ハルさんのいない平日は、実に 淡々としている。
朝は6時頃に起き、ハルさんと一緒にご飯を食べる。
ハルさんの出勤を見送ったあと、 特にすることもないのでテレビを つける。
テロップが大きく表示されるが、文字が鏡に映したように左右反対になっているので
声だけを聞いて内容を読み取る。
昼になったらご飯を食べる。
それから食器を洗ったり 洗濯物を畳んだりして
夜になるとハルさんが帰ってくるので 一緒にご飯を食べる。
…それだけだ。
今日も夕方までは、いつもと同じようにニートじみた堕落生活を 送っていた。
しかし、今日は少しのイレギュラーがあった。
ハル
ハル
ハル
辺りが暗くなってきた頃、遠くから音が聞こえて耳を澄ました。
そういえば、今日の朝ハルさんが、夏祭りがあると言っていたような。
カーテンの隙間から外を見てみると、町の端っこに灯りが集っているのが 見えた。
ハルさん
ハル
ハルさん
見たような驚き方
して
振り返ると、両手に大量のビニール袋を下げたハルさんがニカっと 笑って立っていた。
いつもはもう少し遅い時間に帰ってくるはずなので、私は少し不意を突かれてしまう。
ビニール袋からは、あの独特の熱気をもった匂いが部屋の中へと立ち込めていた。
ハル
ハルさん
色々買ってきた!
ハルさん
ハルさんは両手の袋を全て テーブルの上に置くと
部屋の照明を消してから、 ベランダへ続く引き戸を開け放った。
その行動の意味を考えながらも、 私は尋ねることはせず、ハルさんの 言動の続きを見守ることにした。
夜の心地良い風と共に、辺りにほんのりと闇が訪れる。
夏を彷彿とさせる虫たちの音と、遠くから聞こえる祭りの喧騒が微かに耳を掠めていた。
ハルさんは部屋の奥から蚊取り線香を持ってくると、ベランダの側に置いて焚き始めた。
ハルさん
ハルさんは椅子に腰掛けると、テーブルに屋台で買ってきた焼きそばだの、フランクフルトだのを並べ出した。
私はおずおずと、その対面の椅子に 腰掛ける。
ハルさん
意味ないだろー!
ハルさん
ハルさんは自分の隣を指差しながら、もう片方の手でちょいちょいと手招きをしている。
その真意は分からなかったが、とりあえずハルさんに従って隣に座ることにした。
ハルさん
見えるだろ?
ハルさんはふ、と微笑みながら、 真っ直ぐに前を指差す。
その先に視線を向けると、開け放ったベランダと風に揺れるカーテン、 そして、
空高く登ってゆく一つの光の線が、 心臓にまで響く大音量とともに、 この街の夜に花を咲かせた。
ハル
ハル
闇の中に咲いた大輪が、 小さな街を、私たちの頬を、 鮮やかに彩っていった。
ハルさん
ハルさん
だよなー
ハルさん
浸りながらこれを見る…
ってのが恒例
だったんだけど
ハルさん
寂しいじゃん
ハルさん
ハルさん
ハルさん
はりきっちゃった
ハルさんはいつものようにがははと 笑っていたが、そこには少しの照れ隠しが混じっていたような気がした。
それが合っていたのかは分からない が、ハルさんは「食べようぜ」と 言うやいなや、
風のような勢いで焼きそばに手をつけ始めてしまった。
大量にあった食べ物の山を 半分ほど片付けた頃
辺りはすっかり闇に包まれ、 花火も終盤に差し掛かっていた。
りんご飴に口をつけながら、 花火を見たのはいつぶりだっただろうか、とふと思う。
私の家はちょうど花火が見えない位置にあって、小学生の頃は家族で 打ち上げ場所まで見に行っていた。
中学に上がってからは、自分も花火をわざわざ見に行く気にはならなくて、
かれこれ2年程は祭りというものとも無縁な生活を送っていた気がする。
この世界の空に輝く花火を 眺めながら、
私にもまだ、こういうイベントを 楽しめる気持ちがあったのだな、 と気付く。
だから、こんなことを口にしたのは
私もハルさんにつられて、感傷的な 気分になってしまっていたからなのかもしれない。
ハル
ハル
って知ってますか?
ハルさん
ハルさん
ハルさん
よく観るから
ハルさん
同時に存在する世界の
ことだろ
ハル
ハル
あって
ハル
信じないとか
ハル
ことは無いくらい、
ハル
ものだという認識
だったんですけど。
ハル
パラレルワールドは
無数に存在するんです
ハル
ハル
パラレルワールドの一つ
なんじゃないかと
思っています
ハル
ハルさんがいない世界
だったりも
ハル
存在している
ハル
ハル
ワールドの中で
ハル
出会えたことって
ハル
ハル
その時の私の顔は、自分でも自覚するくらい緩みきっていて
何故こんなにも嬉しそうなの だろうか、と考えたら
ハルさんに出会えたことが、自分に とってとてつもなく嬉しいことだったのだと気付き、また嬉しくなった。
ハル
ハル
よかった
最後のしだれ柳が打ち上がる。
花火の弾ける音とともに、驚いた表情をしているハルさんの顔が 照らされた。
ハルさんは、何か言いたげに口を開いたが、それを飲み込むようにまた口を閉じた。
直後、完全に花火の光が消え、 ハルさんの表情は読み取れなくなってしまった。
ハルさんの言いかけた言葉が返されるのを待っていると、彼は暫く経ってから一言、ぽつりと呟いた。
ハルさん
ハルさん
それは先程言いかけた言葉の続きで無いように思えたが、彼のその言葉に、 嘘はないような気がした。
ハル
電気つけましょうか
ハルさん
ハルさん
ハルさん
顔やばいことに
なってるから!
そう言って慌てるハルさんの 「やばい」顔とやらは、暗がりの中でも容易に想像が出来た。
何故なら、〝私も〟だからだ。
今の私は、らしくなくキザったらしい言葉が飛び出た自分に羞恥し、茹でだこのような顔になっている。
祭りが終わり、非日常効果が消えて 少し頭が冷え、
今は二人とも、自分のとった行動を 思い返し、頭を抱える猛省タイム なのだ。
そんなことになってしまうから、 やはり「感傷的な気分に浸る」という 行為は恐ろしい。
恐ろしく、自分をロマンチック 思考に、そして行動的に 変えられてしまう。
しかし、伝えた言葉に後悔はない。
それは、自分もハルさんも同じような気がした。
結局その日は、いつまで経っても電気をつけようとしないハルさんに 痺れを切らし
一時間後、私の手によって部屋に 明かりが灯ることとなった。