「お咲っ!!」
岩崎の大声が響き渡る。
月子も慌てて廊下へ出ると、お咲の泣き声が耳をつんざいた。
「お、お咲ちゃん?!」
わーーんと、泣きながら、お咲が、廊下に突っ伏すように倒れている。月子はその様子に驚いた。
「誰に、誰にやられたっ!」
岩崎は跪き、お咲に問いかけ事情を確認しようとしている。
「し、しんぶん……」
泣きながらも、必死に答えようとするお咲に、
「よしっ!新聞配達員だなっ!」
配達員に突き飛ばされたのかと、岩崎は、すっかり頭に血がのぼっている。
しかし、月子も新聞配達員を知っているが、穏和な青年で、年端のいかないお咲を突飛ばしたり、はたまた、何らかのいさかいを起こしたりするような人間には思えなかった。
「し、しんぶん。しんぶん、しんぶんに……お咲が」
わんわん泣きながらも、お咲は必死に答えようとしている。
岩崎は、襲われたと思い込んでいるが、何かが違うような気がして、月子は、倒れるお咲を良く見てみる。
右手に新聞を握り、片方の足だけ草履をはいている。ふと、玄関を見てみると、ちゃんとガラス戸は閉まっていた。
お咲が戸を閉めたのだろう。ということは、この惨事は、おそらく家の中で起こったこと。
「……お咲ちゃん、ひょっとして、躓いて転んだ……の?」
月子の問いに、お咲は、いたいよぉーと、ぐずりながら、それでも新聞を差し出している。
「しんぶんの、お兄ちゃんが……」
泣きながらも、どうにかお咲が、答えた。
「そらみろ!新聞配達員にやられたのだっ!なんたる卑劣なっ!!」
「あ、あの……そうでしょうか?」
怒り心頭の岩崎を、月子はなだめた。
この現状から察するに、新聞を受け取ったお咲が家に入って来て、玄関の上がり口、框で躓いた。おそらく、草履が上手く脱げなかったのだろう。お咲は、そのまま、足がもつれ、倒れてしまったのではなかろうか。
月子はそう察したが、今の岩崎には、何を言っても通じない感じがして、どうすればと戸惑った。
「朝っぱらからごめんよぉー!」
ガラガラと玄関のガラス戸が勢い良く開かれ、二代目が、顔を覗かせるが、
「……なに、これ。京さん、なに家族ごっこやってんの?!」
飛び込んで来た、良くわからない状況に、さすがの二代目も裏返った声をだした。
「新聞配達だっ!!」
岩崎が、吠える。
「え?!京さん、新聞配達始めるのかい?!で、なんで、お咲が倒れてんの!!」
わかんねぇーよー!と、混乱した二代目は後ずさった。
「いや、これは!!」
二代目の後ろから、中年男性らしき声がする。
「なんと!先生のお宅では、我が社の新聞を購読ねがえておるのですかっ!!誠に光栄ですっ!!」
どこの誰だかわからない男は、二代目を押し退け、づかづかと上がり込んで来て、しゃがんでいる岩崎の隣に正座すると、胸ポケットから名刺を一枚取り出した。
「……新帝都新聞?」
名刺を無理矢理渡された岩崎は、仕方なし目を通している。
「記者の沼田と申します。ほら、こちらの新聞、我が社のものですよ」
沼田と名乗った男は、転んでいるお咲が握りしめている新聞を指差した。
「と、言う訳で、話が早いなぁー、先生、玄関先もなんですから、奥で話しましょう!」
沼田は、さっと、お咲が握る新聞を抜き取ると、これまた、ズカズカと歩みだした。
「あ、あの!」
この状況での来客。しかも、勝手に上がり込まれてはたまらないと、月子は、沼田に声をかけるが、
「あー、先生の妹さん。気にしないでいいよ。ちらかってても、おじさん、平気だから」
などと、言ってくれ、沼田は、勝手に居間へ入って行った。
「お、おい!月子は妹じゃないぞっ!」
岩崎が、怒鳴り付けながら、沼田の後を追う。
「……そうゆう問題じゃねぇだろうが。とも言えず……。なんか、すごいの、連れて来ちまったかも、俺……」
二代目が、呆然と立ち尽くしている。
「まあー、気楽に、気楽に!私は慣れてますから大丈夫ですよー!おかまいなく!」
沼田の大声が居間から流れて来た。
「あ、あの、二代目さん……」
「うん、月子ちゃん」
月子と二代目は、顔を見合わせる。
「立ち話もなんですから、、二代目さんも、上がってくださいというか……」
「だよねぇ。俺、いた方がいい感じがする。あの図々しさから、月子ちゃん!守ってやるからなっ!」
何故か、腕まくりをしながら、二代目も上がり込み、居間へ入って行った。
とりあえず、月子は倒れているお咲を起こして、抱き上げる。
何があったのかは、後から聞くとして、今は、茶の用意をした方が良いのだろうと、ぐずっているお咲を抱き、台所へ向かった。