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#創作BL
灯依
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ruruha
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ゆずき
526
第5話 冬域の飛行
秋域を離れた移動車が山道を登り始めると、窓の外から緑が少しずつ減っていった。
土の上に薄く積もった雪が現れ、木々の枝にも柔らかな粉が乗っている。
さらに坂を上がる。
景色は一度ごとに冬へ近づいた。
やがて道の両側は雪に包まれ、遠くの山肌まで淡い灰色と薄紫の陰影で続いていた。
陽菜が窓へ額を近づける。
「すごい。さっきまで秋だったのに」
吐いた息で窓が曇った。
指先で丸く拭うと、その向こうを雪が横切った。
美咲も隣へ寄る。
「急に別の場所へ来たみたい」
「四季星では、地域の境界を越えると空気の流れも切り替わります」
リセラが前方の座席から振り返った。
「冬域は山の高さによって気候がさらに細かく分かれています。今日訪れる地域は、穏やかな雪が長く続く場所です」
直人は窓の隅に表示された気温を見た。
「外はかなり冷えてるのに、道路は凍ってない」
「地面の下を温水が巡っています」
トウラが胸元の端末へ触れた。
「車道だけでなく、歩道や宿泊施設の周辺も凍結しにくくなっています。雪景色は残しながら、歩く場所だけ安全に保つ仕組みです」
「雪を溶かしすぎないんだ」
悠斗が言う。
「はい。冬域では、雪を景色として守ることも大切にされています」
移動車が長い曲がり道を抜けた。
その瞬間、五人の前に山々が開けた。
雪をまとった峰が幾重にも重なり、その谷間に小さな町が抱かれている。
屋根の上には厚い雪。
煙突からは細い湯気。
道沿いには黄緑に光る樹木が植えられ、昼の薄い光の中でも静かに輝いていた。
町の向こうには、湯気を上げる温泉池が点在している。
さらに遠くには、雪原を横切る細い線が伸びていた。
その上を、小さな乗り物が音もなく進んでいる。
美咲が窓へ手をついた。
「ここに泊まるの?」
「本日の夕方から、あちらの温泉街へ移動します」
リセラが答える。
「その前に、私有飛行区域で小型飛行機を体験していただきます」
陽菜が振り返る。
「本当に操縦できるの?」
「短時間ですが、進行方向と高度を操作できます」
「落ちない?」
「安全装置が常に支えます」
蓮が窓の外を見たまま口を開いた。
「安全装置が動いてるなら、俺たちが失敗しても大丈夫ってことか」
「大きく進路を外れた場合は、すぐに自動操縦へ切り替わります」
美咲が両手を握る。
「やりたい。絶対やりたい」
「私も」
陽菜がすぐに続いた。
直人は少し遅れて、山の向こうへ目を向けた。
「飛行区域はどのくらい広いんですか」
トウラが答える。
「地球の都市が幾つか入るほどです。土地はすべて主催企業が所有しています」
「個人の土地じゃないんだ」
「企業所有ですが、四季星では広い土地を私有地と呼ぶ場合があります」
直人は小さくうなずいた。
窓の外に、鉄鋼で作られた細い柱が見えた。
柱の先には丸い印があり、移動車が通過すると黄緑の光を放った。
トウラの端末も短く鳴る。
「飛行区域へ入りました」
道は雪原の中央へ伸びていた。
両側には建物も柵もない。
風が吹くたび、雪の表面に細かな筋が生まれていく。
悠斗は窓越しに目を細めた。
何もない場所なのに、見ているだけで胸が広がる。
地球の暮らしから遠く離れたことを、初めてはっきり感じた。
同時に、ここへ来られた幸運を、誰かへ伝えたくなった。
けれど地球へ戻ったあと、この景色をどんな言葉で説明すればいいのか分からなかった。
飛行場は、雪原の奥に突然現れた。
大きな建物ではない。
雪を押し分けるように作られた低い格納庫と、そこから真っすぐ伸びる滑走路。
滑走路の左右には、淡い水色の光が一定の間隔で並んでいる。
五機の小型飛行機が格納庫前に待機していた。
丸みを帯びた機体は、鳥の翼を短くしたような形をしている。
窓は大きく、座席から地面まで見渡せそうだった。
美咲は移動車を降りるなり、雪へ足を踏み出した。
靴が柔らかく沈む。
「ふかふか!」
陽菜も続いて飛び降りた。
二人の足跡が並んで伸びる。
蓮は雪を手ですくい、軽く握った。
指の間から細かな粒がこぼれた。
「地球の雪と変わらない」
「成分は少し異なりますが、触った感覚は近いはずです」
トウラが厚手の手袋を差し出す。
「長く触れると冷えますので、こちらをお使いください」
悠斗は空を見上げた。
低い雲の間から薄い光が差し、雪原の一部だけを照らしている。
風は冷たい。
だが痛いほどではない。
鼻から吸い込むと、肺の奥まで澄んでいくようだった。
静かな場所だった。
雪を踏む音。
防寒着がこすれる音。
遠くで飛行機の装置が動き始める低い音。
それ以外には何も聞こえない。
美咲が両腕を広げた。
「ずっとここにいたい」
直人が帽子を押さえながら言う。
「まだ飛んでもないのに」
「もう景色がいいもん」
陽菜は足跡のついていない場所を選びながら歩いた。
「踏むのがもったいない感じがする」
悠斗も雪へ足を置いた。
一歩ごとに、自分の形が残る。
後ろを振り返ると、五人分の足跡が移動車から飛行機まで続いていた。
春域の花畑。
夏域の湖。
秋域の農園。
どの場所でも五人は並んで歩いた。
けれど、形として道が残るのは冬域が初めてだった。
リセラが五人を呼んだ。
「搭乗前に操縦方法をご説明します」
飛行機は二人乗りだった。
前方に招待客。
後方に案内役。
一度に二機が飛び、残りの者は観覧室で待つ。
最初に悠斗と美咲が乗ることになった。
直人、陽菜、蓮は雪原に面した観覧室へ向かう。
悠斗が機体へ近づくと、側面が上へ開いた。
中には柔らかな座席と、小さな操縦輪がある。
操縦席の前には、窓一面を使った透明な表示板が広がっていた。
高度。
速度。
進行方向。
風の流れ。
すべてが簡単な記号で示されている。
トウラが後部座席へ乗り込んだ。
「朝倉さんの機体は私が担当します」
悠斗は操縦席へ座った。
身体に合わせて座席がゆっくり動く。
腰と肩を包まれたところで、細い帯が胸元を固定した。
「苦しくありませんか」
「大丈夫です」
「操縦輪を左右へ動かすと、機体が向きを変えます。手前へ引くと上昇、前へ押すと下降します」
「自動操縦中に動かしても?」
「反応しません。体験区域へ到着すると操作できるようになります」
隣の機体では、美咲がリセラと一緒に乗り込んでいる。
窓越しに大きく手を振ってきた。
悠斗も振り返す。
観覧室の窓には、陽菜と蓮が並んでいた。
直人は少し離れた場所から飛行場全体を見ている。
「出発します」
機体の下で低い音が鳴った。
滑走路をゆっくり進み始める。
速度が上がる。
雪原が左右へ流れていく。
身体が座席へ押しつけられた。
機首が持ち上がる。
地面が離れた。
悠斗は息を止めた。
雪原が下へ沈んでいく。
格納庫が小さくなり、移動車は掌に乗るほどになる。
滑走路の水色の光が一本の線へ変わった。
機体は雲の下を滑るように進んだ。
揺れはほとんどない。
窓の向こうに広がるのは、地上から見ていた景色とはまるで違っていた。
雪原には風が作った模様が幾つも走っている。
丘の斜面には木々が集まり、紫と灰色の影を落としていた。
谷間には細い川が流れ、その一部は氷に覆われている。
凍っていない場所だけが深い緑色を映していた。
遠くの山は大きく、けれど機体の中から見ると手を伸ばせば届きそうだった。
悠斗は窓へ顔を近づけた。
「すごい」
それ以外の言葉が出なかった。
隣を飛ぶ機体の中で、美咲が両手を振っている。
口が大きく動いていたが、声は聞こえない。
それでも何を言っているか分かった。
すごい。
きれい。
見て。
悠斗は笑った。
「朝倉さん、呼吸が速くなっています」
後ろからトウラの声がした。
「緊張されていますか」
「違います。見たい場所が多すぎて」
「では、速度を少し落とします」
機体の進み方が穏やかになった。
眼下を流れていた景色が、一つずつ見えるようになる。
雪に半分埋もれた小さな森。
崖から垂れ下がる氷の柱。
温泉の熱で雪が溶け、丸い池になっている場所。
池の周りには動物の足跡が集まっている。
「飛行区域には野生動物も暮らしています」
トウラが言う。
「飛行音を怖がらせないよう、機体の音は地上へ届きにくくなっています」
「この高さからでも動物を探せますか」
「前方の表示へ触れてください」
悠斗が透明板に触れる。
景色の中に、小さな印が現れた。
森の端。
雪のくぼみ。
岩場の陰。
そこに丸い身体を持つ動物が数頭いた。
長い毛に覆われ、角の代わりに大きな耳を持っている。
雪へ顔を入れ、何かを掘っていた。
悠斗が指を差す。
「美咲にも見えるかな」
「隣の機体へ印を共有します」
トウラが操作すると、美咲の機体が少し高度を下げた。
窓の向こうで、美咲が動物を見つけたらしい。
両手を頬へ当て、身体を揺らしている。
悠斗は思わず声を出して笑った。
その瞬間、後方で短い通知音が鳴った。
トウラの端末に数字が映る。
悠斗が振り向くより早く、表示は閉じられた。
夏域で見た光景が脳裏をかすめる。
記録。
安心。
感動。
反応価値。
胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。
けれど窓の外には、見たことのない雪山が広がっていた。
疑いだけで目を閉じるには、あまりにも惜しい景色だった。
悠斗は再び前を向いた。
「自分で操縦できるのは、いつですか」
「まもなくです」
機体は二つの山の間へ入った。
谷の中央には、雪に覆われた平らな土地が広がっている。
透明板の表示が変わった。
操縦可能。
操縦輪の中央が黄緑に光る。
「両手で握ってください」
悠斗は操縦輪へ手を置いた。
「急に動かさず、まず少しだけ右へ」
ゆっくり傾ける。
機体が応じた。
山の位置が少しずつ移動する。
身体もわずかに傾く。
自分の手の動きで、進む方向が変わっている。
「動いた」
「そのまま進んでください」
「もっと曲がれますか」
「少しずつなら」
悠斗は操縦輪をさらに動かした。
機体が大きな弧を描く。
雪原を見下ろしながら、空中を滑っていく。
恐怖よりも、不思議な軽さが勝った。
地上では決められた道を歩く。
車では道路を進む。
けれどここには、目に見える道がない。
進みたい場所へ向かえる。
どこへでも行けそうな気持ちになった。
「次は上昇してみましょう」
操縦輪を手前へ引く。
機首が持ち上がる。
山の向こう側が見え始めた。
さらに遠くへ雪山が続いている。
その間を細い雲が流れていた。
悠斗は息をのみ、力を緩めた。
「これ、ずっと操縦していたくなるな」
「初めて体験した方は、よくそう話します」
「トウラさんは毎日飛ぶんですか」
「案内がある日は飛びます」
「慣れても、きれいだと思いますか」
後ろから答えが返るまで、少し間があった。
「はい。毎日、違う形になりますから」
風が変わる。
雪が積もる。
氷が溶ける。
動物が歩く。
同じ場所でも、昨日とは違う。
その言葉を聞いた悠斗は、もう一度ゆっくり機体を曲げた。
観覧室では、陽菜が窓へ張りついていた。
「いいなあ。楽しそう」
蓮は椅子へ座り、飛んでいる二機を目で追っている。
直人は室内の案内板を見ていた。
飛行経路が細い線で表示されている。
線の周囲には幾つもの印。
森。
温泉池。
野生動物保護区域。
観覧地点。
その中に、一つだけ名称のない灰色の区画があった。
四角く囲まれ、上から斜めの線が重ねられている。
直人が近くにいた係員へ声をかけた。
「この場所は何ですか」
係員は案内板を見た。
「飛行禁止区域です」
「理由は?」
「設備管理のためです」
「何の設備?」
係員の指が端末へ伸びる。
「詳しい情報は公開されていません」
「私有地の中に、主催企業も説明できない区域があるんですか」
「担当部署が異なります」
直人は区画を拡大した。
周囲の飛行経路は、そこだけを避けるように曲がっている。
道路も近づいていない。
けれど区画の中央には、細い建物らしき形が映っていた。
雪で覆われた屋根。
地面へ続く四本の線。
その隣には、地下へ下りる入口のような四角い影がある。
係員が案内板へ手を伸ばした。
表示が通常の大きさへ戻る。
「操作範囲外の情報です」
直人は係員を見る。
「今、消しましたよね」
「誤操作を防ぐためです」
陽菜が二人のそばへ来る。
「どうしたの?」
「飛べない場所がある」
「危ない場所なんじゃない?」
「そうかもしれない。でも説明が曖昧だ」
蓮が立ち上がった。
窓の外では、二機が山の間を曲がっている。
「どこにある?」
直人は案内板の端を指した。
「飛行場から北へかなり離れてる。俺たちの経路からは見えない」
陽菜が画面へ顔を近づける。
「次の飛行で近くを通れないかな」
係員がすぐに答えた。
「規定経路から外れることはできません」
陽菜が振り向く。
「少し近くへ行くだけでも?」
「できません」
声は丁寧だった。
けれど、返事は早すぎた。
直人は係員の胸元にある記録端末を見た。
表示の隅で、自分の名前が一瞬だけ光った。
高瀬直人。
警戒。
係員は端末を裏返した。
「次の搭乗準備をお願いいたします」
陽菜は直人の袖を軽く引いた。
「飛んでから探そう」
直人は案内板を見つめたまま答えなかった。
最初の二機が戻ると、美咲は機体から降りる前から話し続けていた。
「雪の中に動物がいたの! 耳がすごく大きくて、雪へ顔を入れてて、それから自分で曲がったら山が横に流れて、思ったより怖くなくて」
足を雪へつけると、すぐに陽菜の両手を握った。
「絶対楽しいから。窓から下まで全部見えるよ」
陽菜の顔が明るくなる。
「どのくらい操縦できた?」
「思ってたより長かった。あと、少し上にも行ける」
蓮が悠斗を見る。
「どうだった」
悠斗は機体を振り返った。
「帰りたくなくなる」
「そんなに?」
「飛べば分かる」
直人が近づく。
「飛行禁止区域を見つけた」
悠斗の笑みが消えた。
「どこに?」
直人は声を抑えた。
「北側。建物があるのに、設備管理としか説明されない」
美咲がリセラを見る。
リセラは別の係員と話している。
「また記録と関係あるのかな」
「分からない」
直人が続ける。
「次は俺と陽菜が飛ぶ。近くへ行けるか試す」
「勝手に進路を変えたら危ない」
悠斗が言った。
「安全装置がある」
「それでも、いきなりやるな。まず経路を見て、場所だけ確かめよう」
直人は不満そうに息を吐いた。
「慎重なのは俺の方だと思ってた」
「慎重だからこそ、帰れない場所へ入るな」
二人の間に短い沈黙が落ちる。
蓮が飛行機へ目を向けた。
「俺の番は最後だ。見えそうなら探す」
陽菜が手を上げる。
「私も見る」
リセラが戻ってきた。
「次は高瀬さんと結城さんです」
直人と陽菜は、それぞれ別の機体へ乗り込んだ。
陽菜の機体が先に離陸した。
上昇した瞬間、陽菜は声を上げた。
「わあ!」
後部座席のリセラが少し笑う。
「驚かれましたか」
「思ったより地面が離れるのが早い!」
飛行場が小さくなる。
雪原が一枚の布のように広がった。
地上で見ていた足跡は、もう分からない。
代わりに、雪の起伏や風の模様がはっきり見えた。
陽菜は右を見て、左を見て、前へ戻る。
目が足りなかった。
山の斜面には、雪の下から緑の木々が列を作っている。
谷間の川は曲がりながら遠くへ続き、薄い氷が光を受けて水色に輝いていた。
小さな温泉池から立ち上る湯気が、風に流されて雲へ混じる。
「上から見ると、地図みたい」
「地図は上から見た景色をもとに作られますから」
「でも、地図よりきれい」
陽菜は窓へ手を当てた。
指先の向こうを、鳥の群れが飛んでいく。
羽は黄緑と灰色。
機体と同じ高さまで上がり、しばらく並ぶように飛んだ。
一羽が窓へ顔を向けた。
丸い瞳が陽菜を見る。
「鳥!」
「冬渡り鳥です。この季節だけ山を越えます」
「一緒に飛んでる」
群れは機体の前へ出ると、風に乗って上昇した。
羽ばたかずに滑り、やがて雲の手前で方向を変える。
陽菜は身体をひねり、見えなくなるまで追いかけた。
「飛行機に乗ってるのに、鳥をうらやましいと思う」
「自由に見えますか」
「うん。でも寒そう」
リセラが小さく笑った。
「結城さんらしい答えです」
端末が短く鳴る。
陽菜は音へ振り返った。
リセラは画面を伏せなかった。
そこには、陽菜の名前と数字が表示されている。
陽菜、二百九十一。
感動。
「やっぱり記録してるんだ」
リセラの笑みが止まる。
陽菜は責めるような声を出さなかった。
前を向き直り、鳥が消えた方角を見た。
「今の気持ちも?」
「はい」
「何に使うの?」
「旅行体験を評価するためです」
「誰が評価するの?」
「主催企業です」
「良い数字が出ると、何かある?」
リセラはすぐに答えなかった。
機体は雪山の上を進む。
「今は景色を楽しんでください」
「それ、答えたくないときに言うよね」
陽菜の声は穏やかなままだった。
リセラは端末を閉じた。
「結城さんは、よく見ています」
「直人ほどじゃないよ」
「高瀬さんは、見つける前から疑います」
「私は見つけてから気になる」
陽菜は窓の外へ顔を向けた。
遠くで直人の機体が飛んでいる。
規定経路を進みながら、少しずつ北側へ寄っているように見えた。
「操縦体験区域へ入ります」
透明板の表示が切り替わる。
陽菜は操縦輪を握った。
「まず右へ曲がってみましょう」
陽菜がゆっくり動かす。
機体が滑らかに向きを変えた。
「わ、本当に私が動かしてる」
「少し上昇してみますか」
「する」
操縦輪を引く。
山の尾根が下へ移動する。
視界が広がる。
その先。
遠く離れた雪原に、不自然に平らな場所が見えた。
周囲は起伏があるのに、そこだけ四角く削られている。
中央には低い建物。
その周りを、鉄鋼の柵が二重に囲んでいた。
建物から離れた場所に、細い柱が何本も立っている。
柱の間を、何かが移動していた。
人のようにも見えた。
陽菜が目を細める。
「リセラさん、あれは?」
リセラが前を見る。
次の瞬間、機体が自動で左へ曲がった。
操縦輪の光が消える。
「え?」
「体験区域の境界へ近づきました」
「まだ遠いよ」
「風が変わったため、安全な経路へ戻ります」
陽菜は後ろを振り返った。
「今、建物が見えた」
「管理施設です」
「周りに誰かいた」
「作業員でしょう」
「雪の中を歩いてたよ」
「冬域では珍しくありません」
返事は滑らかだった。
けれどリセラの指は、端末の縁を強く握っていた。
陽菜はそれ以上聞かなかった。
窓の外で、四角い土地が山の陰へ隠れていく。
見えなくなる直前、建物の側面に大きな扉があるのが見えた。
扉は地上ではなく、地下へ向かって開いているように見えた。
直人の機体も北側へ近づいていた。
操縦席の前には、飛行経路を示す線が表示されている。
案内役はトウラだった。
「高瀬さん、少し右へ曲がりすぎています」
「このまま進むと何がありますか」
「飛行区域の境界です」
「案内板では、まだかなり内側だった」
トウラの丸い瞳が細くなる。
「地図表示には多少の差があります」
「飛行禁止区域を避けるためじゃないんですか」
機体の自動操縦が作動した。
直人の手から操縦権が外れる。
進行方向が南へ戻る。
「操作時間は終了です」
「まだ二分も経ってない」
「気流が不安定です」
窓の外にある雲は、ほとんど動いていなかった。
直人は後ろを向いた。
「俺たちが見たら困るものがある?」
トウラは答えない。
胸元の端末に、短い文字が表示される。
質問継続。
警戒値上昇。
直人は文字を読んだ。
「俺の警戒も記録してるんですね」
トウラは端末を手で覆った。
「安全のためです」
「怒ったら数字が増える?」
「高瀬さん」
「笑えば価値が上がる。安心すれば記録される。疑えば警戒として保存される。俺たちは体験者じゃなく、測定される対象なんじゃないですか」
機内に低い装置音だけが残った。
トウラはしばらく直人を見つめていた。
「この旅行中、皆さんの安全は保証されています」
「それは答えじゃない」
「私から話せるのは、それだけです」
直人は前を向いた。
遠くに、四角く囲まれた土地が見える。
山の陰へ半分隠れている。
陽菜の機体よりも距離があったが、建物の周囲を動く影は確認できた。
数は一つではない。
列を作っている。
何かを運んでいるようだった。
その上を、細い監視機が旋回している。
「作業員なら、なぜ飛行禁止なんですか」
トウラは答えなかった。
機体は南へ向きを変えた。
雪山が間へ入り、施設は見えなくなった。
最後に、蓮が飛ぶ番になった。
悠斗たちは観覧室で待っていた。
陽菜と直人から話を聞き、案内板の北側を見つめる。
美咲が声を落とした。
「働いてる人がいたんだよね」
陽菜がうなずく。
「遠かったけど、何人もいた」
「普通の施設なら隠す必要はない」
直人は腕を組んだ。
「しかも操縦を切られた」
悠斗が飛行経路を確認する。
「蓮の経路は少し西側だ。山の上まで上がれば見えるかもしれない」
「リセラたちも、もう気づいてると思う」
美咲が窓の外を見る。
蓮の機体が滑走路へ入った。
「無理しないでほしい」
「蓮は無茶をしない」
悠斗が言う。
直人は小さく首を振った。
「黙ってやるから一番分からない」
機体が離陸した。
雪原を越え、山の方へ進んでいく。
蓮は操縦席で前を見ていた。
後部座席にはリセラが乗っている。
機体は悠斗たちよりも西側の経路を飛んでいた。
眼下には、温泉街へ続く谷が見える。
屋根の上に雪を積もらせた建物。
細い路地。
水路を流れる温かい湯。
夕方が近づき、軒先の灯りが一つずつともり始めている。
湯気の向こうを、人々が歩いていた。
蓮は窓へ顔を向ける。
「地上を歩くのも楽しそうだ」
「飛行後に向かいます」
「温泉は露天?」
「雪を見ながら入れる浴場があります」
「酒は?」
「地球人向けに調整した果実酒をご用意しています」
「それはいい」
リセラがわずかに笑う。
「真田さんは、温泉街を楽しみにされていたのですね」
「飛行機より、そっちの方が落ち着くと思ってた」
「今は違いますか」
蓮は山の向こうへ目を向けた。
「飛んでみると、これもいい」
機体は尾根へ近づく。
透明板に操縦可能の表示が出た。
蓮は操縦輪を握った。
ゆっくり上昇する。
風が機体の下を流れ、わずかに揺れた。
「無理に高度を上げなくても大丈夫です」
「このくらいなら平気だ」
機体が尾根を越える。
向こう側の景色が開いた。
山々の間に広がる雪原。
その端に、四角い私有区画。
建物。
柵。
列を作る人影。
蓮の視線が止まる。
リセラがすぐに気づいた。
「進路を戻します」
「待って」
自動操縦が入りかけた瞬間、蓮は操縦輪を強く握った。
まだ操縦権が残っている。
機体を少し右へ向ける。
透明板に警告が出る。
リセラが前へ身を乗り出した。
「真田さん、規定経路へ戻ってください」
蓮は返事をしなかった。
区画へ近づくつもりはない。
ただ、見える角度を保った。
建物の脇に、大きな搬入口がある。
人影はそこから出て、雪原の端へ歩いていく。
誰も厚い防寒着を着ていなかった。
腕や脚には、薄い布しか見えない。
列の後ろを、別の人物が歩いている。
手には細い棒。
先端が黄緑に光っていた。
人影の一人が雪へ膝をつく。
後ろの人物が近づく。
蓮の手に力が入った。
「作業員か」
リセラは答えない。
「作業員に見えない」
「距離があります。正確には分かりません」
「分からないなら、どうして見るなと言う」
警告音が鳴る。
操縦権が切り替わった。
機体が強く左へ曲がる。
区画が窓の端へ流れた。
蓮は身体をひねって見続ける。
建物の屋根に、大きな印があった。
春域、夏域、秋域、冬域。
四つの地域を示す記号が一つに重なっている。
その下には、数字が並んでいた。
何かの管理番号。
さらに、その横。
見覚えのある地球の文字が小さく記されていた。
読むには遠すぎる。
だが、四季星の文字ではなかった。
蓮は前へ向き直った。
「地球と関係がある施設か」
リセラは唇を閉じたままだった。
「俺たちが選ばれた理由とも関係ある?」
「真田さん」
「答えなくていい」
蓮は操縦輪から手を離した。
「答えないことが答えになる」
機体は温泉街の方角へ戻っていく。
窓の外には、息をのむほど美しい雪景色が広がっていた。
けれど蓮の目には、もう施設の影が残っていた。
飛行体験を終えた五人は、夕方の温泉街へ移動した。
移動車が石畳の道へ入ると、両側の建物から湯気が立ち上がった。
屋根には雪が積もり、軒下には丸い灯りが並んでいる。
店先では蒸した果実や、温かな汁物が売られていた。
湯気に甘い香りが混じる。
道の脇には細い温泉水路が流れ、所々に足を浸けられる小さな池が作られている。
陽菜が車を降りるなり駆け寄った。
「足湯!」
防寒靴を脱ぎ、縁へ腰を下ろす。
水へ足を入れた瞬間、肩が落ちた。
「温かい」
美咲も隣へ座る。
「飛行機のあとだと、余計に気持ちいい」
悠斗と蓮も靴を脱いだ。
直人は周囲を確かめてから、少し離れた場所へ足を入れる。
雪が静かに降り始めた。
大きな粒が湯気の中へ落ち、触れる前に消えていく。
美咲が両手を差し出した。
手袋の上に雪が乗る。
「飛んで、温泉に入って、雪を見ながらご飯を食べるんだよね」
「帰りたくなくなるって言っただろ」
悠斗が笑う。
「本当にそうかも」
陽菜が足を揺らす。
温かい湯が小さく波立った。
通りの向こうでは、蒸した果実を串へ刺した料理が売られている。
甘い香りが風に乗ってくる。
蓮が立ち上がった。
「買ってくる」
「私も行く」
美咲が急いで靴を履く。
二人は店へ向かった。
悠斗は湯気越しに町を眺めた。
飛行場で感じた広がりとは違う。
ここには、人の暮らしが近くにあった。
店員の声。
食器の音。
宿泊客の笑い声。
雪を落としながら店へ入る人。
温泉水路の上を渡る小さな橋。
どこを見ても、冬を楽しむ工夫があった。
この町だけを見れば、四季星は親切で、美しく、訪れた者を喜ばせることを大切にする場所だった。
だからこそ、雪原の奥にある施設が、景色の中へ刺さった異物のように思えた。
陽菜が湯の中で足先を重ねた。
「さっきの人たち、寒くないのかな」
直人が答える。
「寒いと思う」
「温泉街はこんなに温かいのに」
「誰でも使えるわけじゃないんだろう」
悠斗が二人を見る。
「今夜、見たものを整理しよう」
「リセラさんにも聞く?」
陽菜が尋ねる。
「今聞いても、管理施設としか言わない」
直人は足湯の水面を見つめた。
「だったら、自分たちで確かめるしかない」
「場所はかなり遠い」
「道路がなくても、何かしら運ぶ経路はある。施設が動いてるなら、人や物が出入りする」
蓮と美咲が戻ってきた。
手には湯気を上げる串料理。
「何の話?」
美咲が悠斗へ一本渡す。
「施設への道を探す話」
直人が答えた。
蓮は串を一口食べたあと、低い声で言った。
「地下へ続く入口があった」
四人が蓮を見る。
「人が並んでた。防寒着も着てなかった」
美咲の手が止まる。
「こんなに寒いのに?」
蓮はうなずいた。
「屋根に地球の文字も見えた」
悠斗が身を乗り出す。
「何て書いてあった?」
「遠くて読めなかった。でも四季星の文字じゃない」
直人の目が細くなる。
「地球人のための施設かもしれない」
「観光客用には見えなかった」
蓮は串を持ったまま、雪の降る通りを見た。
店の灯りが雪へ映り、道全体が柔らかく輝いている。
「この町を楽しめば楽しむほど、あそこが気になる」
美咲が小さく息を吐いた。
「せっかく来たのにね」
陽菜が串料理を受け取る。
「楽しいことまで嫌いになりたくない」
悠斗は手の中の料理を見た。
蒸した果実から甘い香りが上がっている。
一口食べると、柔らかな酸味のあとに、温かな甘さが広がった。
冷えた身体へ染みていく。
「嫌いになる必要はない」
悠斗は言った。
「飛行機が楽しかったことも、温泉が気持ちいいことも本当だ。施設がおかしいことも本当かもしれない」
直人が悠斗を見る。
「両方見るってことか」
「今まで通り」
美咲が果実をかじった。
「じゃあ今日は楽しむ。夜にちゃんと話す」
陽菜がうなずく。
「温泉にも入る」
蓮がもう一本の串を取る。
「飯も食う」
直人は少しだけ口元を緩めた。
「観察もする」
五人は足湯へ並んだ。
雪が降る。
湯気が昇る。
遠くの山は、夕暮れの中で紫の影になっていた。
その向こうには、飛行機から見た立入禁止区域がある。
けれど今だけは、足元の温かさと、手に持った料理の味と、隣にいる四人の気配を覚えておきたかった。
宿は温泉街の最も高い場所に建っていた。
部屋の窓からは、町全体と山々が見渡せる。
露天の浴場には細かな雪が降り込み、湯の表面へ小さな輪を作っていた。
五人は入浴着へ着替え、肩まで湯へ浸かった。
陽菜が手のひらで雪を受ける。
湯気に触れた粒が、すぐに水へ変わる。
「冷たいのに、すぐ消える」
美咲は浴槽の縁へ腕を置いた。
「一日で飛行機と雪見温泉って、ぜいたくすぎる」
蓮が目を閉じる。
「果実酒もある」
浴槽の横には、小さな容器が浮かんでいる。
中には薄い紫の果実酒。
悠斗が一口飲む。
甘さのあとに、少しだけ熱が残った。
身体の内側と外側から温まる。
頭上では雪。
目の前には温泉街の灯り。
遠くでは、雪道を走る小さな乗り物がゆっくり進んでいる。
美咲が湯へ深く沈んだ。
「本当に来てよかった」
言葉が湯気へ溶ける。
誰もすぐには返事をしなかった。
それぞれが同じ景色を見ながら、別のことを考えている。
陽菜は鳥と並んで飛んだ時間。
悠斗は自分の手で機体を曲げた感覚。
美咲は雪山を見下ろした瞬間。
蓮と直人は、施設の周囲を歩く人影。
やがて直人が浴場の外へ目を向けた。
「また記録してる」
庭の端に、トウラが立っていた。
雪の下で端末を操作している。
悠斗は視線だけを向け、すぐに温泉街へ戻した。
「今は見せておこう」
直人が眉を寄せる。
「何を?」
「俺たちが楽しんでるところ」
美咲が不思議そうに悠斗を見る。
悠斗は果実酒をもう一口飲んだ。
「向こうが数字ばかり見てるなら、その間に俺たちは別のものを見る」
陽菜が小さく笑った。
「見る側を見るって、蓮が言ってたね」
蓮は目を開けた。
「もう始まってる」
温泉の湯気の向こう。
トウラの端末に、五人の数値が並んでいた。
満足。
安心。
感動。
集団結合。
その下で、別の項目だけが高くなっている。
探索意欲。
トウラが表示を閉じる。
少し離れた場所で、リセラが山の方角を見ていた。
立入禁止区域は、夜の雪に隠れて見えない。
それでも彼女は、そこに何があるか知っていた。
そして五人が見たことも、もう分かっていた。
深夜。
町の灯りが少しずつ消えたあと、五人は窓際に集まった。
机の上には、飛行場でもらった観光案内図が広げられている。
冬域の山。
温泉街。
飛行場。
私有地。
直人が北側を指した。
「施設はこの辺り」
蓮が少し位置をずらす。
「もう少し西だ。山の陰に入ってた」
陽菜が窓の外を見る。
「温泉街からだと、山を二つ越える」
「普通には行けないな」
美咲が案内図へ頬を近づける。
「道がない」
悠斗は図の端を指でなぞった。
温泉街から北へ延びる温水管。
山の下を通り、飛行場の近くへ続いている。
途中で線が分かれ、一つだけ名称のない場所へ向かっていた。
「これ」
直人が身を乗り出す。
「施設へ続いてる」
「温泉の管?」
陽菜が聞く。
「表向きはそう書いてある。でも雪の中で働いてる人がいるなら、暖房や水が必要だ」
蓮がうなずく。
「管の点検路があるかもしれない」
美咲が窓の外の暗い山を見る。
「行くの?」
誰もすぐには答えなかった。
旅館の中は静かだった。
遠くで温泉水が流れる音が聞こえる。
悠斗は案内図を折りたたんだ。
「今夜は行かない」
直人が顔を上げる。
「理由は?」
「場所も分からない。装備もない。見張りがいるかもしれない」
「でも明日は移動する」
「だから朝、管の管理場所だけ見る。施設へ向かうかは、そのあと決める」
直人は少し考え、うなずいた。
陽菜が小さく息を吐く。
美咲は窓辺の椅子へ座った。
「明日の朝も温泉に入りたかったな」
蓮が言う。
「入ればいい」
「時間ある?」
「早く起きる」
「蓮も入る?」
「入る」
陽菜が笑う。
「じゃあ全員で朝の温泉に入って、そのあと探す」
直人が呆れたように眉を上げる。
「温泉優先なんだ」
「どっちも大事」
悠斗も笑った。
不安は消えていない。
立入禁止区域の正体も分からない。
それでも、旅をすべて疑いへ変える必要はなかった。
窓の外では雪が降り続いている。
朝になれば、町の屋根も道も、また新しい景色になっているだろう。
一度しか訪れられない冬域。
一度しか乗れない飛行機。
一度しか見られない雪景色。
その奥に隠された、見てはいけない区域。
五人は同じ窓から、同じ山を見た。
美しいと思う気持ちと、確かめたい気持ちは、どちらも胸の中に残っていた。
温泉街から離れた雪原。
二重の柵に囲まれた施設では、夜になっても灯りが消えていなかった。
地下へ続く搬入口が開く。
薄い服を着た人々が列を作り、地上へ出てくる。
足首には、同じ形の輪がつけられていた。
一人が雪の上で立ち止まる。
遠くの山を見上げる。
昼間、小さな飛行機が何機も通った方向だった。
監視役が細い棒を雪へ打ちつける。
黄緑の光が走る。
列が再び動き始めた。
建物の壁には、地球の文字で短い番号が記されている。
その下には、四季星の言葉が並んでいた。
過去系統保管区。
訪問客関連施設。
雪が強くなる。
文字は少しずつ隠れていった。
コメント
1件
おおー、冬域の飛行体験、めっちゃ良かった…!まず雪景色の描写が美しすぎて、窓の外の寒さと機内の温かさが交互に感じられたわ。自分で操縦輪握って山の向こうへ進む感覚、すげえ没入できた。 ただ、感動を数値で測られる違和感とか、「飛行禁止区域」の不自然な存在がじわじわ気になってくる構成がすごい。美しい景色とシステムの裏側、両方見せてくるバランスが絶妙やった。蓮が地下入口を見たシーンはゾッとした…。 次、どう動くんだろう。続きが気になる🔥