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「いつだってキミがそばにいてほしかった。毎晩帰したくなかった。他のやつのところになんか、絶対に行かせない。…もう今夜は帰さないから」
甘い言葉をささやく唇が、わたしのそれに重なった。
甘い。
とても甘くて、なにもかもが蕩けていく。不安も怯えも迷いも…。
信じたい。
あなたを信じてしまいたい…。
そのまま空気を持ち上げるようにふわりと抱きかかえられ、わたしはベッドルームへと連れて行かれた。
そのまま、わたしは帰されることなく、課長と一晩を過ごした。
※
寒くて目を覚ました。
ここは…
見知らぬ天井が見えて一瞬どこにいるのかわからなかったけれど、記憶はすぐによみがえった。
そうだ…課長とそのまま…。
はっとして横を見ると、課長が眠っていた。
とっても安らかな顔をしている。
記憶が一気によみがえってくる。
課長の告白。キス。そして、そのまま抱きかかえられてここにつれていかれて…それから…。
わぁあ…
顔が火照って課長の寝顔から視線を外した。
甘く濃厚に、時にイジワルなスパイスをきかせてわたしを味わった課長…。こんな安らかな様子からは連想できないくらいの刺激的な課長の姿がよみがえる…。
夢のように素敵な時間。
好きな人と溶け合う幸福を初めて知った一夜でもあった。
わたし、課長の恋人になったったんだよね…。
わたしをやさしく包みながら「キミは俺のもの」と何度も繰り返して、知らしめるようにキスを降りそそいでくれた。
課長のものになったんだ…身も心も…。
これは、わたしにとって初めての愛。
これからどんなことが起きるかわからない非凡な関係ではあるけれど、わたしはきっともうこの先課長しか愛せない。
だから、どうか…
「大切にしてくださいね…」
寝顔にそっとお願いした。
すると、
「もちろんだよ」
唇が動いて、ぱちりと目があいた。
「おはよう」
「お、起きてたんですか」
「さっきね。そわそわ落ち着かないから目が覚めた。…まだ、実感ない?」
実感がないなんて思わない。忘れられないくらいじっくりと愛してくれたから。
だからこそ、顔が熱くなってうつむく。
「なんだか、うれしすぎてこわいくらいで…」
「こわい?…そうだね、俺も幸せすぎてやばい」
ぎゅうと抱きしめられた。
服をまとっていない身体は、熱い体温を知らしめてくる。
震える心にはじんと温かくて、安らぎがにじんだ。
自然と唇を重なり合わせて、わたしたちは微笑んだ。
「それにしても今朝は寒いなぁ…」
壁時計は明け方の六時をさしていた。
「タイマー設定し忘れたのもあるけど、今朝は一段と寒いよね」
「今、ヒーターつけてきますね」
とわたしはブランケットの一枚を身体に巻くとスイッチを押しに行った。
窓に近づくと一段と寒さを感じる。
ふと気づく、しんと静まりきった気配。
なんだか懐かしさを覚える朝の気配だ。
実家を出てから忘れていた、北国の朝の気配に似ている気がした。
わたしはそっとカーテンの隙間から窓をのぞいた。
「雪…」
思わずうれしくなって、わたしは課長に振り返った。
「雪が降ってますよ」
「へぇ、通りで寒いわけだ」
課長もブランケットをかぶってやってきた。
カーテンをあけると、綿帽子のような雪がゆっくりと地上に下りている光景がうつった。
「初雪だなぁ」
「そういえばそうですね…」
こんな時期にやっと初雪なのかぁ。
いつの間にか雪がない冬に慣れてしまったから忘れていたけど、実家がある地域はきっともう雪景色になってひさしいだろう。
「つもるかな?」
すこしワクワクした声で、課長が言った。
「どうでしょう…。きっと陽が昇りきったら溶けてしまうでしょうね」
「そっか」
「課長はあまり雪を見たことがないんですか?」
「ああ。生まれた場所も雪が降らない地域だったからね。雪をみるといつも積もらないかな、って期待してしまうんだ」
「ふふ、課長らしい」
「キミは案外クールだな…ってそっか、キミの実家は雪国だもんね」
「ええ。冬になれば辺り一面真っ白ですよ」
「綺麗なんだろうね」
「ええ…。厳しいけどその分だけ綺麗な光景ですよ」
抱き締めてくる温もりに身をゆだねながら、うなづいた。
「明け方、寒くて目を覚ますと、外はまだ真っ暗なのに、不思議と部屋が明るい時があるんです。そういう時は、雪が降りしきって、映る世界すべてが真っ白になっているんです。明るいのは、月明かりや街灯を雪が反射しているせい」
「幻想的だね」
「…ええ。雪が音を吸収するんで、いつもよりもしんと静まり返っているんですよ。聞こえるのはさらさらとした雪が降る音ぐらい。とっても綺麗で厳かで素敵な光景ですよ」
「…見てみたいな。その風景を、キミと一緒に」
課長がわたしの耳にささやいた。
きゅっと胸が甘く締めつけられる。
ドキドキするのをごまかして、わたしは笑った。
「んーでも寒いのが苦手な課長にはつらいかも」
「ふふふ。家の中で亜海にくっついて見るから大丈夫。―――行こう?二人でキミの故郷に行って。近いうちに必ず」
その言葉にふくまれる想いに、わたしの胸はじんと染み入るような幸福を覚える。
「必ず行くからね。ふたりで」
「はい…ぜひ…」
うなづきながら、わたしは温まりだした窓ガラスに落ちては溶け消える雪のかけらを見つめていた。
ここの雪は、故郷の雪とちがって、すぐに溶け消えてしまう…。
綺麗に空を舞う雪。
地上に落ちればすぐに溶け消えてしまう儚いもの。ここで見る雪は、何故だか寂しい気分を呼び起こす…。
わたしは…まだあのポーチのことが聞けずにいた。
持ち主は誰なの?
女の人が来ていたの?
…ううん、誰だっていい。
たとえこの部屋にわたし以外の女の人が来ていたとしてもいい。
今、わたしだけが、課長に愛されているのなら、それでいい…。
信じたい。信じてしまいたいって思ってゆだねたの。
だから…
すがるように課長の温もりに身をゆだねた。
どうか、わたしに与えられたこの愛も、儚く溶け消えてしまいませんように…。
そう願って閉じた瞳に、課長の唇がおちてきた。
とても柔らかくてやさしい口づけだった。