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火曜、九時。
T&Nホールディングスの十二階、大会議室。
予定通り、取締役会が開かれた。
今回の出席者は、前回と同じ三十名。
和泉兄さんが清水の事件に関与した疑いで、充兄さんに糾弾され、謹慎処分となった取締役会から二か月。今回は、和泉兄さんの復職と、清水の事件の調査結果が報告される。
今日も盗聴してるんだろうな……。
俺は二か月前と同じ席で、充兄さんが提出した川原の証言の録画と、真さんの調査報告を聞いていた。
川原は清水や同期八名と結託し、入札事業において事業主企業や敵対する企業の担当者をレイプしたり、女性に性接待させ、写真をネタに有利に入札を進めたり、キックバックを強要していたことを自白した。他にも、清水の経理部長という立場を利用した不当な主張費や接待費の決済と横領の指南についても。そして、それらを和泉社長が充副社長の仕業に見せかけているように仕組んだことも。
真さんの調査報告は、謹慎中の和泉社長からの聴取内容と事実の精査、川原の証言の裏付けの報告だった。
モニターの中の川原の口からも、充兄さんと真さんの口からも、宮内の名前が出ることはなかった。
事情を知っている俺が聞いても、不自然さを感じさせない完璧な筋書きだった。
尤も、川原が自分で考えたと証言したことが、実は宮内のアドバイスだったというだけのことだが。
一通りの報告が終わり、出席者が安堵の表情を見せる中で、目に炎を宿していたのは、広正伯父さん。宮内から事件のあらましを聞いて、城井坂社長とT&Nグループの乗っ取りを計画していたのだから、付け入る隙であった事件が解決してしまって面白くないのだろう。
「今後も多少の波風は免れないだろうが、ひとまず事件が収束して良かった」と、真っ先に声を上げたのは開発の代表取締役副社長。
「全くだ。和泉社長はあらぬ疑いで謹慎を余儀なくされ、不本意ではあると思うが、まずは復職を喜ぼう」と、ホールディングスの取締役常務。
「築島副社長も社長代理業務、お疲れさまでした」と、フィナンシャルの取締役監査。
「いえ、私は何も。和泉社長不在のフィナンシャルを守ったのは、実質は蒼くんですよ。彼が補佐を買って出てくれなければどうなっていたかと思うと震えが止まりません」と、慎治おじさんが大げさに俺を褒めた。
「私も、蒼くんが和泉社長の一大プロジェクトを成功に導いたと聞いたよ。お疲れさん」と、開発の取締役社長である徳田社長が俺を見た。
昨年度まで開発事業に関わっていた俺は、徳田社長に可愛がってもらった。叩き上げの徳田社長は、京都のショッピングモール開発事業を通して、彼の持つノウハウを教えてくれた。言わば、恩師だ。
「立派な息子さんが三人もいて、T&Nは安泰ですな、会長」
「確かに。グループ内の世代交代の時期が訪れているのかもしれませんな」
会議室内が和やかな雰囲気に包まれ、このまま事件は幕引きかと思われた。
けれど、広正伯父さんが黙って引き下がるはずはなかった。
「そうでしょうか? 私は引退を前にいささか不安を覚えましたよ」
広正伯父さんの言葉に、会議室内が静まり返った。
「皆さん、大事なことをお忘れではないですか? 川原という男の策略だったとはいえ、和泉くんは事件の関与を疑われても仕方がないような行動をとった。あの写真がマスコミにでも流れていたら、グループの信用は地に落ちていたでしょう!」
やっぱり……そうきたか。
表情を見る限り、和泉兄さんも充兄さんも、真さんも、俺と同じように広正伯父さんがどこを突いてくるかを予想していたようだ。
「充くんにしてもそうだ。川原の策略に乗せられて、実の兄である和泉くんを失脚させようとした。間違いでした、で済まされることですか!」
黒幕を探るためとはいえ、川原の策略に乗った振りをして懐に入り込む予定が、川原に逃げられてしまった充兄さんは耳が痛いはずだ。
「内藤社長、結果的には事件は社内で処理出来たわけですし、川原に刑事罰を求めるにしても、和泉社長と充副社長の名前が公になることはないでしょう?」と、慎治おじさんが諭すように言った。
「そうでしょうか? 和泉くんの謹慎は既に漏洩されています。T&Nと城井坂マネジメントの提携についても然りだ。川原を警察に突き出せば、ここ最近のグループ内の動きを怪しむ者も出てくるだろう」
俺は、広正伯父さんが和泉兄さんを『和泉くん』、充兄さんを『充くん』と呼んでいることが気に入らなかった。場所を考えれば、甥と言えども役職で呼ぶべきだ。役職をつけないことで、見下し、二人の失脚を狙っていることは明白だった。
意見の相違があるとはいえ、伯父である内藤社長を信じたかったが……。
「内藤社長の仰っていることは事実ですが、この場で和泉社長と充副社長の失態を責めることに意味がありますか? お二人に処罰を与えようと?」と、徳田社長が厳しい顔つきで言った。
「まさか! ただ、お二人にグループの将来を預けるのは、いささか不安があるということですよ」
「内藤社長、今は後継者について議論しているわけではありません」と、建設社長が言った。
「わかっていますよ。ただ、一連の事件に関わる事実として、この場にいる一同が共通の認識を持つべきだと考えているのです。世代交代の時期だからこそ、今の時代に世襲制が似つかわしくないことも含め、グループの今後について議論がなされてもいいのではないでしょうか」
会議室内に緊張が走る。
「内藤社長の仰っている通りですな」
内藤社長に賛同したのは、観光の取締役専務、大河内豊。充兄さんが内藤社長の仲間として名前を挙げた一人だと、咲から聞いている。
「後継者について、そろそろ腰を据えた議論が必要でしょう」
同じく内藤社長の仲間であろう、開発の取締役常務、柿崎良平が言った。彼が徳田社長と対立関係にあるのは、開発の人間であれば知らない人はいない。
京都にいた時に徳田社長に柿崎常務について聞いたことがある。徳田社長は笑って言った。
『社長に真っ向から意見を言える人間はそうはいない。彼がいるから、俺は社長の椅子に背筋を伸ばして座っていられるんだよ』
こうも言われた。
『蒼、お前も物怖じせずに意見を言ってくれる人間をそばに置け。部下でも友達でも恋人でもいい。自分は偉いと勘違いした時に、鼻っ柱を折ってくれるような人間を大切にしろ』