今尚荘厳さを保つ神殿の廊下を二人で歩く。保存魔法のおかげであの頃からさして傷んではいないのだが、随所にアイビーが侵食していた。『死しても離れるものか』と想う、私の信念が原因かもしれない。
ずっと此処まで当たり障りのない会話をしつつ歩いて来たが、このまま進めば一番大きな祭壇のある部屋に行き着く。まともな神経をしている者ならば絶対に案内はしないだろう。
だってそこは、“カーネ”がまだ“聖女・カルム”と皆に呼ばれ、信頼と愛情を一身に注がれていた時代に、双子の実妹と最側近である神官達に無惨にも殺された場所だからだ。
腹の中にはロロとララが宿っていて、臨月で、抵抗する間も無く殺された。顔の皮を剥がされ、肢体を喰らわれ、多くの神官達には血を啜られたと知っていながらもその場所に案内するとか……。今の彼女に記憶があるのなら、流石に私だって連れては行かないだろう。だが今はその頃の記憶が無いのだから、誰かにとやかく言われる謂れはないはずだ。
「一階は祭壇や祈祷室などといった部屋や神官達が寝泊まりするスペースがあります。二階や三階には上位の神官達が暮らす部屋と聖女、そしてその夫である大神官の寝所などといった生活空間になっていたんですよ」
「詳しいんですね」
「とても綺麗な場所ですからね、来る機会も今までに何度かあったので」
「そうだったんですね」
遥か昔に此処で暮らしていた頃があったからとはもちろん言わない。月の女神・ルナディア様の加護を持つ我々ルーナ族とは違い、ヒト族は過去世の記憶を持たないのだから、別の人生の話をされても信じられはしないだろうしな。
無言のまま、祭壇のある部屋の両面扉を押し開けた。皆が生きていた頃とは違い、今は信徒達が腰掛ける為の木製のベンチは全て撤去してある。吹き抜けになっているこの部屋の天井は遥か高い位置で、太陽と月の神々を描いた天井画が今尚美しい。正面の祭壇にはその二柱をイメージして彫られたクリスタル製の巨大な像が並び立ち、その奥にあるステンドグラスから差し込む光で綺麗に輝いて見える。
此処でカルムが死んだという痕跡は何一つとして残ってはいない。
惨劇があった形跡は、私がこの神殿を占拠した時にはもう無かったのだ。縦に長く、だだっ広い部屋の中央を二人で歩くも、あの日の痕跡を探す方が難しい。
「わぁ……」とカーネが感嘆の息をこぼした。初代聖女の死因に関しては、きっとカーネも偽りの事情の方ならば聞き齧ってはいるだろうが、この部屋がその舞台となった場所であるとは思ってもいないみたいだ。
「綺麗な場所ですね」
祈るみたいに手を重ね、目の前のステンドグラスをじっと見つめる。すぐ側には“カルム”が倒れた短い階段があり、私は少し複雑な心境になりながらも、「僕も、そう思います」と返した。
(やっと、やっと此処に、貴女とまた立てた——)
そう思うと感慨深い気持ちになる。そのせいかあの頃の“カルム”と今の“カーネ”の姿が重なって見えた。だからか、次の瞬間にはカーネの体を腕に抱いていた。そして強く抱き締め、瞼を閉じて「……カーネ」と今の名前をそっと呟く。
あの頃は、あの幸せが永遠に続くものだと思っていた。信じていた。彼女の周囲には善性の象徴とも言える神官達しかいないと考えていたし、庶民だけでなく貴族やソレイユの王家だけじゃなく、周辺国の者達にまで尊敬され、敬愛されてきたカルムがヒトの手で殺されるかもしれないと心配する要因は一つも無かった。
なのに、彼女は悲惨な終わりを迎えた。
しかも双子の実妹が首謀者となってだなんて、ヒト族の誰もが|ルーナ族《私達》の語る真実を五百年以上経った今でも受け入れないのは……今思えば無理の無い話なのかもしれない。
最初は驚いた様子だったが、カーネは何も言わずにぎゅっと私の体を抱き締め返してくれた。この建物に私達の他には誰も居ない事は彼女もわかっている。だからか、恥ずかしがったりなどする事もなく、クスッと嬉しそうに笑っている。
「——す、すみません。急に抱き締めてしまって」
腰に腕を回したまま、少しだけ体を離す。そして私は口元を綻ばせ、カーネの頭の上に真っ白なベールを、魔法を使ってそっと被せた。今日の彼女の服装はララに頼み、白を基調としたものになっている。だからかベールを被ると花嫁衣装そのものの様だった。
「これは?」
そっとベールに触れ、カーネが不思議そうな顔で私を見上げた。
「花嫁が、結婚式の時に頭に被るベールですよ」
「花嫁?花嫁……」とカーネが呟くみたいに反復する。そのたびにじわじわと頬を染めていき、照れくさそうに口元を震わせ始めた頃にはそっと俯いてしまった。
(可愛いなぁ……)
あの頃も今も、変わらず妻が愛しくって堪らない。この笑顔で、最悪な場所でしかなかったこの場所を、再び私達の幸せの象徴として記憶を描き直したい。だって、この二柱の神殿は初めて二人で創り上げたものなのだから、そうあるべきだ。
「……“貴女”を、愛しています。この先も永遠に、寄り添っていきましょうね」
“カルム”だった頃も、今の“カーネ”も、どちらも変わらず愛している。その先何度貴女が生まれ変わろうとも私は必ず見付け出し、その傍で貴女を愛し抜くと、女神・ルナディアに再び誓おう。
「——っ」
彼女からの返事は無い。だけどへの字に口を閉じたまま、真っ赤な顔をそっと上げてくれた。恥ずかしさがピークに達していそうだが、私は構わずベールを持ち上げて顔を露わにさせると、子供のお遊びみたいな口付けを彼女の唇に贈った。柔らかな唇の感触が心地いい。眠る貴女とする口付けも悪くはないが、反応がある分、幸せの度合いが全然違う。
(あぁ、幸せだ……)
じわりじわりと心が満たされていく。“カルム”の遺体が転がされた位置に立っているというのに、こんな気持ちになれるだなんて驚きだ。
「……わ、私も……あ、愛して、います……」
迷いなく『私も、愛しているわ』と告げてくれた|“カルムだった時代”《あの頃》とは違ってとても初々しい。そんなカーネに私は笑顔を返した。
「なんだか……ちょっとした、結婚式みたいですね」
「僕はまさに、そのつもりでしたよ」
今のカーネは聖女となれるだけの力を有しているから、太陽神・テラアディアの神殿には行けない。かといって、じゃあ女神・ルナディア様の神殿で式をとなると、それは不平等な気がして諦めた。だが“カーネ”にとってはこれが初めての結婚だ。挙式みたいなものをやってはやりたかったから、喜んでもらえたのなら嬉しく思う。
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