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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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東京から直行便のフライトで約12時間。


私は今、フランスのパリにいる。


「世界一華やか」と讃えられるシャンゼリゼ通りにあるカフェのテラス席。


かの有名な凱旋門も眺められる絶好のロケーションだ。


シャンゼリゼ通りで多くの人が行き交う喧騒を尻目に、私はコーヒー片手に本を読むというのんびりとした時間を過ごしていた。


なんて優雅なひとときだろう。


だけど、それは見た目だけのこと。


その心の内はズタボロだった。


“傷心旅行”と辞書で引いてみれば、「悪い事があり、それで傷ついた心を癒すための旅行」だという。


それなら今の私の状態はまさにソレだろう。




物心ついた時から、実兄が好きだった。


兄としてではなく、異性として。


なにがキッカケだったのか、そんなことはもう覚えていない。


たぶんこれといった何かがあったわけではなく、気づいた時には当たり前のように兄を想っていた。


幾度となく自分は異常だと思ったし、こんなの間違ってると踏み止まろうとした。


それでもやっぱり気持ちは止められなくて。


成就することがないことを分かっていながら、ずっとひっそり想ってきた。


もう27年も叶わぬ恋を拗らせている。


その恋に、決定的な終わりを告げる出来事が訪れたのはつい先日のことだ。


兄の小日向悠《こひなたゆう》が結婚するという。


わざわざ私に彼女を紹介してきた。


今まで正式に彼女を紹介されたことなんてなく、だからこそ本気なのが嫌でも分かる。


兄にこれまでも彼女がいたことはなんとなく察してきたけど、見たことがなかったから、架空の人物のような気がしていた。


気にしないふりができた。


だけど、その人物が目の前にいて、2人が並んでいる姿を見たらもうダメだった。


架空じゃなく、リアルになる。



ああ、兄は本当にこの人と結婚するんだな。

兄にとってこの人が特別で、

この人のことを愛してるんだな。



その事実を痛いくらい突きつけられた。


悪い事というのは連鎖するものなのかもしれない。


兄の結婚話に心打ち砕かれた直後、職場でも耐えられない出来事があった。


それで私の中の何かがプツンと切れた。


退職届を出し、逃げるようにここパリへやって来たのだ。


どこか遠くへ行きたかった。


この心の乱れをなんとかしたかった。


ただ、それだけ。




「なに読んでるの?」


「えっ?」



急に頭上から日本語が降ってくる。


本を開きながらもボンヤリとしていた私は、突然のことに驚き、急速に意識が引き戻された。


ここはパリのはずなのになぜ日本語?と思い、顔を上げる。


そこには整った顔立ちの黒髪の日本人男性が立っていた。


気さくな笑顔を私に向けている。



「ここ、一緒にいい?」


「えっ、あの……」



一応聞いただけだったのか、返事も待たずに男性はさっさと椅子を引き、私と同じテーブルに座り出す。


あまりにも流れるような動作で止めることもできなかった。



「……あの?」


「さっきから見てたんだけど一人だよね?それなら、異国の地で日本人同士、せっかくだし話でもしない?俺も一人なんだ」


「……話、ですか?」


「そう。一人で暇してたから付き合ってくれると嬉しいな。俺は瀬戸千尋《せとちひろ》っていうんだけど、キミは?」



気さくな話し方の瀬戸さんは、言葉少なめな私に対して構わずどんどん話しかけてくる。


こうやって初対面の女性に話し掛けることに慣れている雰囲気がした。


いきなりのことで面食らっていた私だったけど、人好きのする明るい笑顔の彼に警戒心が薄まる。


普段なら断ってるだろうと思うが、話をするくらいならいいかという気持ちになった。


それは異国の地で同じ日本人同士という点も大きいだろう。


「……詩織《しおり》です」


「詩織ちゃんか~。顔だけじゃなく、名前まで可愛いね。詩織ちゃんはパリに住んでるの?」


「いえ、旅行です」


「えー!旅行なんだ!カフェで本読んでるからてっきりこっちに住んでる子なのかと思ったよ。旅行なら観光名所巡りとかで普通は忙しいもんでしょ。パリはよく来るの?」


「初めてです」


「マジか~!へぇ、詩織ちゃんは変わってるね。あ、別に悪い意味じゃないから」


「……変わってるのはその通りかもしれません」



……なにせ実兄への恋心を拗らせてるくらいだもんね。



そんな自虐的な言葉を心の中でつぶやく。


実際のところ、海外の場所はどこでも良かった。


観光するつもりもあんまりない。


ただ、遠くでのんびりして心の乱れを落ち着かせたいと思っていた。


パリを選んだのは、日本から遠い国であり、私がカフェ好きという理由だけだ。


「詩織ちゃんは仕事何してるの?有休使って来た感じ?あ、俺はね、スマホゲームのアプリとか作ってるよ」


タイムリーな話題だった。


まさにここに来る前に辞めてきたばかり。


それを別に瀬戸さんに隠す必要もないから、私はそのまんまを率直に答える。



「……仕事は最近辞めました」


「えっ、そうなの?じゃあこの旅行はリフレッシュも兼ねてる感じなんだね。前職は何してたの?」


「スーツブランドのショップ店員です」


「へぇ~、じゃあスーツに詳しいんだね。俺も仕事の時はいつもスーツなんだけど、今度詩織ちゃんに見繕ってもらいたいな~!」



私が仕事のことを話すと必ず相手が今の瀬戸さんと同じことを言う。


お決まりの社交辞令だ。


これを言われて本当に見繕ってあげたのは兄にだけだった。


……でも今後は彼女に頼むんだろうなぁ。



2人が笑顔で並ぶ姿が脳裏をよぎり、また胸がギュッと締め付けられた。



「ちなみに、なんで辞めちゃったの?」


「………」



そんな最中、瀬戸さんからは退職理由を聞かれ、私は思わず口ごもる。


兄のことがあって苦しかった時に起きた出来事。


それは同性の同僚との不和だ。


常日頃からなぜか一方的に敵視されていた同僚から、呼び出されていきなり心当たりのない言いがかりで責め立てられた。


同僚に彼氏がいたらしく、その彼氏を私が誑かした、奪ったと一方的に捲し立てられたのだ。


今までは何か言われても気にしないようにしていたけど、ただでさえ兄のことで心の余裕がなく、もう我慢するのも限界だった。


こんなこと、あまり人に話したくはない。


話を変えようと、私はここで初めて自分から瀬戸さんに話し掛けることにした。



「瀬戸さんは、どうしてパリに来られたんですか?」


「俺のことにも興味持ってくれたの?嬉しいな~。俺はね、ここ最近働き詰めだったから、久しぶりに羽伸ばそうかと思って。一応休暇なんだけど、まぁ若干仕事も兼ねてって感じかな」


「そうなんですね」



よく見れば、瀬戸さんはラフな格好だけど着ている服の素材自体は上質なモノに見える。


もしかすると、仕事でそこそこ地位のある人なのかもしれない。


歳はたぶん少し上くらい。



……お兄ちゃんと同じくらいかな?



そこではたと気づく。


また無意識に兄のことを考えているということに。


つくづく私の思考は兄中心だと思い知らされるようだ。


「てかさ、詩織ちゃんも全然敬語使わなくていいよ?タメ口で話してよ」


「いえ、それは……。たぶん瀬戸さんの方が年上ですし」


「でも仕事じゃないんだし、しかもここパリだしね」


「そうですけど……」


「ちなみに俺は31ね。あ、詩織ちゃんは別に言わなくていいから。女性に年齢を聞くのは失礼だもんね」



……あ、やっぱりお兄ちゃんと同い年だ。



残念な私の思考は、やっぱり兄との共通点に反応する。



……ここにいる31歳の日本人男性が、兄ならいいのに。



そんな失礼なことまで思ってしまった。


普通の女性なら、きっと瀬戸さんと話せるということだけで舞い上がる人も多いはずだ。


瀬戸さんは一般的に見て、整った顔立ちのかなりのイケメンだと思う。


気さくな感じも話しやすく、さぞ女性にモテることだろう。



それでも、比較するまでもなく私の心は兄を求めてしまうのだ。


瀬戸さんに一目惚れできたらどんなにいいだろう。


それができたら私は27年も兄への想いを拗らせてはいない。



「ところでさ、詩織ちゃんはこの後何か予定ある?」


「特にはないですけど……?」


「それなら移動して、一緒にディナーでも食べない?外食するのも一人より二人の方が入れるレストランの選択肢も増えるから助かるんだよね。行きたいフランス料理のお店があるんだけど、詩織ちゃんが付き合ってくれるなら嬉しいな」


ふと周りを見渡せば、あたりは薄暗くなってきていて、シャンゼリゼ通りの街頭には電気が灯り始めていた。


思いの外、長く話していたようだ。


言われて初めて自分もお腹が空いてきていたことに気づく。



「……分かりました。私もせっかくパリに来たのでフランス料理は食べてみたいです」


「本当?良かった!じゃあさっそく行こうか」



確かに一人旅だと外食の選択肢が狭まるというのは瀬戸さんの言う通りだった。


それでも、いつもの私だったら断っていたかもしれない。


でもこの時は、なんとなくいつもと違う選択肢を選んでみたくなった。


心の奥底で今のままの自分ではダメだという想いがあったからだろう。


私は彼に付き合うことに決め、席を立つ。



瀬戸さんは行き先が明確なようで、地図も見ずに私を案内しながら歩き出した。


座っていた時はあまり分からなかったが、こうして横に並び立つと彼の背の高さが際立つ。


たぶん185cmくらいあるんじゃないだろうか。


スーツが似合いそうな体形だなと思った。


しばらくパリの街を歩けば、エッフェル塔が見えてきた。


パリに来てから今日までの間でエッフェル塔はすでに何度か目にしていたが、暗い時間帯に見るのは初めてだった。


ライトアップされていて、昼間の光景とは全く違って幻想的だ。



「そういえば、エッフェル塔のシャンパンフラッシュってもう見た?」


「シャンパンフラッシュですか?」


「その感じだと知らなさそうだね。毎日日没から25時まで、1時間ごとに5分間だけ光るんだってさ」


「そうなんですか。夜に出歩かなかったんで知らなかったです」


「日没ってたぶん21時頃だろうから、あとでタイミングよく見れるといいね」



今はまだ18時半過ぎだ。


ディナーのあと、タクシーでホテルまで戻る時にでも車内から見られたらラッキーだろう。


観光目的ではなかった私は、こういう情報を持ち合わせておらず全然知らなかったが、せっかくだからぜひ見てみたいなと思った。



「着いたよ。行きたかったお店はここ」


「えっ、ここホテルじゃ……?」


「ホテルの中のフランス料理のレストランなんだよ。結構有名なところみたい」



案内された場所は、見るからに高級ホテルだ。


てっきり街中にある普通のレストランに行くのだと思っていたから面食らった。


荘厳な宮殿のような佇まいに気遅れする。



「……あの、こういうところだとドレスコードがあるんじゃないかと……」



伊達にスーツブランドで店員をやっていたわけではない。


TPOに合わせた服装は気にすべきポイントだ。



「詩織ちゃんのその格好なら問題ないよ。俺もこれ着れば大丈夫だしね」


なんてことないという風にそう言うと、どこから取り出したのか、瀬戸さんはサッとジャケットを羽織る。


ラフな格好が一気に締まった。


確かにこれなら許される服装だろう。



「さ、お腹空いたし行こうか?」


「あ、ちょっ、瀬戸さん……」



まさかこんな高級そうなところに行くとは想定してなくて戸惑う私に構わず、瀬戸さんは軽やかに中に入って行く。


どうしようかと立ち止まっていると、瀬戸さんに促されてしまい、仕方なく中に足を踏み入れた。


ホテルの中も、外観に違わずクラッシックな雰囲気のラグジュアリーな空間だ。


思わずキョロキョロとあたりを見回してしまう。



……こういう内装って、お兄ちゃんならすっごく喜ぶんだろうなぁ。参考資料にするって言いながら写真いっぱい撮りそう。



インテリアデザイナーである兄の行動を想像してしまい、自然と口元が綻んだ。


同時にまた兄のことを考えている自分にほとほと嫌気がさす。


もう兄への想いはいい加減手放さなきゃいけない。


いつまでも拗らせているわけにはいかないのに。



「どうかしたの?」


「……えっ?何のことですか?」


「何か思い詰めたような顔してたから。大丈夫?」



瀬戸さんは意外と人のことをよく見ているらしい。


些細な顔色の変化に目敏く気づいた。


心の中で思っていたことを口に出すわけにもいかず、私は微笑みながら誤魔化す。



「……ええ、大丈夫です。こんな立派なホテルに来たことなくてちょっと緊張していただけです」


「そう?ならいいけど。あ、レストランはここだよ」



ちょっと怪訝そうな顔をした瀬戸さんだったが、その時ちょうどお目当てのレストランに着いた。


確かにホテル内にあるレストランで、フランス料理のお店のようだ。


瀬戸さんが受付のところでなにやらスタッフの人と英語で話をすると、すぐに席へ通された。


予約もないのにこんなにスムーズに入れるもんなんだなぁと少し驚く。


意外とパリはどこもこんな感じなんだろうか。



案内されたのはパリの街並みが一望できる窓側の席だった。


さっき来る途中に見たエッフェル塔の輝きも見える。


クラシカルとモダンが融合したような店内の雰囲気も相まって、なんともロマンティックな空間だった。


店員さんに椅子を引かれ、腰を下ろす。


自分が場違いなのではないかとなんだか妙にソワソワした。



「詩織ちゃんは何食べたい?」


瀬戸さんはメニューを広げながら私に意見を聞いてきた。


彼には全く気負った感じはなく至って平然としている。


こういう場にも慣れている様子だった。



「特になければ俺が注文しちゃうけどいい?」


「あ、はい。お願いします」


「飲み物はどうする?ワインをボトルで注文して一緒に飲まない?」


「すみません、私お酒飲めないので、スパークリングのミネラルウォーターにしておきます」


「そうなんだ。オッケー、じゃあ注文しちゃうね」



瀬戸さんはオーダーを聞きにきた店員さんに私の分まで合わせて注文してくれる。


なにからなにまでとてもスマートだ。



……瀬戸さんって何者なんだろう?



以前働いていたお店にオーダーメイドスーツを購入しにきていたお客様達となんとなく同じ匂いがした。


注文してくれたのはシェフのおすすめコースだったようで、しばらくすると前菜、スープ、魚料理、肉料理……と料理が順番にサーブされる。


どれも新鮮な野菜がふんだんに使われた見た目にも美しい一品だ。


フランス料理はまるでお皿の上の芸術作品のようだ。


フォークやナイフを入れるのがもったいなく感じてしまう。



「どう?詩織ちゃんの口に合う?」


「あ、はい。どれもすごく美味しいです。それに見た目もキレイで視覚的にも楽しめますね」


「それなら、目の前にこんなキレイな女性がいる俺はもっと楽しめるね」



目を見ながらにっこり微笑まれた。


こんなキザな台詞をさらっと言える瀬戸さんはたぶん普段から言い慣れているのだろう。


他の人が言えば浮いてしまいそうな言葉だけど、彼の軽妙な口調だと自然な響きがした。



「詩織ちゃんみたいな可愛い子が食事に付き合ってくれるなんて本当俺ってラッキーだよ。彼氏は大丈夫だったの?」



瀬戸さんはさらに私を褒めるようなセリフを紡いできたけど、”彼氏”という言葉に私はギクリとする。


もちろん私に彼氏がいるからではない。


実兄に叶わぬ想いを拗らせていることを嫌でも思い出させられるからだ。



「……そういう人はいません」



運ばれてきたデザートに口をつけながら、私は苦々しい気持ちで答えた。



「え?本当に?じゃあ今はフリーなんだね。それならさ、食事の後に俺の部屋来ない?実はここのホテルに泊まってるんだよね。部屋からエッフェル塔が見えるから、さっき言ってたシャンパンフラッシュも見れるはずだよ」



さっき話した話題を絡めて、すごく自然に部屋へ誘われた。


このホテルが瀬戸さんの宿泊先なら、そもそもこのレストランに来た時点でそのつもりだったのかもしれない。



部屋へのお誘い、それはつまりそういうお誘いなのだろう。


男女の駆け引きに縁のない私でも、言葉の意味するところくらいは分かる。


大人の男女なら、偶然出会った人とそういう夜を過ごすことも珍しくないのかもしれない。


でもこれまでの人生で私には無縁だった。


なにせ私はそもそも《《経験》》自体がないから。


それどころか、キスをしたことすらなかった。



なのに私は……



「……じゃあ部屋で見てみたいです。シャンパンフラッシュ」



気づけば思わずそう返事をしていた。


瀬戸さんに惹かれたからというわけではない。


ただ、もう叶わぬ恋から身を引きたかった。


なんでもいいから今までと違うことをして、今の自分から脱したかった。



……そしたら、きっと前に進める。きっと今より楽になれるはずだから。

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