コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
***
あんまりにも虚しくて、ちょっと雰囲気良さそうなお店で気を紛らわせたいなと思っただけだったのに。
ぼんやりと覚醒し始めた意識の中で優奈がポツポツとこぼした言い訳。
「ん……」
うっすらと目を開けると優奈の視界にはオレンジ色の光が見えた。
全く、見覚えのない高い天井のクロスはネイビーか、それともブラックか? まるで夜空に輝く星のように、正方形を描き散らばる優しい光の丸いダウンライト。
「優奈、大丈夫か? 気分はどうだ?」
心配そう問いかける声。
それを聞いて『ああ、やってしまった』と、優奈は流れを何となく理解してしてしまう。
ゆっくりと起き上がろうと身体に力を込めると、重力に逆らえないのかと錯覚するほどにフィットする寝心地の良いベッドで、ぐらりとバランスを崩しそうになった。
すると、再び「急に起き上がって平気なのか?」と、やはり心配そうな声。
背中に手を添えられ、結局その手を借り身体を起こすことになってしまった。
「ご、ごめんなさい……迷惑をかけました」
「何をそんな他人行儀に言ってるんだ」
覗き込むように優奈を見つめる。流れ落ちた前髪の艶やかさ、吐息。
相変わらず凜々しい瞳は優奈を射貫く。
逞しい腕は今も優しく優奈を包むし、甘いマスク? 眉目秀麗? 何が当てはまるんだろう。彼を前にして夢中にならない女など存在するのだろうか?
優奈はダメだと警鐘を鳴らしながらも、鼻筋通った美しい顔を眺めてしまう。
「だって他人ですもん」
胸の高鳴りに気がつきたくなくて、顔を逸らすように優奈は横を向いた。
「優奈……、一体どうしたんだ」
助けてもらった恩は忘れたのかと、言いたくもなるだろう優奈の態度に彼は何一つ怒りを見せることなく、声を荒げることもなく。
反抗期の妹に接するよう、宥めるように優奈を気にかけてくれている。
呆れた顔をしているのだろうか? そう思い、チラリと横目に彼を見たつもりだったが、まさかしっかりと視線が重なってしまった。
その瞬間、先程までモヤモヤと霧が掛かったように曖昧だった記憶が確かなものとして蘇って。
時間を巻き戻されてしまいそうな、恐怖が優奈を襲う。
――”退屈な大人になりたくない”
優奈の座右の銘にもなっていた言葉を繰り返し聞かせた彼、――その人こそ、今目の前にいる高遠雅人(たかとう まさと)だ。
雅人は優奈の実家の二軒隣りに住んでいた、十歳上のいわばご近所のお兄さんだった。
幼馴染と言えるほどに年齢は近くない為、分類に悩むが……大雑把な括りで言えばそうなのだろう。
優奈が五歳の頃に引っ越してきた雅人は、当時まだ人見知りだった優奈にそれはそれは優しく接してくれた。
もちろん初恋は雅人だ。
初めての失恋は小学校一年生の時。
いつも通り雅人の家に遊びに行った優奈は、彼の部屋で殿に過ごしていた女の人に会ってしまった。
しかし、雅人はそんな状況でも嫌な顔ひとつせず、いつも通りの優しい声で『優奈、どうしたんだ?』と声をかけてくれた。
続いた言葉は『このこ、近所の女の子。妹みたいなものだよ』だったけれど。
別に、この人誰? と聞いたわけではないけれど、どう見たって恋人だとわかってしまった。
そうして、最初の失恋は想いを告げることなく呆気なくやってきたのだ。
その次は四年生の時だった。
もちろん十歳上の雅人は二十歳になっていた。今冷静に思い返せば叶うはずもないのだけれど……。
『まーくんが好きなの』
と、人生初めての告白に雅人は『優奈もそんなこと言う年頃になったんだな』と、心底兄の目をして感心したように優奈に言ったのだ。
『ありがとう、でも優奈にもそうのうち本当に好きな男ができるよ。その人のために大事な言葉はちゃんと取っておくんだ』と。
まさかの優しく諭された二度目の失恋。
三度目は六年生の時で。
四度目は中学三年生。
五度目は高校一年生で。
……六度目は、卒業間近高校三年生の頃だった。