放課後の教室。窓の外はオレンジ色に染まり、運動部の掛け声が遠くで反響していた。
相談に来たのは、二年生の男子だった。
制服のネクタイを少し緩め、机に突っ伏すようにして口を開く。
「……俺さ、大人になりたくないんだよ」
顔は上げないまま、くぐもった声が落ちる。
「進路とか将来とか言われても、なんもワクワクしない。
むしろ全部めんどくせぇ。
働くとか、責任とか、自由がなくなる気しかしない」
日下部は腕を組んだまま、窓の外へ視線をやった。
しばらく黙ってから、ぽつりと言う。
「……俺もさ、前は“早く大人になりたい”って思ってたんだよ」
彼は少し笑って、机の木目を指先でなぞる。
「でも実際近づくと、ぜんっぜん格好よくなんかないし、
ただ“できないこと”が“やらなきゃいけないこと”に変わるだけで。
正直、怖いなって思うこともある」
男子が顔を上げた。
「……日下部でも、そう思うんだ」
「思うさ」
日下部は短く答える。
「でもな、大人になるって、“自由が消える”んじゃなくて、
“自分で選んだ責任を背負えるようになる”ってことなんだと思う。
子どもだと、勝手に誰かが決めるだろ。
大人になると、怖いくらい、選べるんだよ」
男子は黙ったまま、目を細めて聞いていた。
「怖いけどさ、逆に言えば、
“これだけは守りたい”とか“これが好きだ”ってものを
自分で選べるのが大人ってやつじゃねぇかな。
責任っていう鎖みたいな言葉に聞こえるけど、
ほんとは“自分で持てる武器”みたいなもんだと思う」
教室に沈黙が落ちる。
夕陽に照らされた男子の横顔が、少しだけ柔らかくなった。
「……武器、か。
なんか、ちょっとマシに聞こえるな」
日下部は口元をわずかに緩めた。
「まあ、俺もまだ練習中だけどな」