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総務課のだれもがまったく手伝ってくれないまま、鍋パーティーの日が来ようとしていた。

味付けを考え、人数を考慮して必要な食材と量を見積もり、出席者に持参してもらう分はお知らせの文書を作って配布し、こちらが準備する分は発注書を作る。

ここまでは、一人ででもどうにかできた。

けれど、一番の山場である下ごしらえはどうにもならない。

野菜や練物などの食材は、参加者に下ごしらえをし終わった状態で持って来てもらうように通知しているから大丈夫だけど、肉や魚貝類はこちらが準備しなければならない。

そこで頼ったのが、亜依子さん率いる営業部チームだ。

亜依子さんの命で、営業や営業事務の女性たちが快くその手伝いを引き受けてくれた。

親睦会がはじまる数時間前に会社に集まってもらって、肉類の下ごしらえをお願いすることになっていた。

これで残ったのは魚介類だけ。

これは、わたしが準備しなければならなかった。

鮭や鱈は切り身状態だと割高になるから、一匹まるまる買って切り分けようと思ったんだけど、けっこうみんな魚をおろしたことがないみたいで…これだけはわたし一人でやることになったのだ。

どこでやるかというと…もちろん課長のお部屋で。





鍋パーティー当日。朝六時。

数箱の保冷ボックスを代車につんで、わたしは課長のお部屋の前まで来ていた。

スマホを取り出し、電話をかける。

課長、もう起きてるよね?

五コールくらいしたあと、電話がつながって、

『…もしもし』

課長の声が聞こえた。

「あ、あの今下にいますので、よろしくお願いします」

『ん。今行くからちょっと待っててね』

しばらく待つと、課長が姿を現した。

ちょっと疲れを残したその顔は、寝ぼけ眼だった。

あ…やっぱりまだ寝てたみたい…。

課長は日増しに忙しくなっていった。

大がかりな開発プロジェクトが立ち上がり、その中心となったからだ。

なのにこの鍋パーティーの準備まで手伝ってくれたから、疲れが溜まっているのかな…。

申し訳ない…。

「これ、ぜんぶさばくの…?」

「ええ、まぁ。でも見かけほど多くないんですよ」

と保冷ボックスを持ち上げる。

「大丈夫?持つよ?」

「あ、だいじょう」

断る前に課長はひょいとわたしからボックスを取り上げてしまった。

「重くないですか?」

「全然」

と、三箱一緒に持ち上げる。

一匹と言っても、まるまるだとけっこう重い。

それを三箱持っても表情ひとつ変えない課長に、ちょっとおどろく。

なんとなく、見かけの雰囲気で、重いもの持たなそうに見えたから。

…けど、腕まくりした二の腕に浮かぶ筋は、男らしくてドキリとする。

「運ぶから、キミは中に入ってて。大丈夫、助っ人呼んでるからさ」

え、助っ人?

と訝しむと、部屋から男の人が出てきた。

「服部部長…!」

「やぁ、おつかれさま」

と口端を寄せる部長だけど、課長以上に眠そうでお疲れの顔をしている…。

「部長…確か昨日まで出張だったんじゃ」

「ん。平気だよ」

と大きなスチロールを運んでくれる部長。

「そうそう。それはそれ、これはこれだからね。部下たちとの親睦を深める会の準備だ。上司こそ率先して準備しないと、痛っ」

「口動かす暇あったら身体動かせ。ただでさえ一日中座りっぱなしの仕事してるんだから、こんな時くらい動け」

ぷっ…思わず笑っちゃうやりとりだ。ほんとに仲がいいなぁ。

「すみません、じゃあお願いします」

そうして両上司にすべてを運んでもらうと、広いキッチンはあっという間に狭くなってしまった。

「じゃ、ここからはわたしがやりますんで、おふたりはリビングで休んでてください」

「うん―――って言いたいところだけど、この臭いだと休む気にはなれないなぁ」

…たしかにお魚の新鮮な臭いが素敵なお部屋に充満している…。

これは申し訳ない…。早く終わらさなきゃ。

わたしはお魚たちと対峙した。

魚をさばく作業は、見かけ通り重労働だ。

けれども気合で立派な鮭を切り身の山に変えると、上司ズは感激の声を上げた。

「ほう、慣れたもんだな」

「だろーお。料理人みたいに鮮やかな包丁さばきだ」

ぱちぱちと拍手を受け、わたしは照れ笑いを浮かべる。

小さい頃からおばあちゃんに特訓を受けていて本当に良かった。

「このくらい大したことないですよ」

「いやいや。最近じゃ魚を触ることもできないってコが多いのにすごいよー」

「まったくだな」

しみじみとうなづいている部長を、課長がからかうように横目で見た。

「どうだ友樹、羨ましいだろ。あいつは魚を触るどころか料理もろくにしないもんな。『家庭料理の一品くらい作れんと、嫁にもらってやらんぞ』って言ってみれば?」

「ぐ…うるさいな。おまえでも言っていいことと悪いことがあるぞ、裕彰」

「失礼しましたー」

今の話って、服部部長の彼女さんのことかな?

へーぇ、ガード固いって言われてるけど、やっぱり恋人がいたんだー。こりゃ知ったら部長ファンは泣くな。

って、またわたし秘密を知ってしまった。

なんて考えてる場合じゃない。

おろさなければならない魚は、まだたくさんある。

「俺も手伝おうか」

「いえ、課長はお疲れでしょ?他のことでもたくさん助けていただいたし…」

「人数多くしてやれば、早く終わるでしょ?」

まぁたしかに…。

その方がこの臭いからも解放されて、ふたりにも休んでもらえるよね。

お言葉に甘えて上司ズにも手伝ってもらうことにした。

けど、服部部長は力技でどうにか最後までさばききったけど、遊佐課長は途中で断念してしまった。

「こいつ、器用なのは機械相手だけなんだ」

「く…」

屈辱に耐えつつ、課長は皿に盛った切り身をラップして冷蔵庫に入れる作業を手伝ってくれた。

そんなこんなで下ごしらえが進み、すべてを終えたのは、営業部の方たちとの集合時間の二時間前。

次は鍋の汁を作らなければならない。

切り身が盛られた大皿を冷凍ボックスに戻し、それをまた台車に積んで、エレベーターで一階の給湯室に向かう。

部長はさすがに申し訳ないのでお部屋に残ってもらって、課長とわたしとで運んだ。

「部長、あの臭いが充満した部屋で休めるかな」

「大丈夫だろ、アイツああ見えてけっこう図太いから」

「ふふ。課長と部長って、ほんとに仲がいいんですね。大学生の頃からの付き合いなんですよね」

「ん、ゼミの先輩だったんだ。人嫌いな俺が唯一心許した珍しいヤツ」

「親友ってやつ、ですね?」

「ん…まぁ、そういうのかな、うん」

あ、照れてる。

かわいい。

ふふ、と笑うと、課長もはにかんだ微笑を浮かべて、懐かしむような表情を浮かべた。

君に恋の残業を命ずる

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