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第十章 白霧山の彼方へ
第四話 月に潜む影
再び静かな時間が訪れる。
焚き火の火は小さくなり、ぱちり、と控えめな音だけを立てていた。
交代の時間。
サフィアンがゆっくり立ち上がる。
「次、ジオだったよな」
「う……ん」
毛布から身体を起こしたジオが、まだ少し眠そうに目を擦る。
「無理そうならオレ起こせよ」
サフィアンがそう言いながら、軽くジオの頭をくしゃりと撫でた。
「……子供扱いするな」
「眠そうな顔してるやつが言っても説得力ないわ」
「……してない」
「してる」
小声で言い合う二人を見ながら、クロードが小さく息を吐く。
「お前達は本当に仲が良いな」
「長い付き合いだからな〜」
サフィアンが笑う。
やがて二人も寝床へ戻り、静かな夜が残された。
一人、焚き火の前へ座るジオ。
森は深い眠りの中にあった。
時折吹く風が木々を揺らしている。
ジオは膝を抱えながら、静かに空を見上げた。
木々の隙間からは、半分ほどの白い月が覗いている。
「……綺麗」
小さく漏れた声は、夜の中へ静かに溶けた。
昔は月を見るのが怖かった。
満月の夜になる度、自分を恐れた。
まるで、月そのものが呪いの象徴みたいだった。
けれど今は同じ月を見ても、ほんの少しだけ違う気持ちになれる。
ジオはそっと懐へ手を伸ばした。
取り出したのは、黒い小さな袋。
その中には、割れた御守りの欠片が入っている。
それを手のひらに乗せる。
複雑に絡み合う、月の紋章。
ジオはそれを静かに指先でなぞる。
祖母から聞いた話では、森で拾われた時お包みの中にあったものらしい。
いつも祖母から、肌身離さず持つように言われていた。
そしてラディスで、月蝕の子の力に目覚めた時に割れてしまった後も、ジオはそれを手放すことはなかった。
ただそれだけのもの。
だったはずなのに。
「……月の一族」
小さく呟く。
白霧山の向こう。
そこへ行けば、何か分かるのだろうか。
自分は何者なのか。
なぜ生まれたのか。
未来を変えられるのか。
考えたその時だった。
ふと、ジオの表情が変わる。
風が止んでいた。
森の音が、一瞬だけ消える。
「……」
ジオは静かに立ち上がった。
黒い瞳が暗い森の奥を見つめるり
夜の空気に、微かに混じる異質な気配。
それはまるで、冷たい泥がじわりと広がるような。
「……瘴気?」
その瞬間。
森の奥で、何かが動いた。
がさり——。
茂みの奥で、低い音が響く。
ジオは息を潜めたまま、暗闇を見据える。
焚き火の光が届かない森の奥。
そこに、何かがいる。
じわり、と。
空気の中へ滲む瘴気。
肌にまとわりつくような、嫌な感覚。
ジオの指先がわずかに強張る。
……魔物!
そう確信した瞬間だった。
低いうなり声。
次の瞬間、黒い影が木々の間から飛び出した。
「っ!」
ジオは咄嗟に後ろへ飛び退く。
焚き火の光に照らされ、獣のような姿が浮かび上がった。
狼に似た四足獣。
だが全身は黒い瘴気に覆われ、赤黒い目が異様に光っている。
「ガァァァッ!!」
魔物が地面を蹴る。
一直線にジオへ襲い掛かった。
その瞬間。
「どけぇッ!!」
青白い雷光が夜を裂いた。
飛び込んできたサフィアンの拳が、魔物の横腹へ叩き込まれる。
拳へ纏わりついた青い魔力が、雷と水飛沫のように炸裂した。
「ガァァッ!」
魔物の身体が大きく吹き飛ぶ。
地面を転がり、岩へ激突した。
「っしゃあ!!」
サフィアンが口元を吊り上げる。
両拳へ宿る青い魔力が、夜の中で激しく揺らめいていた。
「久々だなぁ、こういうの!!」
「お前ちょっと嬉しそうやな!?」
すでにリュートを手にしたラスタが呆れ半分で叫ぶ。
「そりゃ嬉しいだろ!」
ラスタは笑いながら拳を構え直す。
「帝国来てから、ずっとジオを守るだけだったしな!」
その背後でアクセルは大剣を掴み、黄金の魔力を静かに纏わせる。
クロードは細い剣を抜き放ち、透明な氷の結晶が刃の周囲へ浮かび上がった。
そして、ラスタは赤いリュートを抱え、静かに弦へ指を置く。
「……初野営でこれは勘弁してほしいわぁ」
軽口とは裏腹に、目は鋭かった。
ぽろん——。
低い音色が夜へ広がる。
その瞬間、森の奥から飛び出そうとしていた魔物達の動きが鈍った。
「……おい」
サフィアンが低く呟く。
木々の隙間。
そこには、赤い眼がいくつも浮かんでいた。
「囲まれてる……!」
低いうなり声が夜の森を満たしていく。
だが、ジオは違和感を覚えていた。
「……変だ」
「何がだ!?」
サフィアンが拳を構えたまま叫ぶ。
ジオは黒い瞳を細める。
「瘴気が……薄い」
帝都で感じたものとは違う。
もっと不安定で、薄く、散りかけているような感覚。
それに——。
ジオは無意識に、自分の胸元へ手を当てた。
来ない。
あの時みたいに、瘴気が自然と身体へ流れ込んでこない。
満月の夜。
帝都で感じた、世界中の闇が自分へ還ってくるような感覚。
あの圧倒的な流れが、今はない。
「……なんで」
小さく漏れた声。
戸惑いが胸を掠める。
あの時、自分は確かに受け入れられたはずだった。
怖くなかった。
闇は還りたかっただけだと、ちゃんと分かったのに。
なのに今は、自分から意識して触れようとしなければ、瘴気は動かない。
しかも目の前の魔物達はまだ暴れている。
近づけば間違いなく襲われる。
「来るぞ!!」
アクセルの声が響く。
次の瞬間、魔物達が一斉に飛び出した。
アクセルが大剣を振るう。
黄金の斬撃が夜を裂き、先頭の魔物をまとめて吹き飛ばした。
同時に、クロードの剣が静かに閃く。
足元へ広がった氷が、魔物達の動きを瞬時に拘束した。
透明な結晶が月光を反射し、森の中で鋭く輝く。
「今だ!」
「おう!!」
サフィアンが地面を蹴った。
雷光。
青い閃きが森を駆け抜ける。
拳が魔物へ叩き込まれる度、雷と水の魔力が炸裂し、衝撃波のように周囲を吹き飛ばしていく。
「遅いわ!!」
魔物の爪を身を捻って避け、そのまま懐へ潜り込む。
雷を纏った拳が下から突き上げるように、魔物を吹き飛ばした。
鳴り響く轟音。
青白い火花が夜空へ散る。
「……すごいな」
アクセルが思わず呟く。
「想像以上だ」
「速い……」
クロードも静かに目を細めた。
剣とは全く違う。
まるで雷そのものが駆け回っているような戦い方だった。
「サフィアン!右!」
シュンタのリュートが鋭く鳴る。
赤い音の波が広がり、飛び掛かった魔物の動きが一瞬止まる。
「助かる!」
サフィアンの拳が、その魔物を真横から叩き飛ばした。
だが、魔物はまだ消えない。
黒い瘴気を纏ったまま、苦しむように地面でもがいている。
その姿を見た瞬間、ジオは走り出していた。
「ジオ!?」
サフィアンが叫ぶ。
だがジオは止まらない。
暴れる魔物へ近づこうとする。
しかし
「まだだ!」
サフィアンが魔物の前へ立つ。
「今は危ない!」
雷を纏った拳が、再び魔物へ叩き込まれる。
クロードの氷が動きを止め、アクセルの光が周囲を照らす。
魔物の動きが、少しずつ弱まっていく。
そしてようやく、魔物が力なく地面へ伏した。
「ジオ」
サフィアンが静かに頷く。
「今なら」
ジオはゆっくり近づいた。
暴れる力を失った魔物へ、そっと手を触れる。
冷たい。
その瞬間。
魔物の奥に残った瘴気の感情が、一気に流れ込んできた。
怖い。
苦しい。
還りたい。
ジオは静かに目を閉じる。
「……大丈夫」
黒い瘴気が、ゆっくりとジオの身体へ流れ始める。
月明かりの下。
黒い闇は静かに、あるべき場所へ還っていった。
魔物の身体が、淡く崩れるように消えていく。
それを最後に、森には再び静寂が戻った。
ぱちり、と焚き火の音だけが静かな夜へ響いている。
ジオは深く息を吐いた。
「……はぁ……」
わずかに身体がふらつく。
「おっと」
すぐ隣で、サフィアンが支えるように肩を抱いた。
「大丈夫か?」
「うん……」
ジオは小さく頷く。
「前よりは、辛くない」
その言葉に、サフィアンが少しだけ安堵したように息を吐いた。
一方アクセルは周囲へ視線を巡らせながら眉を寄せる。
「……夜でもあまり嫌な気配がなかったからな」
地面へ残る魔物の痕跡を見つめ、小さく息を吐く。
「結界石も使わず、油断しすぎた」
「さっきジオが、“瘴気が薄い”と言っていたな」
クロードが静かに口を開く。
「それで気付くのが遅れた可能性もある」
「なるほどなぁ……」
ラスタがリュートを抱え直しながら、ふとジオを見る。
「にしてもジオ、あの時みたいにならへんかったな」
「あの時?」
「帝都や」
ラスタは少し真面目な顔になる。
「瘴気が勝手にジオんとこ集まっとったやろ?なんで今回は違うん?」
その問いに、ジオは少し考え込むように目を伏せた。
「……わからない」
静かな声。
「でも、多分……」
黒い瞳が、空に浮かぶ月を見上げる。
「あの時は、月の光を浴びるみたいな感覚だった」
全員が静かに耳を傾ける。
「自然に瘴気を受け入れていたんだ」
帝都の満月。
世界中の闇が、自分へ還ってきた感覚。
怖くはなかった。
ただ、還りたかっただけなのだと、あの時確かに分かったから。
「……今は、その光が足りない感じがする」
ジオはゆっくりと言葉を探す。
「影が薄い……みたいな」
その言葉に、アクセルが小さく呟いた。
「……満月か」
金の瞳が細められる。
「それが、あの能力が発動する条件なのかもしれないな」
「えぇ!?」
サフィアンがすぐに声を上げた。
「でもまたああなったら、ジオ危ないだろ!」
心配そうに顔を覗き込む。
「あの後しばらく、めっちゃしんどそうだったし!」
ジオは少し困ったように笑った。
「まだよく分からないけど」
自分の手を見る。
「前より、瘴気を吸収しても辛くないのは確かなんだ」
そして目尻を下げ、ふわりと穏やかに笑う。
「それに、みんながいるから大丈夫だと思う」
一瞬。
しん、と空気が止まった。
そして
「それズルいやん……」
ラスタが顔を覆った。
「なんや今の……」
「急にそんなこと言うなよ……」
サフィアンまで耳を赤くしている。
アクセルは小さく吹き出し、クロードも呆れたように息を吐いた。
「無自覚か」
「え?」
「いや、何でもない」
焚き火の火が揺れる。
戦いの後だというのに、その場にはどこか穏やかな空気が流れていた。
コメント
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わあ、今回もすごくよかったです!特にジオが月を見上げながら「綺麗」って呟くシーン、昔は月が怖かったのに今は少し違う気持ちになれるっていう成長が伝わってきてじんわりきました。戦闘シーンではサフィアンの雷光がかっこよくて「どけぇッ!!」の台詞に痺れましたね。最後にジオが「みんながいるから大丈夫」って言った後の仲間たちの照れ方が可愛くて、チームの絆がしっかり描かれていてほっこりしました。瘴気が満月の時だけ強く発動する条件も気になります!続きが待ち遠しいです。
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