テラーノベル
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放課後の教室。日下部は部活の用事で席を立ち、遥だけが取り残された。窓から差し込む夕暮れの光は柔らかいはずなのに、教室の空気は沈み切っていた。周囲の席には、蓮司の仕掛けた“点数制いじめゲーム”の参加者たちが、獲物を狩る目でこちらを見据えている。今日は「過去」のテーマが割り振られ、クラス中の誰もが一番隠したい記憶を掘り起こされる日だった。
「おい、遙。今日はお前がターゲットだって聞いたぞ」
遠くから囁かれる声に、遥は小さく息を飲む。身体が固まる。
(……逃げられない……日下部は今いない……)
誰も手を出さずとも、空気だけで体が縮むようだ。教卓に置かれたペン、床のゴミ、視線の一点――全てが加害の装置になっている。生徒たちは楽しそうに、しかし冷酷に観察している。微かな笑い声が混ざり、痛みが予告なく迫る。
「さあ、今日のテーマは“家族の恥”。誰か、こいつの過去を語らせろよ」
声が響く。教師は“傍観”を演じつつ、細かく点数を記録している。誰も助けはしない。むしろ見て楽しんでいるのが、空気から伝わってくる。
最初の“挑発”が始まった。誰かが遙の教科書を机からはじき落とす。拾おうと手を伸ばすと、足を踏まれる。軽い痛みだが、耐える体力も精神も限界に近い。身体が小さく震える。目に涙が浮かぶ。嗤う声が教室に響き、遥の存在を徹底的に晒す。
「どうした? さっきの日下部みたいに耐えられないか?」
囁きが、まるで刃のように心に刺さる。日下部がいないことが、遥を孤独にする。目に見えない鎖で手足を縛られ、精神を踏みつけられる感覚。
(……もう、耐えられない……)
(……日下部を、巻き込めない……)
机の上に置かれたプリントには、「正直に過去を語れば得点」と書かれている。どこから見ても逃げ道はない。周囲の視線は痛烈で、身体と心にじわじわと食い込む。生徒の一人が、遥の髪を掴み、引っ張る。小さな叫びを堪える。目の前の加害の輪に、誰もが参加している。教師の視線も、微かな指示も、全てがゲームを成立させるための道具に変わる。
(……俺が、動かないと……)
(これ以上……日下部に関わらせたら……)
遥の胸の奥で、自己嫌悪と自己犠牲が絡み合う。日下部は、あのまっすぐな目で、自分を守ろうとする。今の状況を見せてはいけない。もし日下部がここにいたら、間違いなく身を挺して自分をかばうだろう。だから、誰よりも先に自分が耐えるしかない。
「……お願い……もう、俺が……俺が何でもするから……」
小さな声。かすれた声。けれど教室にはっきりと届く。目の前の誰もが微笑み、得点を稼いだ気になる。心の底から、遥は自分の存在を投げ出す覚悟を固めた。日下部を守るために、全てを引き受けると、文字通り自分の体と心を差し出す。
その瞬間、クラスの空気はさらに濃密になり、遥を中心に新たな加害の輪が形成される。日下部がいないからこそ、残酷さは増し、心理的圧迫は頂点に達する。遥は痛みの中で、これ以上日下部を巻き込ませないという“使命”を胸に、懇願するしかなかった。
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