年越しに向けてバタバタとしている周囲とは違って、シェアハウスの住人達の暮らしは実にのんびりとしたものだった。やったのはせいぜいお祝いの時に作る料理の下拵えと、花火を見に行く時に着て行く服を選んだくらいである。
今日着る服を、カーネは結局ララに選んでもらった。上等か可愛いか否かの判断をする事くらいは彼女でも可能だが、結局は機能性を重視して無難なデザインの物をセレクトしてしまうからだ。
メンシスとの外出をどうしたって“デート”に仕上げて二人の仲を進展させたいララとしては是非ともお洒落な格好で出掛けてもらいたい。“好きだと認識している”程度ではいつまで経っても結婚にまでには至らないと理解しているララは、二人の現状に発破をかけるきっかけにでもなればと考えている。
『——こんなもんネ』
「うん。ありがとう、ララ」と言って、寝室にある大きな鏡の前でカーネがくるっと回った。白ベースのワンピースはプリンセスラインで裾に向かう程淡く青色になっていき、銀糸で雪の結晶の刺繍が施されていてとても綺麗だ。ワンピースの上には真っ白で厚手のループトリミングコートを着ている。これにシルバーフォックスのマフラーと革製の手袋をして、厚手のハイソックスの上に編み上げブーツでも履けば外でも寒くはないだろう。
『カカ様はお肌が綺麗だから化粧の必要もなさそうで助かったワ。メイクもヘアアレンジもアタシの手じゃやれないかラ、結局はベレー帽で誤魔化す感じになったのが心残りだけド』
肉球が愛らしい自分の手をララがじっと見る。人体での行動が未経験のララは、この体では不便だなと感じたのはこれが初めての事だった。
『当日が楽しみネ』
「そうだね。——ララは、ちゃんと花火を見た事はあるの?」
『あるわヨ。毎年という程ではないけどネ。だからアタシは、当日は此処で留守番する事にするワ』
「……え?ララは来ないの?」
『えェ。シス様が一緒ならアタシの護衛は必要ないシ、そもそもこれ以上はデートの邪魔をしたくないもノ』と言って、ララがパチッとウィンクしてみせる。『だから、コレはデートじゃないのに』とは今回も言えず、カーネは空笑いを返した。
とうとう一年の終わりがあと数時間後と迫ってきた。今日は仕事を休む者が多いが、商店街で店を営む者達とシェアハウスに住んでいる事になっている者達は『本日も仕事がある』と不在なままだ。稼ぎ時なので前者は仕事でも納得だが、もちろん後者は完全にメンシスからの指示であり、不在だというだけで当人達はきっちり休日を謳歌している。
「準備は出来ましたか?」
お祝いの食事を二人で食べ終え、出掛ける用意が出来たメンシスがカーネに問い掛けた。
「はい、もう大丈夫です」
ララが選んだ服とコートを着込み、帽子と手袋をして、マフラーも巻いたから防寒対策は完璧だ。彼の方も厚手の黒いコートを羽織っていて、シェアハウスに居る時は出しっぱなしになっていた獣耳も尻尾も、今日は隠した状態になっている。
出発目前なのにカーネはまだメンシスから行き先を聞かされてはいない。花火を観覧する絶好のポジションは何処の地域であっても人気があって混んでいるらしいのだが、時計を見上げるともうかなり遅い時間になっている。今から行ってもちゃんと花火を見られそうな場所なんかあるんだろうか?とカーネは不思議に思った。
「では行きましょうか」とメンシスがカーネに笑顔を向け、ダンスにでも誘うみたいに手を差し出す。貴族令嬢でありながらダンスの経験が一度も無いカーネだが、少し照れつつも、見様見真似でスカートを軽く掴んでそれぽくお辞儀をしてみせた。どちらからともなくクスッと楽しそうな笑みが溢れる。ふわりとした空気感を纏いながら、二人は賑やかな街の中へ出掛けて行った。
ウォセカムイ地区の中にある商店街は案の定ヒトの山だった。どの店もここぞとばかりに店の前で露店を出し、中心部となる広間では楽しそうに踊る人々や様々な楽器の演奏をしている者もいる。歌声も聞こえ、店への呼び込みの声も飛び交い、商店街は昼間以上の活気に満ちていた。これでもいつもの年末よりは自粛ムードだというのだから驚きだ。
「す、すごく混んでいますね」
ほろ酔い状態の者が多い人混みを掻き分けながら、メンシスと共に進むカーネがポツリと呟いた。
「今年は去年よりは随分と空いている方ですけど、それでも、ですね」
ははっと笑いながら、逸れないようにと繋いだ手に力を入れる。残念ながら今日は他の道も此処と似たようなものだ。『空から移動するべきだったな』とメンシスが後悔しつつ必死に人を掻き分けて進んで行くと、目的の建物が段々と見えてきた。ここ最近出来たばかりの時計塔であり、新しくこの地区のランドマークにもなった建物だ。
(……あれ?こんな建物、此処にあったかな)
二階や三階建の建物ばかりが並び立つ地域なので、縦に細長い時計塔は夜であっても相当目立つ。だが以前商店街に来た時にはその存在に気が付かなかったのでカーネは不思議に思った。
「最近新しく建設されたんですよ」
にこりと微笑みながら、まるで他人事の様にそう言ったが、今日この日の為に彼が新しく建設させたものである。目立つ場所なので神力で一気にとはいかず、まずは突貫工事で外側だけは普通の工法で造らせ、内部からきちんとメンシスが補強した。カーネとの想い出の地を永遠に保存する為の保存魔法も既に掛かっている。
「なるほど」とカーネが頷く。それならば存在を知らなくても当然だと納得した様だ。
「あの時計塔が目的地なんですが?」
「そうです。この地区で一番高い建物ですから、絶好のポジションでしょう?」
「……まぁ、確かにそうですけど」
そんな場所なら余計に混みそうだ。『もっと早くシェアハウスを出るべきだったんじゃ?』と、カーネはどうしたって考えてしまう。
「こっちに入り口がありますよ」
手を引かれて先に進む。案の定時計塔の周囲はちょっとした広間になっているからか人が他よりも多かった。
もうすぐ花火が上がる時間だ。ベストポジションである時計塔に登る事が出来ないかと入り口を探してウロウロする者もいるが、皆が皆何処にも見つからずに肩を落としている。
周囲を気にし、メンシスがカーネの耳元に顔を近づけて「此処から上がれます」と告げた。だが目の前には魔石の入った照明器具が二つ並ぶ壁があるだけである。
「……本当に、此処なんですか?」
彼に倣ってカーネが小声で問い掛ける。するとメンシスはニコッと微笑みだけを返し、彼女の手を引いたまま壁に向かって歩き始めた。引っ張られるまま進み、『ぶつかる!』と思った瞬間、カーネがぎゅっと強く目を瞑る。だが衝撃は何もなく、恐る恐る瞼を開けると、二人は既に時計塔の中に入っていた。
「此処は、時計塔の管理者か、許可を得た者しか入れない構造になっているんです。なので今日はゆっくり花火を鑑賞出来ますよ」
「なるほど」とカーネが頷く。そのままの流れで内部を見上げたが、四角い建物の内部は筒状になっているだけで何処にも階段などといった物は見当たらない。見渡したが窓もなく、どうやって上に登るのかと彼女が不思議に思っていると、メンシスはカーネの手を引いたまま再び歩き始めた。
時計塔の丁度中央に当たる箇所に立ち、彼が周囲に魔力を流し始めると二人の足元に淡く光る魔法陣が出現した。丸いプレートの様になっているそれはそのままスッと音も無く彼らを上階に運んで行く。
「す、すごいですね」
「この高さだと、階段で登るのは骨が折れますからね」
「そうですよね……」
家出した当初よりは随分と体力もついてきた気がするが、それでも七階分程はありそうな高さの時計塔を登るとなるとやり遂げる自信は無い。きっと途中で断念して花火を諦める羽目になっただろうから、このシステムを完備した者にカーネは感謝を捧げたくなった。
——隣に立つ者が、まさにその相手であるとも知らずに。