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テーブルを挟んだ状態で座っている彼に向かい、ロシェルが「そちらへ行ってもいいかしら?」と問いかけた。
「あぁ、もちろん」
短い答えだったが、『もちろん』という付け足しの言葉にロシェルはとても嬉しくなった。
そそくさとレイナードの方へロシェルが移動し、拳一つ分程度の隙間を開けて隣に腰掛けるながら彼女は、『不戦勝ではあったけど、ご褒美に何かお願いできないかしら?』と考えていた。
チラッとレイナードの顔色を伺うと「どうかしたのか?」と優しい笑顔で問われ、ロシェルの心臓が壊れそうな程激しく高鳴った。普段の厳つい顔を見慣れているせいで、無防備な笑みだと破壊力を増している。しかも、恋愛的好意を持って向けてくれている笑顔なのだとロシェルは受け止めているので、今の彼の笑顔は彼女にとって神具並みの攻撃力を有していた。
頰を赤らめ、プルプル震えているロシェルを不思議に思いながらレイナードが首を傾げる。そんな仕草にまで、ロシェルが滅多打ちにされた。
「ごめんなさい、シドが可愛過ぎて……」
肩を震わせ、緩む口元を手で隠しながらロシェルがそう言うと、レイナードが眉間のシワを深くし、顔を真っ赤にして固まった。そんな彼にすらロシェルは愛らしさを感じる。
口元を隠していた手をそっと離し、ロシェルがレイナードの頰に触れる。先程サキュロスが触れていた左の頬だ。『殺菌だ』とまでは言わないが、正直自分の感触で上書きしてしまいたいと考えての行為だった。
彼女が触れてくる事に対し、旅の途中で良くも悪くも随分と慣れてしまったレイナードは、サキュロスの時とは違って逃げたりはせずにそのまま受け入れた。騒ぐ心音はどうにも出来なかったが、触れられて心地いいなと考えてしまうくらいの余裕がある。
スッと彼が目を細めると、それを見たロシェルが微笑んだ。
「そうすると、シュウやアルみたいね。シド」
「俺はロシェルから見るとクマなんだろう?似ていても不思議じゃ無い」
第一声で『クマだわ!』と言われた事を思い出し、レイナードがからかうように言った。
「あ、あれは……こんなに大きな人に会ったのは久しぶりだったし。ウィルがライオンなら、シドはクマねくらいな気持ちで……」
「『ウィル』とは?」
どう聞いても男性名だ。しかも知らない名前だったので、レイナードが顔をしかめた。嫉妬からきた表情なのだが、当人達は気が付いていない。
「神子の一人よ。父さん達と仲がいいの。シドみたいに体がとっても大きくって、ライオンのたてがみの様な髪をしていてね、強そうな方よ。あとね、とっても子沢山なの」
「……既婚者なのか」
レイナードは最後の一言にホッとし、キツくなっていた表情を無意識に緩めた。不倫という概念が彼には存在しないので、既婚者=安全といった思考の流れだ。
「きっと近いうちに逢えるわ。素敵な方よ。子供の頃、何度肩車を頼もうかと悩んだことか」
「俺がするから、もう頼まなくてもいいな」
どう受け止められるかなど、レイナードは全く考えずに言った。
「そんな……は、恥ずかしいわ」
初めて逢ったあの時とは訳が違う。そんな恥ずかしい事などもう頼めないわとロシェルが考えていると、唐突に話が変わった。
「……そういえば、ロシェルは料理上手なんだな。神殿住まいであれだけの菓子が作れるとは、正直思っていなかった」
率直な感想だった。神子の娘ならば、自ら料理をせねばならない事など無いだろうと思っていたからだ。
「母さんがね、どんな相手に嫁ぐ事になるかわからないから花嫁修行はしっかりやりなさいと色々教えてくれたの。掃除洗濯、家事は一通り出来るわ。だから安心してね、シド。何でも私に任せて!」
「しっかりした考えを持っているんだな、イレイラ様は」
「異世界出身だからかしらね?他の貴族の知り合いは、私の話しを聞いてとっても驚いていたから。皆さん花嫁修行といえば、マナー教育やダンスのレッスンに、あとは刺繍をしていたもの」
「そうだな、俺の聞いた事があるのも後者だった。自分で掃除洗濯までは、貴族の者達はマスターしたりはしていなかったな」
「そうよね、普通は。でも後悔はしていないわ、とっても楽しかったもの!」
「楽しんで出来るのはいい事だな」
「ええ、本当ね」と言ったロシェルの一言の後、会話が途切れた。
気不味い雰囲気ではなかったので、シドが無言のままクッキーに手を伸ばし、また食べる。ロシェルが作ったと知って、より美味しく感じ、止まらなくなっていく。
皿に残っているクッキーの全てがレイナードの口内へ消えていきそうになっている中、ロシェルは『お願いするなら今じゃないかしら?』と考えていた。
「あのね、シド……」
手を膝の上でモジモジとさせながら、レイナードに話しかける。無心でクッキーを貪っていた彼が「ん?」と返事をし、ロシェルの方へ顔を向けた。
「私も、アル達みたいに……シドからお菓子をね、食べさせてもらいたいのだけど……嫌かしら?」
やっと頼めたわ!とロシェルが照れて、真っ赤な頰を両手で覆う。そんな彼女に向かい、レイナードは顔色一つ変える事無く、サラッと同意した。
「あぁ。いいですよ、ご主人様」
アルやシドへ先程食べさせてやった時と同じだろうと、軽い気持ちでレイナードがロシェルのケーキがのる皿を手に取る。フォークで一口分切り分けると、彼女の方へ体を向けて、さっそく口元へと近づけた。
「さぁ、どうぞ」
レイナードの言葉を合図に、ロシェルも彼へと体を向けて口を開ける。体格差のせいでどうしても上向きになってしまい、彼女は自然と目を閉じてしまった。
そんな彼女の顔を見て、ケーキを差し出すレイナードの動きが止まる。ロシェルの濡れる紅い舌に目が釘付けになってしまったのだ。唇もプルプルと瑞々しく、艶やかに光って見える。どんなお菓子よりも美味しそうで、レイナードは口元をへの字に食いしばりながら、ゴクッと喉を鳴らした。
(……?ケーキが口に入ってこないわ)
その事を不思議に思い、ロシェルがそっと瞼を開けると、レイナードの苦悶する表情が目に入り行動に困った。口を閉じるべきか、このままでいるべきか……。
後者を選んだロシェルが、催促するように「あーん」と小声で言うと、やっと口の中へケーキが入ってきた。
いつも通りの甘くて美味しいケーキが、更に甘みを増した気がする。好意の篭るケーキのなんと美味なことかと、ロシェルはウットリとした表情になった。
「う、美味いか?」
「えぇ、とっても!普段よりも美味しく感じるわ。絶対にシドのおかげね」
嬉しさを隠さぬままロシェルが微笑むと、レイナードがその笑顔の破壊力に打ちのめされて顔を逸らし、片手で顔を覆った。
「どうしたの?シド」
キョトンとし、レイナードの顔をロシェルが覗き込む。
「……何でもない」
首を緩く横に振り、レイナードが短く返した。素直なロシェルは、彼がそう言うのならそうなのかと納得し、再度頼み込む。
「ねぇ、もっとケーキをもらってもいいかしら?シド」
ピクッと体が震え、レイナードは少し躊躇した。
(あ、あんな……雛鳥の様に愛らしい口の中へ、またケーキを運ぶのか⁈アルやシュウの時は何とも思わなかったのに、何でロシェルが口を開けてこちらに顔を向けただけで、こんな……こんなに、緊張するんだ!)
「ねぇ……ダメ?」
切なそうな顔で首を傾げられ、指の隙間からロシェルの顔を伺っていたシドは、つい反射でいつものセリフを言ってしまった。
「あぁ、喜んで!」
プルプルと震えながら、ロシェルの口へケーキを運ぶ。そのたびに嬉しそうに微笑まれ、耐性が出来ていたはずのレイナードですら、一々彼女の笑顔にノックアウトされてしまった。
主人に対し何と不謹慎な……と落ち込みつつも、役得だ!とも思ってしまう自分の気持ちが許せない。益々苦悶し眉間の皺を深くしてしまうと、ロシェルが今度は「次は私の番ね」と言った。
何がだ?と思いながらレイナードが彼女の方に顔を向けると、ロシェルが皿のケーキを切り分けている。フォークに一口分を刺すと「はい。シドも、あーん」と言いながらレイナードへ向かいケーキを差し出してきた。
「お、俺もなのか⁈」
反射で少し体が後ろに下がり、椅子の背もたれにぶつかった。
「ええ。私だけだなんて申し訳ないもの」
「いや、俺は別に」
恥ずかしくて堪らず、レイナードが断ろうとする。だが『自分がされて嬉しかったから、シドにもしてあげたい!』と善意のみで頭が一杯になっている彼女は引こうとしない。こうなっては断っても無駄だと察したレイナードは、渋々口を開いた。
ニコッと嬉しそうに微笑み、ロシェルはレイナードが小さく開けた口の中へケーキを押し込む。そのせいで唇に生クリームがついてしまった。
「ごめんなさい!ちょっと早過ぎたわ」
ロシェルが慌ててレイナードの唇についたクリームを指で拭った。汚れた指を拭くために彼がテーブルの上に用意されているおしぼりに手を伸ばしたが、ロシェルはそれを受け取る前に、ペロッと指を舐めてしまった。
「んな⁈」
指を舐める舌の動きに動揺が隠せず、レイナードが声をあげた。
「はや、早く拭いた方がいい!」
ロシェルの手を取り、レイナードがおしぼりで指先のベタつきを拭き取る。
「ありがとう、シド」
「こちらこそすまない、不快な思いをさせたよな」
醜男の唇など触りたくもなかろう。しかもクリームまで取らせてしまうなど……と思い、レイナードが謝ったが、ロシェルには全く理解出来なかった。
「不快?何がかしら」
パッと手を離し、レイナードが俯く。ロシェルは彼の口元がどうしても気になり、手に持つおしぼりをそっとレイナードの唇へと当てた。
「クリームがまだ少し唇に残っているわ。ホント、シドってたまに子供っぽくて可愛いわね。あ、クリームをつけてしまったのは私だったわ……ごめんなさい。それが不快だったのね?」
的外れな事を言われたが、レイナードは訂正する余裕もない。下から顔を覗き込まれ、至近距離で、おしぼり越しとはいえ、唇に触れられている。しかも『可愛い』との褒め言葉付きで。男性に言う様な形容詞ではないが、それでも何故かその一言がとても嬉しかった。
吐息を感じる事まで出来そうな至近距離で、微笑む少女が目の前に居る。その相手は自分の主人だと頭ではわかっているのに、レイナードは我を失いかけた。
先程見た雛鳥の様に愛らしい、濡れた舌がや美味しそうな唇が脳裏をよぎる。
「……シド?」
固まったままでいたレイナードを不思議に思い、ロシェルが声をかけた。その声に彼はハッと我に返り、ロシェルの両肩を掴むと自分から少し距離をおいた。
不自然な程大きな声で問い掛けてしまい、ロシェルは驚き、目を見開いた。
「え?……えぇ、何も。ずっと固まっていたから、どうしたのかしらとは思ったけれど」
ロシェルの言葉を聞き、レイナードがホッとし息を吐いた。主人に不義を行わずに済んだ事に心底安堵する。
だが、そんな時間も束の間。
おしぼりをテーブルに戻し、再びケーキをレイナードの方へ差し出してきたロシェルの「あーん」攻撃から彼は逃げる事が出来なかった。
そんな二人のやりとりを、サキュロスが神殿の屋上に腰掛け、不満を露わにした表情で見詰めている。
「ホント、仲がよろしいことで」
白いニーソに覆われた脚をブラブラとさせながら、「まぁ、いいけどねぇ。今のうちに精々初心な関係を楽しむがいいさ。どうせ最後は私が神殿へお持ち帰りするんだしな」と不敵に笑った。