テラーノベル
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バスを降りると、 夕方の空気は少し冷たかった
オレンジ色の街灯が ぽつりぽつりと道を照らしている
花
いつも通りの帰り道
そのとき──
「……にゃ」
微かに、声がした
私は足を止めた 聞き間違いかと思ったが、 もう一度
「……にゃあ」
声のした方を見ると、 道の脇にある小さな神社が 目に入った
花
少し迷ってから、 私は石段を上る
コツ、コツと靴音が静かな 境内に響く
鳥居をくぐり、辺りを見渡すが 人の気配はない
その時──
縁の下から、 何かが動いた気配を感じた
私の心臓が跳ねる
花
すると暗がりの中、 二つの光る目がこちらを見ていた
花
思わず息を呑む
一歩下がりかけて、 もう一度よく見ると
花
しばらく見つめ合った後、 その目の正体が、 ぬっと顔を出した
正体は……
猫だった
花
緊張が一気に抜ける
私はそっとしゃがみ込み、 縁の下を覗く
そして私は縁の下に入っていった
蜘蛛の巣が腕に少しかかるが、 気にしない
花
私はゆっくりと手を伸ばす
だけど猫は逃げる様子もなく、
むしろ自分から近づいてきて、 私の手に顔を擦りつけた
花
自然と、声が漏れる
私は猫の頭をそっと撫でた
すごく柔らかくて、温かい
人に慣れているのか、 猫は喉を鳴らしながら じっとしている
花
境内は静かで、 夕方の風が木々を揺らす音だけが聞こえていた
(ブロロロ……)
陽斗
境内に、低い エンジン音が近づいてきた
私は一瞬、顔を上げた
次の瞬間、 誰かが石段を駆け上がってくる 足音がした
「あ、先客だ」
聞き覚えのある声
私が振り向くより早く、 影が落ちる
花
陽斗
花
縁の下を覗き込むように、 瀬戸君がしゃがみ込んでいた
陽斗
花
私がそう言うと、 瀬戸君はふっと笑う
陽斗
瀬戸君は屈みながら 縁の下に入ってきて、 私の隣に腰を下ろす
手を伸ばすと、 猫は逃げるどころか、 また喉を鳴らした
陽斗
花
陽斗
陽斗
陽斗
陽斗
瀬戸君は猫の 首元に手を伸ばす
ふわふわの毛を指で かき分けていく
陽斗
私が覗き込むと
そこには細く赤い首輪が見えた
花
陽斗
陽斗
陽斗
陽斗
猫はされるがまま、 気持ちよさそうに 目を細めている
私はそっと猫の頭を 撫でながら言う
花
花
陽斗
瀬戸君は短く頷いた
陽斗
陽斗
夕暮れの境内で、 二人と一匹は並んでいた
静かな時間が、 ゆっくり流れていく
そして
瀬戸君は、猫の首元を かき分けたまま言った
陽斗
花
私が覗き込むと、 首輪の小さなプレートに 文字が刻まれていた
花
陽斗
私は思わず猫の顔を見る
猫は白と黒の斑模様で
確かに、 丸まると──おむすびみたいだ
花
陽斗
陽斗
陽斗
花
私は少し感心したように笑った
花
そう言って、 私がそっと手を伸ばした その瞬間
「にゃ!」
猫が突然、私に向かって 跳びかかってきた
花
陽斗
反射的に瀬戸君が手を伸ばし、 猫を捕まえようとする
だが、足元がもつれて──
次の瞬間、 二人は一緒にバランスを崩し
縁の下で倒れ込んだ
俺は、ゆっくりと目を開ける
視界に最初に 飛び込んできたのは、
近すぎるほど近い、 花の顔だった
陽斗
一瞬、状況が理解できない
白く霞んだ思考の中で、 彼女の睫毛や、わずかに震える 瞳だけがやけに鮮明だった
息が近い
互いの呼吸が、 混じり合ってしまいそうな距離
身体がどんどん熱くなって いくのを感じる
陽斗
言葉が出ない
喉が、ひくりと鳴る音だけが やけに大きく聞こえた
時間が止まったように感じ、
ほんの数秒のはずなのに、 やけに長く、重い沈黙
胸の奥が、どくんっと 嫌な音を立てる
──まずい
俺はそう思った瞬間、 ようやく我に返った
陽斗
勢いよく体を起こし、 反射的に周囲を見渡す
陽斗
縁の下を見回すと、 少し離れた隅で、
白黒の斑猫が丸くなり、 何事もなかったかのように 眠っていた
肩の力が抜け、息を吐く
緊張が解けたはずなのに、 胸の鼓動だけはなかなか 収まらない
俺は、そっと花の方へ 視線を向ける
──動かない
完全に固まっていた
視線は宙を彷徨い、呼吸も浅い
陽斗
俺は恐る恐る、 彼女の目の前で手を振る
陽斗
数秒遅れて、 花の肩がびくりと跳ねた
花
か細い声で花は言った
花
それだけ言うと
主人公は瀬戸と 目を合わせることなく、 慌てた様子で縁の下を 這い出て行った
蜘蛛の巣を払う音、 小さな足音
そして、遠ざかっていく気配
境内には再び静寂が落ちた
俺は、しばらくその場に 立ち尽くしていたが
やがて力が抜けるように、 その場にしゃがみ込んだ
背中を丸め、 両膝に肘をつく
陽斗
大きく息を吐き、 無意識に手で顔を覆う
指の隙間から伝わってくる熱に、 思わず眉をひそめた
──熱い
明らかに、いつもと違う
鏡なんてなくてもわかる 今、自分がどんな顔を しているのか
赤くなっているのも、 情けない表情をしているのも、 想像がついた
陽斗
ぽつりと独り言が零れた
女の子と距離が 近くなることなんて、 今まで何度もあった
むしろそれを 楽しんできたはずだ
なのに
さっきの数秒が、 頭から離れない
俺は視線を落とし、 そばで眠る猫を見る
白と黒の境目が、 やけに柔らかく見えた
陽斗
返事が来ないのを わかっていながら、声をかける
陽斗
陽斗
俺は、苦笑混じりに呟いた
食べ物の“おむすび”と、 縁を結ぶ“お結び”
あの一瞬が、 ただの偶然だなんて、 思えなかった
おむすびは、 くっと喉を鳴らし、 さらに小さく体を丸める
その寝顔を見ながら、 俺はそっと目を閉じた
──これ、完全に
胸の奥で、何かが静かに、確かに動き出しているのを
もう誤魔化せなかった
部屋に戻った俺は、 ベッドに腰を下ろしたまま、 しばらく動けずにいた
天井を見つめても、 さっきの光景が、 何度も頭の中で再生される
近すぎた距離。 息がかかりそうだった一瞬。 固まったままの、彼女の瞳。
陽斗
小さく舌打ちして、 ポケットから携帯を取り出す
画面を点けると、 ずらりと並ぶ連絡先
女の名前。 ハートマーク。 絵文字だらけの表示名。
今までなら、何も感じなかった。 むしろ、都合がいいくらいだった
でも──
俺は指を止めた
陽斗
ぽつりと独り言を言う
最初に開いたのは、今 “付き合ってることになっている”女の子の連絡先だった
少しだけ迷ってから、 通話ボタンを押す
数回のコールのあと、 明るい声が返ってきた
瀬戸の彼女
陽斗
俺の声は、自分でも 驚くほど落ち着いていた
陽斗
瀬戸の彼女
陽斗
瀬戸の彼女
一瞬の沈黙
瀬戸の彼女
陽斗
言葉は、短く、はっきりと
陽斗
瀬戸の彼女
陽斗
それだけ言って、通話を切った
胸は、驚くほど静かだった
次。また次
「ごめん、もう会えない」 「軽い気持ちだった」 「本気になる相手ができた」
説明はしない。感情も乗せない。
それぞれの通話は、 ほんの数十秒で終わった
最後の電話を切ると、 部屋に、しんとした 静けさが戻る
俺は携帯を見下ろし、 連絡先一覧をもう一度開いた
さっきまで、 当たり前のように並んでいた 女の子達の名前
一つずつ、 迷いなく削除していく
──削除 ──削除 ──削除
画面が、少しずつ 空白になっていく
最後の一件を消したところで、 俺は深く息を吐いた
陽斗
陽斗
陽斗
遊びじゃ、もう無理だった
あの子を思い浮かべるだけで、 他の誰かの存在が邪魔に感じる
それが答えだった
俺は携帯を伏せ、 ベッドに仰向けになる
暗い天井の向こうに、 彼女の顔が浮かぶ
怖がりで、無防備で、 なのに、芯が強い
陽斗
誰に向けたわけでもなく、呟く
でも、不思議と後悔はなかった
むしろ── 胸の奥が、少しだけ 軽くなっていた
“本気になる”って、 きっとこういうことなんだと
俺は、目を閉じた
コメント
1件
小説面白くてすごく尊敬してます。フォロー、初コメ失礼しました