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松下一成
77
ruruha
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柘榴とAI

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コメント
1件
みぅ🤍🥀です。読んできました。 第2話、やっぱり柘榴さんの描く景色って、すごく優しくて、ちゃんと息ができる感じがするよね。花畑の音とか、椅子の調整とか、ひとつひとつの描写が細やかで、読んでて自然と肩の力が抜けていったよ。 特に蓮くんと陽菜ちゃんの距離感がじわじわ縮まってるのが、静かに胸に来た。「時間が合えば」って蓮くんが言ったところ、めっちゃグッときた。ああいう、本当にちょっとした変化が好きなんだよね、私。 それと、五人で撮った集合写真のところ、なんか泣きそうになった。地球を出たときより確かに近づいてる。距離が縮まるって、そういう積み重ねなんだなって。 あと最後の「記憶反応、一時停止」の表示、めっちゃ気になる……そっとしておいてほしいような、でも知りたいような。続き、ちゃんと読ませてもらうね。 素敵な時間をありがとう。ゆっくりでいいから、また書いてね🌙
第2話 春域の眠り
春域の風は、地球の春よりも静かだった。
花畑を渡ってきた香りが、五人の服や髪へ淡くまとわりつく。
強すぎず、弱すぎず。
息を吸うたびに胸の奥がほどけていくような風だった。
朝倉悠斗は、案内役のあとを歩きながら周囲へ目を配った。
歩道の両側には、背丈の違う花が重なるように咲いている。
黄色。
紫。
黄緑。
水色。
見慣れた色に近いものもあれば、光の角度によって緑から紫へ移るものもあった。
花びらの形もさまざまだ。
細長いもの。
丸いもの。
羽のように重なったもの。
風が吹くたびに、花畑全体が大きな生き物の背のように波打った。
「すごい」
結城陽菜が小さく声を漏らした。
前を歩いていた藤原美咲が振り返る。
「さっきから、それ何回目?」
「だって、見るところ全部すごいんです」
陽菜は歩道の端へ寄り、膝を曲げた。
紫の花が、陽菜の顔へ向かってゆっくり首を傾ける。
「動いた」
「風じゃなくて?」
高瀬直人が足を止める。
陽菜が右へ顔を動かすと、花も右へ向く。
左へ動くと、花も左へついてくる。
「見てます」
陽菜の声が弾んだ。
美咲がすぐにカメラを構える。
撮影音が続けて鳴った。
「陽菜ちゃん、そのまま。その花、完全に陽菜ちゃんを気に入ってる」
「私も気に入りました」
陽菜が指先を近づける。
花びらがわずかに震えた。
触れる直前、真田蓮が低い声を出した。
「触って大丈夫ですか」
陽菜の手が止まる。
案内役の四季星人が振り返った。
胸元には四つの季節を表す小さな飾りが付いている。
頬から首へ続く模様が、呼吸に合わせて淡く揺れていた。
「その花は、人の体温を感じると顔を向けます。触れても危険はありません」
通訳された声は穏やかだった。
陽菜は蓮を見る。
「大丈夫みたいです」
蓮はうなずいた。
陽菜が花びらへ触れる。
柔らかな音が鳴った。
鈴よりも低く、木の実が触れ合うような音だった。
周囲の花も続けて鳴り始める。
一輪。
二輪。
やがて歩道の両側へ音が広がっていく。
美咲がカメラを下ろした。
「花畑が歌ってる」
「人の接触へ反応しているんでしょう」
直人が花を見つめる。
「触れた一輪から周囲へ振動が伝わっているように見えます」
「高瀬さん、こういうときも調べるんですね」
「気になるので」
「私は聞いて楽しむ係にします」
美咲は目を閉じ、顔を上げた。
風と花の音が重なっている。
規則的ではない。
それでも、ひどく心地よかった。
悠斗は四人の姿を見た。
陽菜は花へ夢中になっている。
美咲は音を聞きながら笑っている。
直人は花の動きを慎重に観察している。
蓮は陽菜が歩道から外れないよう、さりげなく足元へ目を向けていた。
到着してから、まだ長い時間は経っていない。
それでも最初にUFOで顔を合わせたときより、五人の間にあった固さは薄れていた。
案内役が歩みを再開する。
「春域では、植物の多くが人や動物の動きを感じ取ります。危険を避けるためだけでなく、共に暮らすために育てられてきました」
陽菜が花から離れ、列へ戻った。
「育てられたって、誰かが改良したんですか?」
「長い年月をかけ、四季星人と植物が互いに変化してきました」
「植物も、四季星人に合わせたんですか」
「そのように考えられています」
陽菜は振り返り、揺れる花畑を見た。
「一緒に暮らしてたら、お互いが変わったんだ」
「地球でも似た例はあります」
直人が言う。
「人が育てた作物は、野生のものと形や性質が変わっています。人間の暮らしに合わせた一方、人間側の食生活も作物に合わせて変わった」
陽菜が感心した顔でうなずく。
「じゃあ、四季星ではもっと深くつながってるんですね」
「そうかもしれません」
直人は花畑へ視線を戻した。
説明しながらも、目は小さな動きを追っている。
歩道の先に、丸い屋根の建物が見えてきた。
薄いベージュの壁へ、緑のつるが巻きついている。
窓は大きく、内部には柔らかな光が満ちていた。
建物の周囲にも花が咲いている。
ただし、花畑のものより背が低い。
歩く人の邪魔にならないよう整えられているらしい。
入口の上には、地球の文字が浮かんでいた。
春域休息館。
美咲が文字を読み上げる。
「休息館。もう休むんですか?」
「移動直後の招待客には、まず春域の環境へ慣れていただきます」
案内役が答える。
「本日は花畑の散策、入眠施設、体調調整用の椅子を体験していただく予定です」
「体調調整用の椅子って、マッサージチェアみたいなもの?」
「地球では、その呼び方が近いと聞いています」
美咲の目が輝いた。
「大好きです」
「藤原さん、さっきから好きなものが多いですね」
直人が言う。
「旅行先では、好きなものを増やしたほうが得です」
美咲は迷いなく答えた。
悠斗の口元が少し緩む。
「確かに、そのほうが楽しめそうです」
「朝倉さん、分かってますね」
美咲は親指を立てた。
休息館の扉が左右へ開く。
中へ入った瞬間、足元の感触が変わった。
床は土のように柔らかい。
靴が沈むことはないが、歩くたびに衝撃を吸い取ってくれる。
壁には細い植物が伸び、天井近くで葉を広げていた。
ところどころから水滴が落ちる。
床へ届く前に霧へ変わり、空気へ溶けていった。
陽菜が両手を広げる。
「建物の中なのに森みたい」
「建物と植物を分けずに作っています」
案内役が近くの壁へ触れた。
葉が一斉に揺れ、細い道が現れる。
「壁の一部は生きています。気温や湿度を整え、招待客の呼吸へ合わせて香りを変えます」
直人が壁へ近づく。
触れはしない。
わずかに顔を寄せ、葉の動きを見る。
「人工的に作った植物ですか」
「自然に育つ種を、建物へ適応させています」
「管理は?」
「館内の担当者が毎日確認します。植物自身も不調を伝えます」
美咲が首をかしげる。
「どうやって?」
案内役が壁の葉を一枚持ち上げた。
葉の表面へ、細い模様が浮かんでいる。
「水分が不足すると黄色の筋が増えます。温度が合わない場合は紫へ変わります。根に負担がかかると、周囲の葉が閉じます」
陽菜が感心したように息を吐く。
「言葉がなくても会話できるんだ」
「皆さの表情や動きから状態を知るのと、少し似ています」
その返事に、悠斗の視線がわずかに上がった。
到着前から続いている反応の記録。
安心。
期待。
緊張。
細やかなもてなしのためだと説明されている。
目の前の館内は、実際に快適だった。
温度も香りも、何一つ不快ではない。
それでも、自分たちの反応が常に読み取られているという感覚は消えなかった。
「朝倉さん」
美咲が小声で呼んだ。
「また考えてる顔」
悠斗は美咲を見る。
「そんなに分かりやすいですか」
「高瀬さんほどじゃないけど」
「私は関係ないでしょう」
少し前を歩いていた直人が振り返る。
聞こえていたらしい。
美咲は笑った。
「高瀬さんは眼鏡を触るから分かりやすいです」
直人の指が、ちょうど眼鏡の縁へ触れていた。
手が止まる。
陽菜が口元を押さえる。
蓮は顔をそらしたが、肩がわずかに揺れた。
直人はゆっくり手を下ろした。
「今後は触れないようにします」
「そこを直すんですか?」
美咲が声を上げる。
悠斗はとうとう笑った。
大きな笑いではない。
息が少し漏れただけだった。
それでも美咲は見逃さなかった。
「あ、朝倉さんが笑った」
「笑いますよ」
「もっと静かな人かと思ってました」
「藤原さんがよく話すので、話す必要がなかっただけです」
「それ、私がうるさいみたいに聞こえません?」
「助かっているという意味です」
美咲は一度口を閉じた。
すぐに笑顔へ戻る。
「それならいいです」
陽菜が二人を見比べ、楽しそうに笑った。
最初に案内されたのは、体調調整室だった。
広い部屋の中央へ、五つの椅子が並んでいる。
地球のマッサージチェアに近い形をしているが、背もたれも座面も継ぎ目が見えない。
表面は淡い灰色。
腕を置く部分には、細かな黄緑の点が浮かんでいた。
壁際には四季星人の担当者が二人立っている。
一人は背が高く、耳の後ろに伸びた葉のような器官が長い。
もう一人は小柄で、頬の模様が丸く広がっていた。
二人は胸元へ手を添え、頭を下げる。
「皆さんの体に触れる調整を行います。痛みや不快感があれば、すぐにお伝えください」
高いほうの担当者が言った。
「椅子は体の形、筋肉の固さ、呼吸の速さを読み取り、力を加える場所を決めます」
直人が椅子を見つめる。
「事前に体の情報を入力しているんですか」
「座ったあとに確認します。招待前の記録は、強さの初期設定だけに使われます」
「どこまで調べたんですか」
担当者の頬の模様がわずかに揺れた。
「日常の姿勢、移動量、睡眠の傾向などです」
美咲が自分の肩へ触れる。
「肩が疲れやすいのも分かってる?」
「藤原美咲には、右肩の負担が多い傾向があります」
「カメラのせいかな」
美咲は首から下げたカメラを持ち上げた。
「朝倉悠斗は、左側の肩と腰へ負担が集まっています」
悠斗は無意識に左肩を回した。
旅行かばんをいつも同じ側へ掛けている。
「高瀬直人は、首と目の周囲。結城陽菜は、足首と背中。真田蓮は、両肩と腰へ負担があります」
蓮の目がわずかに細くなる。
「両肩」
小柄な担当者がうなずいた。
「長い期間、重いものを持つ姿勢が続いた体に近い状態です」
陽菜が蓮を見る。
蓮は担当者から視線を外さない。
「仕事で荷物を運ぶことがあります」
「現在の生活だけでは説明しにくい固さもあります」
部屋の空気が少し変わった。
陽菜の指が、リュックの鳥の飾りへ伸びる。
あの夢。
重い箱。
長い通路。
蓮と陽菜だけが知っている話。
悠斗は二人の動きを見た。
「何か気になることがありますか」
陽菜が口を開きかける。
蓮が先に答えた。
「あとで話します」
短い声だった。
悠斗はそれ以上尋ねなかった。
「分かりました」
蓮の肩から、わずかに力が抜けた。
「まずは座ってみましょうよ」
美咲が沈みかけた空気を押し上げるように言った。
「私、最初に試します」
中央の椅子へ腰を下ろす。
座面が美咲の体へ合わせてゆっくり形を変えた。
背もたれが肩を包み、腕を置く部分が高さを整える。
美咲の目が大きくなる。
「もう気持ちいい」
「まだ始まっていません」
担当者が答える。
「これからなんですか?」
椅子の表面へ細い光が走った。
美咲の背中が少し持ち上がる。
次の瞬間、肩の周囲がゆっくり押された。
「うわ」
陽菜が心配そうに近づく。
「痛いですか?」
「逆。ちょうどいい」
美咲は目を閉じた。
椅子の内側から、低い振動が伝わっているらしい。
肩。
背中。
腰。
順番に支える場所が変わる。
強く押すのではなく、呼吸へ合わせて体の重さを受け止めていた。
美咲が息を吐くたびに、椅子が少し沈む。
吸うと、背中を持ち上げる。
「これ、家に持って帰れないかな」
「持ち帰りには対応していません」
「残念」
「地球の住居では、必要な環境を維持できません」
「もっと残念」
陽菜が笑った。
美咲は目を閉じたまま片手を上げる。
「みんなも早く座ったほうがいいです。たぶん、立って見てる時間がもったいない」
悠斗は隣の椅子へ座った。
直人も慎重に腰を下ろす。
陽菜は少し緊張しながら座り、蓮は最後に残った椅子へ移った。
五つの椅子が同時に動き始める。
悠斗の背中へ、柔らかな圧力が加わった。
自分でも気づかなかった場所が固くなっていたらしい。
肩甲骨の周囲を支えられた瞬間、息が深く入った。
左の腰へ温かさが広がる。
熱いわけではない。
冷えていた場所だけが、穏やかにほどけていく。
「強さはどうですか」
担当者の声が聞こえる。
「ちょうどいいです」
悠斗が答える。
隣では陽菜が笑いをこらえていた。
「くすぐったい?」
美咲が目を閉じたまま尋ねる。
「足の裏が、少し」
「結城陽菜の足裏には、緊張が多く残っています」
担当者が言う。
椅子の足元部分が陽菜の靴を包む。
「靴のままでいいんですか?」
「表面を通して調整できます」
細かな振動が始まる。
陽菜は両手で口元を押さえた。
「変な感じ」
「痛くない?」
蓮が顔を向ける。
「大丈夫です。慣れたら気持ちいいです」
蓮はうなずき、自分の背もたれへ戻る。
直人は目を開けたまま、椅子の動きを確かめていた。
腕を少し上げる。
椅子がすぐに形を変え、動きを邪魔しない。
「固定ではなく、こちらの動きへ常に合わせている」
「体を押さえつけないことを重視しています」
担当者が答える。
「体調が悪くなった場合、すぐに離れられます」
「停止方法は?」
「停止と声にしてください」
「停止」
直人の椅子が即座に動きを止め、背もたれが平らになる。
「再開」
再び肩を包む形へ戻った。
美咲が片目を開ける。
「高瀬さん、楽しんでます?」
「機能を確認しています」
「声が少しうれしそうです」
「気のせいです」
「眼鏡、触ってますよ」
直人の指が止まった。
陽菜が声を立てて笑った。
今度は蓮も、ほんの少し口元を緩めた。
悠斗はその光景を眺めた。
出会ってから半日も経っていない。
年齢も暮らしも違う。
地球でどのような毎日を送っていたのか、まだほとんど知らない。
それでも同じ椅子へ並び、同じことで笑っている。
旅は、不思議な速さで人の距離を変える。
普段なら数日かかる会話を、知らない景色が一息で近づけてしまう。
椅子の動きが少しずつ穏やかになる。
最後に背中全体が支えられ、呼吸へ合わせてゆっくり揺れた。
担当者の声が響く。
「調整を終えます。急に立ち上がらず、しばらく座ったままお過ごしください」
美咲が深く息を吐く。
「もう終わり?」
「二十分が経過しました」
「五分くらいに感じた」
陽菜もうなずく。
「私もです」
直人が手首の腕輪を確認する。
「時間表示では、確かに二十分です」
蓮が肩を回した。
動きが少し軽い。
小柄な担当者が蓮へ近づく。
「肩の固さは軽減しました。ただし、深い部分に緊張が残っています」
「取れないんですか」
「一度では難しい状態です。滞在中、定期的な利用を勧めます」
蓮は返事をせず、肩へ手を置いた。
陽菜が隣から小声で言う。
「また一緒に来ましょう」
蓮は陽菜を見る。
「一人でも来られます」
「一人だと、途中でやめそうだから」
「どうしてそう思うんですか」
「真田さん、我慢するほうに見えます」
蓮は言葉を返さなかった。
陽菜は言いすぎたと思ったのか、視線を足元へ落とす。
数秒後、蓮が答えた。
「時間が合えば」
陽菜が顔を上げる。
「はい」
その返事だけで、表情が明るくなった。
体調調整室を出ると、細い通路の先に飲み物が用意されていた。
透明な器の中で、黄緑の液体が小さく揺れている。
美咲が一つ取る。
「甘いですか?」
案内役が答える。
「疲労を整える飲み物です。藤原美咲のものは、果実の甘さを強くしています」
「人によって違うんだ」
悠斗が器を持ち上げる。
自分のものは、淡い茶色だった。
直人のものは灰色に近い。
陽菜は黄色。
蓮は緑。
「成分も違うんですか」
直人が尋ねる。
「体調へ合わせています。味は皆さんの好みを参考にしました」
直人はすぐには飲まない。
香りを確かめ、器の表面を見る。
美咲は先に飲み終えた。
「おいしい」
壁の一部へ、小さな文字が浮かぶ。
満足。
美咲が文字を指差す。
「また出た」
「反応は施設の調整へ使われます」
案内役が答える。
「同じ飲み物を希望する場合、次回も近い味を用意します」
「便利ですね」
陽菜が自分の飲み物を口へ運ぶ。
すぐに目を輝かせた。
「果物みたい」
「結城陽菜には、春域で採れた実の香りを加えています」
陽菜は器の底をのぞく。
「何の実ですか?」
「本日の夕食で提供する予定です」
「楽しみ」
文字がまた浮かぶ。
期待。
悠斗は表示を見た。
以前なら気になったかもしれない。
今も気にならないわけではない。
ただ、目の前で陽菜が笑い、美咲が飲み物の味を直人へ勧め、蓮が黙って器を空にしている。
記録される不快さと、もてなしの心地よさ。
二つは同時に存在していた。
片方だけを見れば、もう片方を見落とす。
悠斗は茶色の飲み物を口へ入れた。
甘さは弱い。
木の実に似た香りがし、飲み込んだあとで少しだけ涼しさが残る。
左肩に残っていた重さが、さらに軽くなった。
「どうですか?」
美咲が尋ねる。
「飲みやすいです」
「朝倉さん、感想が落ち着きすぎ」
「おいしいです」
「よし」
「何がよしなんですか」
「ちゃんと旅行を楽しんでる感じがしたので」
美咲は満足そうにうなずいた。
休息館の奥には、入眠施設があった。
案内役が扉へ近づくと、壁に埋もれていた入口が開く。
その先には、緩やかな坂道が続いていた。
坂の両側へ低い草が生え、天井から細い光が差し込んでいる。
通路の奥ほど音が少なくなる。
美咲の足音。
陽菜の服が擦れる音。
直人が書類ケースを持ち直す音。
一つずつ遠くなり、やがて自分の呼吸だけが聞こえるようになった。
「静か」
陽菜がささやく。
声を張ることが悪いように感じたのだろう。
案内役も低い声で答える。
「入眠施設では、強い音を使いません。眠りへ向かう人の呼吸を妨げないよう作られています」
通路の先に、五つの小部屋が並んでいた。
扉はない。
内側には、寝台と椅子を合わせたような器具が置かれている。
丸みのある形で、横になる者の体を包むように両側が少し高くなっていた。
天井には細かな光の点が散っている。
「ここで寝るんですか」
美咲が尋ねる。
「はい。短い休息から長い睡眠まで対応します」
「五人一緒?」
「希望に応じて仕切りを作れます」
陽菜が小部屋の境目を見る。
「今は開いてるほうがいいです」
美咲がすぐにうなずく。
「私も。一人だけ先に寝たら、ちょっと悔しいし」
「競争ではありません」
直人が言う。
「高瀬さんが最初に寝たりして」
「眠るつもりはありません。設備の確認だけ行います」
美咲が陽菜へ顔を寄せた。
「こう言う人が一番早く寝ます」
陽菜が笑いをこらえる。
直人は聞こえているはずだが、返事をしなかった。
五人はそれぞれの寝台へ横になった。
悠斗の体が表面へ触れる。
寝台はすぐに形を変え、頭、首、肩、腰、脚を支えた。
柔らかすぎない。
硬すぎない。
体の重さが一点へ集まらず、広く受け止められている。
腕をどこへ置いても、自然な位置へ支えが移る。
「枕がない」
陽菜が首を動かす。
「寝台そのものが頭を支えています」
案内役が答える。
「高さを変えたい場合は、声で伝えてください」
「少し高く」
陽菜の頭の下がゆっくり持ち上がる。
「これくらい?」
「はい」
「個人の好みは、次回まで保存されます」
「次に来たら、同じ高さになるんですか」
「希望すれば」
陽菜はうれしそうに目を閉じた。
「すごく細かい」
美咲は寝台の端へ手を伸ばす。
「音楽は流せますか?」
「曲ではなく、呼吸を整える音を作ります。水、風、葉、雨などから選べます」
「花の音は?」
「先ほどの花畑で記録した音を再現できます」
美咲がすぐに答える。
「それでお願いします」
小部屋の周囲へ、花畑で聞いた音が流れ始める。
触れ合う花びら。
風。
低く柔らかな響き。
美咲が息を吐いた。
「これ、ずるい」
「何がですか」
陽菜が目を閉じたまま尋ねる。
「眠らないほうが難しい」
直人は寝台へ横になりながら、天井を見ている。
「呼吸はどのように測定しているんですか」
「寝台の変化と、周囲の空気の動きから確認しています」
「体へ機器は付けない?」
「必要ありません」
「夢の内容も読み取るんですか」
その質問で、陽菜のまぶたが開いた。
蓮も直人へ顔を向ける。
案内役は少し間を置いた。
「夢の内容を直接読み取ることはできません」
「直接は?」
直人の声が鋭くなる。
「呼吸、心拍、体の動きから、不安を伴う夢かどうかを推測する場合があります」
「内容そのものは分からない?」
「はい」
蓮が天井を見つめたまま尋ねる。
「同じ夢を何度も見る理由は調べられますか」
悠斗が蓮へ視線を向ける。
陽菜は指先を握った。
案内役の頬にある模様が、少しだけ強く揺れる。
「身体状態から分かる範囲であれば」
「記憶のように感じる夢でも?」
部屋が静かになる。
花の音だけが続いた。
案内役は蓮を見つめた。
「夢は、経験、感情、想像が重なって生まれます。経験していない景色が現れることもあります」
「答えになっていません」
直人が言う。
案内役は胸元へ手を添えた。
「申し訳ありません。私には、それ以上の判断ができません」
蓮は目を閉じた。
話を終える合図のようだった。
悠斗は寝台から上半身を起こした。
「真田さん。さっき、あとで話すと言っていました」
蓮は目を閉じたまま動かない。
陽菜がゆっくり体を起こす。
「私から話します」
蓮のまぶたが開く。
陽菜は鳥の飾りを握った。
「UFOの中で寝たとき、変な夢を見ました。知らない場所で、重い箱を運ぶ夢です。誰かに急かされて、転んでも立てって言われて」
美咲の表情から笑みが消える。
直人は静かに聞いている。
「前から似た夢を見ることはあったんです。でも、四季星へ向かう途中で見たものは、今までよりはっきりしていました」
陽菜は蓮を見る。
「真田さんも、似た夢を見るって」
蓮はしばらく黙った。
やがて上半身を起こす。
「子どものころから、重いものを運ぶ夢を見ます。坂道や通路を歩いて、止まると怒鳴られる」
「同じ場所ですか?」
悠斗が尋ねる。
「分かりません」
「二人が同じ内容を見る理由に、心当たりは?」
直人の問いに、蓮は首を振る。
陽菜も同じように首を振った。
「招待状が届いてから、夢が近くなったと言っていましたね」
直人が続ける。
蓮はうなずく。
「前は目を覚ますと、すぐに消えていました。今は床の感触まで覚えている」
美咲が寝台の上で膝を抱えた。
「怖くないんですか」
陽菜は鳥の飾りを握る力を強めた。
「怖いです。でも、ずっと前から見ていたので、少し慣れてました」
「慣れていい夢じゃないでしょう」
美咲の声が柔らかくなる。
陽菜は小さく笑った。
「そうですよね」
悠斗は二人の顔を見た。
到着してから、何度か同じ動きを見ている。
陽菜が不安を感じたとき、蓮を見る。
蓮もまた、陽菜が話す内容を先に知っているような顔をする。
偶然だけでは片づけにくい。
しかし今の時点では、分からないことが多すぎる。
「これから同じ夢を見たら、記録しましょう」
悠斗が言った。
直人がすぐにうなずく。
「場所、音、持っていたもの、周囲の人物、言葉。覚えている範囲で残したほうがいい」
美咲がカメラを持ち上げる。
「話すのがつらいときは、絵でもいいかも。私、記録を手伝います」
陽菜は三人を見る。
「迷惑じゃないですか」
「迷惑なら言いません」
直人が答える。
言葉は少し硬い。
だが声には拒む響きがなかった。
美咲もうなずく。
「一か月一緒なんだから、一人で抱えるよりいいです」
悠斗は蓮を見る。
「真田さんも、それでいいですか」
蓮は四人の顔を順番に見た。
すぐには答えない。
自分のことを話すのに慣れていないのだろう。
やがて視線を寝台へ落とす。
「分かりました」
短い返事だった。
陽菜の肩が少し下がる。
「ありがとうございます」
「礼を言うことではないです」
蓮はそう言いながらも、陽菜から顔を背けなかった。
案内役は五人の会話が終わるまで、少し離れた場所で待っていた。
「本日の入眠体験を中止することもできます」
悠斗は四人を見る。
美咲は少し迷っている。
直人は天井を見つめている。
陽菜は寝台へ手を置いた。
蓮は動かない。
「私は、寝てみたいです」
陽菜が言った。
美咲が心配そうに見る。
「大丈夫?」
「ここで夢を見たら、何か分かるかもしれないし」
「無理に確かめなくても」
「無理じゃないです」
陽菜は鳥の飾りを胸元へ置いた。
「みんなが近くにいるから」
美咲の目元が少し和らぐ。
「じゃあ、私も起きるまでここにいます」
「寝るんじゃなかったんですか」
直人が言う。
「眠っても近くにいることは変わりません」
「それはそうですが」
「高瀬さんもいますよね?」
「設備の確認が終わるまでは」
「終わったあとも」
直人は返事をしなかった。
眼鏡の縁へ指が伸びる。
美咲がすぐに気づく。
「今、考えてますね」
「分かりました。残ります」
陽菜が笑う。
「ありがとうございます」
直人は顔を少しそらした。
悠斗は寝台へ戻った。
「五人とも、ここで休みましょう。誰かが先に起きたら、ほかの人の状態を確認する」
蓮がうなずく。
美咲は両手を頭の後ろへ置いた。
「やっぱり朝倉さん、リーダーですね」
「今は順番を決めただけです」
「そういうところです」
陽菜も小さく笑った。
悠斗は言い返さず、体を横たえた。
案内役が壁際へ下がる。
「休息時間は一時間です。途中で目覚めた場合、無理に眠り直す必要はありません」
天井の光が少しずつ弱くなる。
完全に暗くはならない。
淡い黄緑の点が、葉の隙間から見える遠い灯りのように残った。
花畑の音が続く。
風。
花。
遠くの水。
寝台が呼吸へ合わせて揺れ始めた。
悠斗は目を閉じる。
肩の下が支えられる。
背中が沈む。
胸へ入る息が深くなる。
隣から、美咲の小さな寝返りの音が聞こえた。
陽菜の呼吸はまだ速い。
直人は時々指を動かしている。
蓮は身じろぎをしない。
数分が経った。
陽菜の呼吸がゆっくりになる。
美咲の息も整う。
直人の指が止まる。
悠斗は眠りへ落ちる手前で、蓮の声を聞いた。
「朝倉さん」
「起きています」
「自分が寝たあと、何か変わったら起こしてください」
「分かりました」
「結城さんも」
「見ています」
蓮はそれ以上話さなかった。
悠斗は目を閉じたまま、口元を少し緩めた。
寡黙ではある。
だが誰よりも陽菜を気に掛けている。
本人は隠しているつもりなのかもしれない。
隠し方が上手とは言えなかった。
「真田さん」
美咲の眠そうな声が聞こえた。
「起きてたんですか」
「半分くらい」
「それなら寝てください」
「真田さんも」
少し間がある。
「努力します」
美咲が小さく笑った。
「寝るのに努力って変ですね」
その声もやがて聞こえなくなった。
悠斗の意識が、静かに沈んでいく。
花畑。
風。
見たことのない鳥に近い生き物。
五人で撮った写真。
四季星へ到着した広場。
いくつもの景色が、波にさらわれる砂のように薄れていった。
夢は見なかった。
次に目を開けたとき、天井の黄緑の光が少し強くなっていた。
体が軽い。
長い時間眠った感覚はない。
それでも頭の内側が澄んでいる。
悠斗はゆっくり上半身を起こした。
隣では美咲が横向きになり、両手を頬の下へ置いて眠っている。
直人は仰向けのまま動かない。
眼鏡は寝台の脇へ置かれていた。
陽菜は鳥の飾りを握り、穏やかな呼吸を続けている。
蓮だけが目を開けていた。
「いつ起きました?」
悠斗が小声で尋ねる。
「少し前です」
「夢は?」
蓮は首を振った。
「見ませんでした」
悠斗は陽菜を見る。
表情は穏やかだ。
「結城さんも大丈夫そうですね」
「はい」
蓮の声から、わずかに緊張が抜ける。
「朝倉さんは?」
「何も見ませんでした」
「そうですか」
蓮は天井へ視線を向けた。
「ここへ来てから初めて、夢を見なかった」
悠斗はその言葉を聞き、寝台の表面へ手を置いた。
入眠施設が不安を抑えたのか。
単に疲れて深く眠ったのか。
分からない。
ただ、蓮の顔はUFOにいたときよりも穏やかだった。
陽菜が小さく息を吸った。
指先が動く。
まぶたが開く。
最初に天井を見て、次に鳥の飾りを確かめる。
そのあと、蓮と悠斗へ顔を向けた。
「おはようございます」
声が少しかすれている。
「気分は?」
悠斗が尋ねる。
陽菜は数回まばたきをした。
「すごくよく寝た感じです」
「夢は見ましたか」
蓮が尋ねる。
陽菜は目を閉じ、しばらく思い出そうとした。
やがて首を振る。
「何も覚えてません」
蓮の肩が下がった。
陽菜はその変化に気づき、笑った。
「心配してくれたんですか」
「同じ夢を見たら記録することになったので」
「はい」
陽菜の笑みが少し深くなる。
蓮は視線をそらした。
美咲が寝返りを打つ。
「まだ食べられます……」
小さな寝言だった。
陽菜が口元を押さえる。
悠斗も笑いをこらえた。
蓮が美咲を見る。
直人はまだ眠っている。
「何を食べてる夢でしょう」
陽菜がささやく。
「夕食じゃないですか」
悠斗が答える。
「まだ見てないのに?」
「藤原さんなら想像で食べられそうです」
蓮が言った。
陽菜は驚いた顔をしたあと、声を立てないよう肩を揺らした。
悠斗も蓮を見る。
蓮自身も、自分が冗談を言ったことに少し驚いているようだった。
美咲の目が開く。
「今、笑いました?」
「寝言を聞きました」
悠斗が答える。
美咲は勢いよく起き上がる。
「何て言ってました?」
陽菜が答えようとする。
蓮が先に口を開いた。
「まだ食べられる、と」
美咲は両手で顔を覆った。
「忘れてください」
「記録しました」
直人の声が聞こえた。
全員が振り向く。
直人は目を閉じたまま横になっている。
美咲が顔を上げる。
「起きてたんですか?」
「今、起きました」
「絶対もっと前から起きてましたよね」
直人は目を開き、脇へ置いた眼鏡を掛ける。
「夢の中で食事を続けられるのは、良い睡眠だった証拠かもしれません」
「高瀬さんまで」
美咲は再び顔を覆った。
陽菜がとうとう声を上げて笑った。
入眠施設の静けさへ、五人の笑いが広がった。
案内役が入口から姿を見せる。
「皆さん、予定より早く目覚めましたが、体調に問題はありません」
美咲が顔から手を外す。
「寝言も記録されていますか」
「睡眠中の発声は、安全確認のため一時的に処理します」
「消してください」
「危険に関係しない記録は保存していません」
美咲は胸を撫で下ろした。
「よかった」
直人が静かに言う。
「私たちは覚えていますが」
「高瀬さん、意外と意地悪ですね」
「事実を述べただけです」
今度は悠斗も声を立てて笑った。
施設を出るころには、五人の歩き方が少し変わっていた。
肩の高さ。
腕の振り。
足取り。
移動の疲れが抜け、体が春域の空気へなじんでいる。
休息館の外へ出ると、花畑には午後の柔らかな光が広がっていた。
来たときより花の香りが濃い。
遠くの果樹園から、甘い匂いも混じっている。
案内役が歩道の先を示す。
「夕食までは少し時間があります。花畑の奥にある休憩所へご案内します」
陽菜がすぐに歩き出す。
「さっきの鳥に近い生き物、また見られますか?」
「この時間は花の実を食べに来ることがあります」
陽菜の歩調が速くなる。
蓮も自然にそのあとへ続く。
美咲はカメラを構えながら歩いた。
直人は休息館を振り返り、建物の壁を覆う植物へ視線を向ける。
悠斗が隣へ並ぶ。
「何かありました?」
「施設自体には、今のところ不自然な点はありません」
「今のところ」
「記録の範囲は気になります。ただ、設備や対応が地球人の体へ細かく合わせられているのは確かです」
直人は前を歩く三人を見る。
「結城さんと真田さんの夢が止まったことも」
「偶然かもしれません」
「はい。ただ、確かめる価値はあります」
悠斗は花畑へ目を向ける。
「慎重に見ながら、楽しみましょう」
直人が悠斗を見る。
「藤原さんと同じことを言うんですね」
「少し違う言い方です」
「確かに」
直人の口元がわずかに動いた。
休憩所は、花畑の中央へ浮かぶ小島のような場所だった。
丸い屋根の下に、低い椅子と机が並んでいる。
周囲には背の高い花が咲き、外からの視線を柔らかく遮っていた。
机の上には、小さな焼き菓子と飲み物が用意されている。
美咲がすぐに近づく。
「寝言が現実になった」
陽菜が笑う。
「まだ食べられますか?」
「もちろん」
美咲は迷いなく椅子へ座った。
直人も向かいへ腰を下ろす。
「さきほど食事をしたばかりですが」
「休んだら減りました」
「何が?」
「おなかの中の量です」
「そんなに早くは減りません」
「気持ちの話です」
美咲は焼き菓子を一つ取り、口へ入れた。
「おいしい」
机の端へ文字が浮かぶ。
満足。
美咲は文字を見て笑った。
「これはもう慣れました」
陽菜も焼き菓子を取る。
表面には、花びらに似た模様が付いている。
「かわいい」
「食べる前に撮ります?」
美咲が尋ねる。
「お願いします」
陽菜は焼き菓子を両手で持ち、花畑を背にする。
美咲が何枚か撮る。
その横で蓮が飲み物を一つ取り、陽菜の前へ置いた。
「撮ったあと、喉が渇くと思います」
陽菜は蓮を見る。
「ありがとうございます」
蓮は自分の席へ移った。
五人が机を囲む。
初めてUFOの共用室で食事をしたときより、座る位置が近い。
美咲が撮った写真を順番に見せる。
花へ顔を近づける陽菜。
椅子で眠りかける直人。
飲み物を持った悠斗。
花畑の先を見る蓮。
そして、五人で休息館の入口へ立つ写真。
「高瀬さん、本当に寝そうな顔してる」
美咲が画面を指差す。
直人は眼鏡を外し、布で拭き始めた。
「撮影の許可をした覚えはありません」
「景色を撮ったら入ってました」
「私が中央にいます」
「偶然です」
「明らかに焦点が合っています」
陽菜が写真を見て笑う。
「でも、いい写真です」
「結城さんまで」
直人は眼鏡を戻した。
嫌がっているように言いながら、削除を求めることはなかった。
美咲が次の写真を表示する。
五人がUFOの展望室で地球を背に並んだ写真。
その次は、四季星を背にした写真。
「一か月後にも撮るんですよね」
陽菜が言う。
「もちろん」
美咲は二枚を並べる。
「もう少し変わってると思いません?」
「髪が伸びる程度では」
直人が答える。
「そういう変化じゃなくて、顔とか距離とか」
美咲は画面へ指を滑らせる。
一枚目では、五人の間にわずかな間がある。
二枚目では、肩が近づいている。
「今撮ったら、もっと近いかも」
陽菜が言う。
「撮ります?」
美咲が立ち上がりかける。
悠斗が焼き菓子を置いた。
「一日に何枚撮るんですか」
「撮れるだけ」
「一か月後、見るのが大変になりますよ」
「それも旅行の一部です」
美咲は楽しそうにカメラを持ち上げた。
案内役へ頼み、五人は花畑を背に並んだ。
今回は誰も位置を迷わなかった。
悠斗が中央。
美咲がその右。
陽菜が美咲の隣。
直人が悠斗の左。
蓮が直人の隣。
しかし陽菜が手招きし、蓮を自分の隣へ呼んだ。
「夢を見なかった記念です」
蓮は困ったように立ち止まる。
美咲が場所を詰める。
「ほら、早く。花の音が止まっちゃう」
蓮は陽菜の隣へ移った。
撮影の瞬間、近くの花が一斉に鳴った。
柔らかな響きが重なり、五人の周囲へ広がる。
美咲が笑う。
陽菜も笑う。
悠斗の表情が緩む。
直人は少し驚いた顔をする。
蓮は隣の陽菜を見てから、カメラへ視線を戻した。
撮影音が鳴った。
美咲が写真を確認する。
しばらく何も言わない。
「どうしました?」
悠斗が尋ねる。
美咲は画面を五人へ向けた。
「一番いいかも」
花畑の中央で、五人が並んでいる。
地球を離れたときよりも。
四季星へ着いたときよりも。
五人の距離は近かった。
休憩所を出たあと、陽菜が空を見上げた。
鳥に近い生き物が、花畑の上を飛んでいる。
細い尾。
水色の羽。
腹のあたりは黄色。
羽ばたくたびに、細かな光が落ちていく。
「いた」
陽菜が声を上げる。
生き物は五人の上を一周し、歩道脇の花へ降りた。
首を傾け、陽菜を見る。
陽菜も同じ方向へ首を傾ける。
生き物が反対へ傾ける。
陽菜もまねをする。
美咲が笑いながらカメラを構えた。
生き物が短く鳴く。
陽菜も似た音を返す。
再び鳴く。
陽菜が返す。
何度か繰り返したあと、生き物の口から不思議な音が出た。
「ひな」
陽菜の目が大きくなる。
「今、名前を言いました?」
美咲が驚いてカメラを下ろす。
生き物はもう一度鳴いた。
「ひな」
陽菜が両手を胸元へ当てた。
「覚えた」
案内役が微笑む。
「音をまねするのが得意な種です。皆さんの会話を聞いていたのでしょう」
陽菜は生き物へ顔を近づける。
「陽菜です」
生き物が首を振る。
「ひな」
「はい」
陽菜の返事に、生き物は羽を広げた。
そのまま花畑の上へ舞い上がる。
細かな光を残しながら、遠くの果樹園へ飛んでいった。
陽菜はいつまでもその姿を見送っていた。
蓮も隣で空を見ている。
「会えましたね」
蓮が言う。
陽菜はうなずく。
「招待状に聞いたときから、会いたかったんです」
「よかったです」
「真田さんも、少し笑ってます」
蓮の表情が止まる。
「笑っていません」
「笑ってました」
「気のせいです」
少し離れた場所から美咲が言う。
「写真に撮りました」
蓮が美咲を見る。
「消してください」
「いい顔なので残します」
「許可していません」
「景色を撮ったら入ってました」
直人が静かに口を開く。
「先ほど私に使った言い方ですね」
美咲は笑った。
「便利だったので」
悠斗は四人の会話を聞きながら、歩道の先へ目を向けた。
春域の一日は、まだ終わっていない。
夕食。
宿泊施設。
明日の予定。
これから見るものは、いくつもある。
疑問も消えていない。
反応の記録。
二人の夢。
招待の理由。
冬域の奥にあった建物。
それでも今は、花の音が聞こえている。
美咲の笑い声。
陽菜の弾む声。
直人の落ち着いた返事。
蓮の短い言葉。
それらが春域の風へ混ざっていく。
悠斗は歩調を少し落とした。
全員が並ぶのを待つ。
美咲が陽菜の肩へ手を置く。
直人が書類ケースを持ち直す。
蓮が花を踏まないよう足元を確かめる。
五人は自然に同じ速さで歩き始めた。
遠くで、休息館の丸い屋根が光を受けている。
その内部では、五人が使った寝台が静かに形を戻していた。
表面へ細い文字が浮かぶ。
朝倉悠斗。
深い休息を確認。
藤原美咲。
深い休息を確認。
高瀬直人。
深い休息を確認。
結城陽菜。
夢による強い反応なし。
真田蓮。
夢による強い反応なし。
最後に、二人の名の下へ別の表示が現れた。
記憶反応、一時停止。
すぐに文字は消えた。
館内の植物が葉を閉じる。
何もなかったように、静けさが戻る。
花畑を歩く五人は、その表示を知らない。
陽菜は先ほどの生き物に、また会えるだろうかと話している。
美咲は次に会ったら、自分の名も覚えさせると言った。
直人は、一度に覚えられる音の長さを確かめたいと言う。
蓮は何も言わない。
けれど陽菜の話が終わるまで、歩調を変えなかった。
悠斗は四人の少し前を歩く。
やがて振り返る。
誰も遅れていない。
「そろそろ行きましょう」
美咲が手を上げる。
「次は夕食です」
陽菜が笑う。
「美咲さん、まだ食べられるんですか?」
「もちろん」
直人が息を吐く。
「入眠中の発言は本心だったんですね」
「忘れてくださいって言ったでしょう」
蓮が小さく言う。
「記録されています」
美咲が蓮を見る。
一瞬のあと、五人の間に笑いが広がった。
春域の風が吹く。
花が揺れる。
柔らかな音が、五人の背中を追いかける。
まだ出会ったばかりだった。
知らないことのほうが多かった。
話していない過去もある。
隠している不安もある。
それでも、一緒に笑った時間だけは確かに残った。
春域の眠りは、疲れだけを取り去ったのではなかった。
五人の間へ残っていた遠慮を、少しだけほどいていた。
花畑の先に、夕暮れの光が広がる。
五人は並んで歩いていく。
夢のような一か月、その最初の一日は、穏やかに深まっていった。