した。
「未知との遭遇というか!こんな世界もあるんだって思って驚いてはいますが、迫力がすごいっていうことはわかります!」
そう言うと、深雪はパアッと笑顔になった。
「わかってくれる?紫音ちゃん!」
「は、はい!!」
思わず答えた紫音の手をまた深雪が握る。
「よかったぁああ!」
深雪はその手に額を付けながら大量の息を吐いた。
「これで嫌われたらどうしようかと思っちゃった」
そう言いながら片目だけ開けて見せる。
(嫌ってはない……。嫌ってはないけど……)
笑顔を引きつらせたまま、また展示台の上に視線を戻す。
(この良さは理解できないかも……)
紫音はそう思いながら、今にも動き出しそうなペニスたちを見下ろした。
「じゃ、行こっか」
深雪は手を繋いだまま下ろすと、紫音を覗き込んだ。
「え?」
「おいしいディナー、予約してるんだ」
そういうと深雪は満足したように踵を返し歩き始めた。
「ワインとか好き?」
深雪が笑顔で振り返る。
「女の子でも飲みやすいものを選んで予約してあるから大丈夫だよ」
紫音はその美しい顔を見上げた。
(そうだ。こんなことで……)
「はい、大好きです!」
(こんなことで、この人を嫌いになったりしない……!)
紫音は小走りで深雪に続くと、少し大げさに暖簾をくぐった。
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ギシッ。
ギシッ。
ギシッ。
身体が揺れる。
どこからか木材の軋む音がする。
何だろう。
手首が痛い。
それとは反対に、
身体の中心がぼやけて感覚がない。
ない、が―――。
温かい。
そして、
気持ちいい。
瞼を開けた。
見知らぬ天井。
その手前で、
見知らぬ男の影が揺れていた。
……え?
………ええ?
理解が追い付かないまま、それでも自分の上では男が揺れ、
その振動に軋む音が同調し、
僅かな痛みと、
刺すような鋭い快感が下半身を襲う。
ーー何が起こっているのだろう。
この人は誰?
だって私、先輩と―――。
そうだ。
深雪と共にディナーを食べた。
入ったことのないような高級なレストランで、
生まれて初めてフォアグラにフォークを差し、
深雪が進めるまま、甘いジュースのようなスパークリングワインを飲んだ。
酔いに任せて好きだと言った。
雰囲気に飲まれて、帰りたくないと言った。
そこからの記憶が―――ない。
やけに視界が霞む。
本能的に目を擦ろうとしても腕が言うことを聞かない。
見上げると、紫音の両手はベッドに縛り付けられていた。
「ーーあ、起きた?」
ベッドの軋む音しかしない部屋に、状況に相応しくない軽い声が響いた。
暗くてよく見えない。
「なかなか戻んないからちょっとだけ心配しちゃった」
聞き覚えのある笑い声。
自分の上からじゃない。
溢れた涙で目の霞みが取れた。
自分の上で揺れる男。
誰なのか、やっとわかった。
「ど……し……」
「ん?なに?紫音ちゃん」
溢れる涙と、込み上げる嗚咽のせいで上手く言葉が出てこない。
「どうして……?先輩……!」
やっとそこまで聞いた。
「どうして、か。うーん。だってずっと紫音ちゃんとしたかったから」
深雪は男の影からこちらを覗くと、「あはっ」と笑った。
深雪を組み敷いて、揺れていたのは――――。
顔のない人間の形をした、白い人形だった。
「ーー俺はね、小学生の時に事故に遭って、その怪我が原因で、不能なのね」
深雪は人形をゆさゆさと揺らしながら言った。
「勃起はしなくはないんだけど、硬さが不十分と言うか。女性に挿入するのがやっとでセックスとなると、それほどの硬度は保てないんだよね」
ペラペラと話しながらも彼の手が休まることはけしてない。
「まあ、それでも射精は出来なくはないから、医者の話では子供はできるって話だったんだけど、それでもさ、したいじゃん。セックス」
涙のせいでクリアになった視界に、白い人形がはっきりと浮かび上がる。
「こんなに若いイケメンがさ。かわいい女の子とセックスできないとか、それこそ不幸じゃない?」
肩幅。
筋肉の付き方。
腰のしなやかさ。
紫音はその体系を知っていた。
「だから俺、思いついちゃったんだよね」
そして話は核心に迫る。
「だったらセックスできる“俺”を作ればいいんじゃね?って」
紫音の上で揺れる人形は―――。
「だから全身の型を取って、作ったんだよ。第二の“俺”を」
深雪を象った石膏だった。
「でもさすがに陰部だけは、腰とは別に勃起したものでかたどったよ。そこが一番大変だったかな」
後ろからその腰の部分を支えながら、深雪が人形を揺らす。
「……………」
涙も鼻水も垂れ流しながら、紫音は少しだけ頭を上げた。
「!!」
「……どう?“俺”とセックスした感想は……?」
石膏の下半身から突き出すように付けられたペニスが、自分の股間に刺さってる。
深雪の手によって抜き差しされる白い局部は、
どす黒い赤色に染まっていた。
「……いや……いやあああ……」
叫びたいのに声が出ない。
抵抗したいのに、縛られている腕は勿論、自由な足にさえ力が入らない。
ただただ繰り返される抽送に、耐えるしかない。
一度それを意識したら、急に股間に痛みを感じてきた。
十分に広がっていないそこを、抑揚のない硬いもので容赦なく突き抜かれる痛み。
裂かれ出血している自分のそこが熱いからだろうか。
無機質で温度を持たない作り物の深雪のそれは、氷のように冷たく感じた。
「やああ……やめ……て……」
痛みに食いしばった歯の隙間から、頼りない懇願が漏れる。
しかし、
「どうして?紫音ちゃん、俺のこと狙ってたよね」
石膏の腰を掴みながら深雪が見下ろす。
「狙ってたのは……」
「そっちでしょって?」
深雪がクククと笑う。
「そうだね、狙ってたよ。別に学校から消えても俺が困らない女の子をね」
「…………!!」
「あまり友達がいなくて、いつも1人か2人だった。授業にはちゃんと出てるから真面目な子なんだろうけど、飲み会とかパーティーにも出席しない陰キャ。学校を去ることはあっても、友達に縋ったり、講師に言いつけたり、噂を流したりはしないだろうと思った」
深雪はぐいと石膏をよけ紫音の耳に口を近づけた。
「……だから紫音ちゃんを選んだんだよ」
「…………」
(たったそれだけのことで?)
紫音は涙で溢れる視界で深雪を見つめ返した。
「でも今帰ったら、さすがに両親には言うだろうから」
「………?」
「当分帰してやんない」
深雪は微笑みながら身体を起こすと、サイドテーブルからリモコンをとり、スイッチを押した。
「紫音ちゃんとセックスしたい“俺”がまだまだたくさんいるしね」
たちまち照明の灯りに包まれた部屋には、
三方の壁を覆う数の“深雪が”いた。
た微笑を讃えたまま、まだそこに突っ立っていた。