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ドアの向こうでノックの音がして、静かに扉が開いた。
入ってきたのは、灰色のパーカーを着た高校生くらいの男の子だった。髪は少し伸びすぎて、前髪の影が目を覆っている。
蓮司が最初に声をかけた。
「どうぞ。そこ、座っていいよ」
少年はうなずき、椅子の端に腰を下ろす。膝の上で指をいじりながら、俯いたまま呟いた。
「……笑うと、苦しくなるんです」
日下部が少し眉をひそめた。
「苦しくなる?」
「うん。なんか……楽しいことがあっても、“こんな自分が笑っていいのか”って思っちゃう。……前に、誰かを傷つけたことがあって」
「故意に?」と蓮司。
少年は首を横に振った。
「わざとじゃない。でも、結果的にそうなった。あの子、もう俺とは話してくれなくて……。それから、笑うたびに“おまえはまた同じことするかもしれない”って、自分の中の声が言うんです」
遥は机の端に肘をついて、静かに見ていた。
「その声、ずっと消えないのか」
「はい。誰かと笑ってるときほど、いちばん大きくなる」
しばらく沈黙が落ちた。時計の秒針の音が部屋に滲む。
やがて、日下部が低く言った。
「……それ、多分“罪悪感”が悪者になってるだけだな」
少年が顔を上げる。
「罪悪感って、“やり直したい”って気持ちの裏返しなんだよ。完全に間違ってたわけじゃない。むしろ、それが残ってるってことは、もう同じことをしない人間になれてる証拠でもある」
蓮司が軽く笑って、紙コップの水を少年に差し出した。
「笑ってるときって、“今”に戻ってるときでもあるんだよ。過去の自分が引きずってくる声より、今ここで息してる自分の方が、ちゃんと現実にいる」
「……でも、忘れたくないんです。あのときのこと」
「忘れなくていい」
遥が短く言った。
「ただ、“同じ場所に立ち止まったまま”じゃ、その子もおまえも動けない。苦しんでること自体が、もう償いみたいなもんだよ」
少年の目が少し潤んだ。
「……俺、また笑ってもいいのかな」
蓮司がゆるく肩をすくめた。
「いいに決まってるじゃん。笑うのに資格なんてない」
日下部がそれに続けるように、穏やかに言った。
「それでも心が痛むなら、それは“優しさの残り”だ。痛みを感じられるなら、まだ大丈夫だ」
少年は小さく息を吐いた。
その吐息の中に、ほんの少しだけ、笑いの気配が混じっていた。