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「あ、どうしたの?」
「ん。最近ハグしてなかったな、って思って」
「もう、恥ずかしいわ」
恥ずかしがるフリをして彼の腕から逃げ出した。
あー。蕁麻疹でるっ。二度と私にその汚い手で触れないで欲しい!!
胃の底からせり上がる嫌悪感を喜びの表情で強引に塗りつぶした。
私は俳優、私は俳優、今はサレ妻沙耶を演じているだけよ、と心の中で呟きながら気持ちを落ち着ける。でなければ、今すぐガリガリと肌を掻きむしってしまいそうだ。
彼から漂う香りは、理咲が好んでいたものとは異なっていた。別れたからってわかりやすい男ね。理咲に切り捨てられ、プライドをズタズタにされた負け犬が、唯一自分を全肯定してくれる私に癒しを求めにきたのよ。
「……改めて、感謝しているんだ。沙耶がいてくれることが、俺にとってどれだけ救いか、再確認したっていうかさ」
よく言うわ。愛人に捨てられて行き場を失っただけじゃない。次の相手がいないか、単に淋しいだけでしょ。
営業マンとしての成績はそこそこ、口先だけは達者だが、肝心なところで詰めが甘い。それが私の夫、藤崎涼二だ。
「さ、ご飯にしましょう」
不自然にならないように気を付けながら夫の気持ち悪い媚びる視線から逃げ出し、ご飯をよそって目の前に置く。「召し上がれ」
「うまそうだ。いただきます」
涼二は満足そうに私が用意したご飯を食べる。
ふふ。そうやって幸せそうにしていられるのも今のうち。もうすでに愛人は堕としたから、今度はじっくりとあなたを堕としてあげるから。
さて。仕込みますか。
私はエプロンのポケットに忍ばせておいたスマートフォンで、予め打ち込んでおいたメッセージを涼二に送信した。差出人は秋也。内容は、《近江先生と会える日程が決まったよ。来週の月曜日、夜、脚本家バーで会うことになった》と。
送った瞬間、涼二のスマートフォンがメッセージの着信を告げる。
彼は手元に伏せて置いておいたスマートフォンを手に取り、画面を見て目を開いた。
「どうしたの? すごく嬉しそうな顔してるけど」
「えっ、そうかな?」
「もしかして、脚本に関係している連絡?」
「――……なんでそう思ったの?」
涼二が驚いた様子で私に聞いてくる。あなたは想像もしていないでしょうね。私が秋也を作り上げ、陥れようとしているなんて。早く教えたいわ。
「私、わかっているのよ」
「な、なにを……」
「涼二、正直に答えてね。あなた今の仕事を辞めて、脚本を書きたいって思っているんでしょ?」
涼二の手が止まった。彼は、天魔が秋也として接近し、自分の才能を認め始めてから、すっかり自分が脚本家になれると思い込んでいる。ただ、それを私に話すのは時期尚早だと判断した理性が残っていることだけは拍手してあげたいけど、それ、要らないの。私の描くシナリオには、不要の感情。
もっと調子に乗ってくれなきゃ困るの。
じゃないと面白い展開にならないでしょ。観客はあなたが堕ちていく様を待ち望んでいるの。
「この前、お義母さんと電話でやり取りしたじゃない? 例のSNSで仲良くなった人、中原秋也の甥だっけ? その人が涼二の脚本を認めてくれたんでしょ?」
「ああ。そうなんだ。彼、僕を近江先生――偉大な脚本家の方に紹介してくれる約束をしてくれたんだ」
#大人ロマンス
煉彩
235
#セックスレス
深冬芽以
1,050
さぶれ-SABURE-
641
#相談女
澪
218
「すごい!! お祝いしなきゃ!!」
私は両手を挙げてバンザイした。「あなたの夢が叶うのね!」
「まだわからないよ。紹介してもらうだけだし」
「勝ったも同然よ。だって涼二、あなた、才能あるもの。ずっと世間の見る目がないって思っていたの。ようやく認められるのね!」
「大げさだな」
とか言いながらも、まんざらでもなさそうだ。おだてに弱い人だからね。
私はあなたのことなら、なんでもわかるのよ。
「だからまたシナリオの勉強始めたているんでしょ? 知ってるわよ。夜遅くまで頑張っているじゃない」
「気づいてたのか」
「当然よ。夫が頑張っているんだから。そうだ、夜食でも作ろうか?」
「ありがとう。じゃ、お願いしようかな。今日は金曜日だから頑張るよ」
「ええ。頑張って! 応援しているから。もう仕事も辞めていいんじゃないかしら。涼二なら大丈夫よ。きっとうまくいくわ! 中途半端にせず、やりきった方がいいと思う。辞表出すべきよ」
そう言うと、涼二が私の顔を見て目を開く。「驚いたな……沙耶はてっきり反対すると思ったのに」
「どうして?」
「どうしてって……普通ならそうだろ。他の同僚にも聞いてみたけど、妻が応援してくれるなんて、無いってさ」
意外に謙虚な所もあるのね。自信がない現れなんでしょうね。でなければ、とっくの昔に脚本家の夢を実現させていたはず。それを捨てて安泰の道へ走ったということは、やっぱりあの義母の影響が大きいのね。
だったらそれは、私が潰す。
あなたを地獄へ送るために。
「私は普通じゃないもの。あなたのこと、応援してるから。だから頑張って欲しい!」
あなたが私と天魔で張った罠にかかって、堕ちていく姿を見るために、ね。一番前の特等席で、その姿を拝ませてもらうわ、涼二。
コメント
1件
ああ、この回……すごかったですね。沙耶の「私は俳優」って自己暗示と、心の奥でぐるぐるしてる嫌悪感の温度差がゾクゾクしました。最後の「特等席で拝ませてもらうわ」の台詞、怖いのにカッコよくて、読んでるこっちまで引き込まれました。涼二がまんまと罠にかかっていくのを、もう止められないですね……続きが気になります!