テラーノベル
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放課後の相談室。カーテン越しの夕陽が机の上をじわりと赤く染めていた。 椅子に座った女子は、視線を下に落としたまま口を開いた。
「……家に帰りたくないんです」
掠れた声。両手の指を、ずっともぞもぞと動かしている。
「親と顔合わせると、すぐ小言。『勉強しろ』とか『態度が悪い』とか。……それだけならまだいいけど、話してなくてもイライラされるんです。こっち何もしてないのに」
日下部は背もたれに体を預けて、少し目を細めた。ペンを指で転がしながら黙って聞く。
「友達にこんなの言えないし……家のことなんて、恥ずかしくて。外では普通にしてるけど、家に帰るときだけ……体が重くなる」
彼女の声はだんだん小さくなり、最後は聞き取れるかどうかのかすかな吐息だった。
「……わかる」
日下部が、不意に言った。
女子が顔を上げる。
「え?」
「俺んちも、似たようなもんだから」
日下部は窓の外を一度見て、また彼女に目を戻した。
「親と顔合わせるたびに、なんか言われる。別に大したことじゃなくても、勝手に機嫌悪くされる。……だから、家にいても休まんねぇな」
女子の瞳が揺れた。
「……ほんとに?」
「ほんとだよ。……だから、お前の言ってることは、わかる。家に帰りたくねぇってのも、普通にある」
しばらく沈黙が落ちた。教室の向こうで、誰かの笑い声が遠く響く。
「でも……家族なのに、うまくいかないって、やっぱおかしいですよね」
女子がぽつりと呟く。
日下部は首を横に振った。
「おかしくねぇよ。『家族だから仲良くすべき』っていうのは、外のやつらが勝手に言ってることだろ。実際、合わないことだってあるし、家族だって他人だ」
女子は目を瞬いた。
「家って、必ずしも安心できる場所じゃない。むしろ一番、傷つけられることもある」
日下部は視線を机に落とし、低い声で続ける。
「だから……無理に仲良くしようとしなくていいし、逃げてもいいんだ」
女子は小さく息を吐いた。
「……逃げていい、ですか」
「いい。逃げるって、生き延びる手段だからな。俺だって、家にいたくないときは、わざと遅くまで残ってた」
「……日下部くんも?」
「そうだよ。そうやってちょっと外で呼吸して……また仕方なく家に帰る。それでなんとかやり過ごしてる」
女子の表情が、ほんのわずかに緩む。
「……少し、楽になったかも」
日下部は肩をすくめた。
「別に楽にしてやろうと思って言ったわけじゃねぇけどな」
そう言いながら、でも視線は優しかった。
窓の外はもう薄暗い。
相談室に残された二人の沈黙は、重さを抱えたまま。でも、その奥で、かすかな灯がちらりと揺れていた。