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The Cage of Origin
空は裂けたまま、閉じる気配を見せなかった。
黒い歪みの奥にある“それ”は、世界のどこにも属していない。だが確実に、この世界すべてを内側から見下ろしている。視線という概念すら持たないはずなのに、カルディアははっきりと「見られている」と感じていた。
リエルの手が、彼の指先に絡む。
「落ち着いて。あれは“敵”っていうより……もっと厄介なものだから」
「……わかってる」
短く返した声は低く、しかし先ほどのような暴走の響きはわずかに薄れていた。リエルに触れていることで、辛うじて“均衡”が保たれている。
だがその均衡自体が、ひどく歪んでいる。
彼の中の欲望は消えていない。むしろ、より濃密に、より“焦点を持って”存在していた。
――リエル。
その存在に向かって、すべてが収束していく。
「……いい状態じゃないね、それ」
リエルは苦笑する。
「でも嫌いじゃないでしょ?」
カルディアは答えない。ただ彼女の手を握る力が、わずかに強くなった。
そのとき、“起源”が再び語りかける。
「観測完了」
声は静かで、感情がない。それなのに、どこか愉悦に似た歪みを含んでいた。
「欲望は収束し、個体へ依存。理想的な形だ」
「……何が言いたい」
カルディアが睨み上げる。
空間がわずかに歪み、“それ”の存在が一歩こちらへ近づいたように感じた。
「おまえは完成に近い」
「だが不完全だ」
「鍵が外部にあるからだ」
リエルの指先が、わずかに震えた。
カルディアはそれに気づき、彼女をさらに引き寄せる。
「……リエルに触れるな」
その一言に、黒い衝動が呼応するように揺れた。
“起源”は沈黙し、ほんの一瞬だけ世界が凍りつく。
次の瞬間。
空間が反転した。
足元の感覚が消え、上下も左右も意味を失う。重力が消えたのではない。概念そのものが剥がれ落ちた。
「……っ」
リエルの身体がわずかに浮く。
カルディアは即座に彼女の腰を抱き寄せ、離さないように固定する。
「ここは……」
「檻だよ」
リエルが静かに言う。
「“起源”の中。世界の外側にある……選別の場所」
周囲には何もない。光も闇も存在しない“空白”。
だが、その空白の奥に、無数の“影”が見えた。
形を持たない存在たち。過去に排除され、回収され、消された“何か”。
それらが、こちらを見ている。
「……選別?」
カルディアが低く問う。
リエルは一瞬だけ黙り、そして言った。
「欲望が暴走した存在を、ここで処理するの」
「……おまえも知ってたのか」
「うん。知ってた」
その答えはあまりにもあっさりしていた。
カルディアの瞳がわずかに細まる。
「……どこまで知ってる」
リエルは彼を見上げる。
その瞳はいつも通り穏やかで、けれどどこかだけ決定的に違っていた。
「全部、かな」
その瞬間、空間が大きく脈打った。
“起源”の声が、より近く、より鮮明に響く。
「鍵、確認」
「回収を開始する」
黒でも白でもない“何か”が、リエルへと伸びる。
カルディアは即座に反応した。
黒い衝動が噴き上がり、その触手を弾き飛ばす。
「触るな」
声は低く、確実に怒りを含んでいた。
“起源”は止まらない。
「不要な干渉」
「排除対象に格上げ」
空間が圧縮される。
圧力ではない。“存在を押し潰す概念”が直接作用している。
リエルの呼吸がわずかに乱れた。
「……カルディア、これ長引くとまずい」
「なら早く終わらせる」
カルディアは一歩踏み出す。
その瞬間、周囲の“影”たちが一斉に動いた。
かつて排除された存在たちが、形を持ち、牙を剥き、彼へ襲いかかる。
欲望の残骸。
壊れた回収者。
異形の意志。
すべてが、カルディアへ殺到する。
だが。
彼は止まらない。
触れたものから順に、黒に溶けていく。
喰らい、吸収し、消し去る。
「……足りない」
その言葉は、もはや本能だった。
リエルはその背を見つめる。
ほんの少しだけ、寂しそうに。
「……やっぱり、そうなるよね」
彼女は小さく息を吐く。
そして、一歩前に出た。
「じゃあ、そろそろ“私の番”かな」
その言葉に、カルディアが振り向く。
「……何をする気だ」
リエルは微笑む。
「言ったでしょ。全部知ってるって」
彼女の足元に、淡い光が広がる。
それは今までのどんな力とも違う、“起源”と同質のものだった。
空間がざわめく。
“起源”が、初めて明確な反応を示した。
「……識別」
「同一性確認」
「鍵、適合」
リエルの瞳が、静かに光る。
「ねえ、カルディア」
彼女は優しく呼ぶ。
「もし私が“奪われる側”だったら、どうする?」
その問いは、静かで、残酷だった。
カルディアは即答する。
「……奪わせない」
一切の迷いもなく。
リエルは、少しだけ目を細めた。
「うん。そう言うと思った」
次の瞬間。
彼女の身体が、“起源”へと引き寄せられる。
強制的に。
抗えない力で。
「リエル!」
カルディアが手を伸ばす。
指先が、かすかに触れる。
だが――
引き剥がされる。
「……っ!」
その瞬間、カルディアの中で何かが決定的に“切れた”。
欲望が、限界を超える。
対象は、ひとつ。
リエル。
それを奪われるという現実。
それが、彼のすべてを暴走させる。
「……返せ」
低い声。
空間が震える。
「……返せよ」
黒い衝動が、これまでにない規模で膨張する。
“起源”がわずかに揺らぐ。
「……異常進行」
「制御不能領域突入」
カルディアの瞳が、完全に闇へ沈む。
だがその奥に、ひとつだけ燃えている。
リエルを求める意思。
「……全部、壊してでも」
その宣言とともに。
彼は、“起源”へと踏み込んだ。
世界の外側へ。
理の外へ。
欲望そのものとして。
リエルは、その光景を見ながら。
静かに呟く。
「……ほんと、どうしようもないね」
けれどその声は、どこか嬉しそうだった。
「でも――それでいいよ」
彼女の姿が、完全に“起源”の中へ沈んでいく。
カルディアは、止まらない。
止まれない。
これは選択ではない。
もう、“そういう存在”になってしまった。
欲望の王。
奪われることを、絶対に許さない存在。
その代償を、まだ知らないまま。
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#恋愛