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ゆっくりと湯船に浸かり、私は息をついた。 薬草の粉末がお湯に溶けていて、まるで入浴剤を入れたみたいな感じになっている。綺麗な薄緑色をしているお湯を手ですくってサァッと落とす。ふんわりと香る爽やかな匂いにうっとりした。
「いいね、お風呂。生き返るよねぇ」
誰に言うともなく一人呟く。複数人で入っても狭くなさそうなくらい大きな湯船で脚をグゥーッと伸ばしたら肩の力が抜けてきた。思っていた以上に体は疲れていたみたいだ。
「いいね!一人風呂」
本当は此処の使用人の方々が『洗うのを手伝う』と言ってくれたのだが、もちろん断った。入浴を手伝わせるだなんて、どこの貴族の令嬢だ。お風呂くらいゆっくり一人で入りたい。服の上からでもわかるくらいのナイスプロポーション集団に、裸なんか見せてたまるか。
風呂場の使い勝手がわからなかったので準備だけは頼んだが、体を洗うのだけは自分でやりたかった。
使用人の方々はそれで簡単に引き下がったのだが、問題はカイルだった。
『体を洗うのを手伝う』と駄々をこねたのだ。『前は僕が洗っていた!』と言われても、『ならお願いしますね』なんて頼めるはずがない。会ったばかりの男性に裸を晒すとか意味がわからない。彼にとっては猫を洗う延長でも、私にとっては全然違うのだ。
『絶対に無理です。一人で洗えます!』
『一人だと溺れるかもしれないから、僕が洗う!』などと、アホ丸出しの言い争いをした末、私は逃げる様に風呂場に駆け込んで内鍵を掛けた。ドンドンとドアを叩いて何やら懇願され続けていたのだが、今は静かなのでセナさんに怒られたのかもしれない。
「——そういえばコレ…… 」
ふと左手薬指に目がいった。今は指輪の姿をした、黒いレース柄の元首輪。真ん中にある小さな紅い宝石がまるで猫の目の様でとても綺麗だ。どう考えても、お猫様の品だった。
「可愛いけど、なーんか今は複雑な気分だなぁ」
全身全霊で『カイル大好き!』を体現していたお猫様の記憶を追う度に、美形さんなカイルの事を、自分までもが好きなのかもしれないと、実は少しだけ勘違いし始めている気がするのだ。
(きっと、気持ちが引っ張られるだけで、全くの気のせいだとは思うんだけど…… )
だって、今の彼に惚れる要素なんか顔以外無いし。
記憶の中の彼も、現実の彼も、『イレイラ大好き!』を全身で表現して撫で回してくるもんだから自分自身が愛されてるんじゃないかと感じてしまい、これは恋心かもと、勘違いを加速させる要因になっているのかもしれない。
相思相愛の彼と猫。
幸せそうな二人の間に私が入る隙間なんて、無っていうのになんという事だ…… 。
「うん、絶対に引っ張られてるだけだって!会ったばかりで『好きかも』とか、無い無いっ!」
首を横に振って、自分に言い聞かせるみたいに叫ぶ。
「…… 首輪だったんなら、コレにも絶対に何か記憶が残ってるよね」
黒い指輪に再び視線がいった。ずっとつけていたのなら、コレには多くの記憶か、一番大事な記憶のいずれかがあるだろうと推測出来る。
「 …… 」
ゴクッと息を飲む。怖い物見たさの心境だ。今はまだ避けた方がいい気がするが、指に存在するそれはきっといつか、うっかり触れてしまうかもしれない代物だ。それならば今覚悟を決めて見てしまう方がいいのかもしれない。見て仕舞えば、案外あっさりした内容かもしれないのだし、過剰な期待や不安を持つ方がそもそも変な話なのかもしれないのだし。
だけどちょっとだけ心臓がドキドキしてきた。長湯のせいでのぼせてきた事も、加算されたのかもしれない。
「…… どうしようかなぁ」
そう呟き、左手で鼓動の早くなってきた心臓の辺りを軽く触れた、その時だ。丁度黒い指輪が、私の左胸に生れながらある痣に当たり、意図せず私の視界は真っ白になって記憶の中に引き込まれていった——