テラーノベル
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領地に到着して、三ヶ月が経った。
木々が紅葉し色鮮やかな美しい季節だ。
秋風が涼しくて気持ちよくて、私は思わず屋敷の庭に出て深呼吸をした。
オオバコの葉を利用し咳を止め、ハハコグサを使った黄色いお茶で痰を切る対処療法で肺炎患者を激減させる事に成功した。
領地に生えてる雑草のような薬草でも対処できたのに、何故エスメ(ノエル)がわざわざ依存性の高いケシを咳止めに利用したのか不明だ。
オオバコやハハコグサと比べても見つけにくく、渡り鳥が運んできたケシを利用したエスメ(ノエル)。
「やっぱり、理解できないわ」
ふわっと香る男らしい香り。
地面に映る大きな影。
私は、後ろから抱きついてこようとしたジェイクの腕を捻りあげる。
これは彼が教えてくれた護身術だ。
「痛っ! 理解できないって、何が? 十分、身についているよ、護身術」
痛がっている彼の腕を離してあげる。
「突然、レディーに抱きつこうとするなんて何を考えてるの? 訓練のつもり?」
「薬が完成したから、喜びを分かちあおうと思って抱擁しに来たの」
「本当に?!」
私は嬉しくて思わず彼に抱きつく。
そんな私を優しく彼が抱き締め返して来た。
薬は領地に招集した薬師サラによって完成された。
彼女は遠く東洋から五年前に移民としてやって来た方で、薬草に精通していた。
ジェイクの持ってきた薬草は効能の高い貴重なものもあったらしく、目を輝かせながら寝ずに薬を作ってくれた。
「サラには本当に感謝しなきゃね」
「俺には?」
「もちろん、貴方にも、コホッ」
突然、胸が苦しくなり咳が出てくる。
「ごめんなさい。ジェイク、離れて! 私、罹患してしまったみたい。コホッコホッ」
喉に迫り上がってくるような咳が止まらない。
衛生管理に気をつけていたのに、皆が治った頃に感染したなんて自分でも呆れてしまう。
ジェイクは突然、私を抱き上げると横抱きにして来た。
「コホッ、だから離れてって!」
「ベッドまで運ぶ」
「離して! 移っちゃうってば」
私の言葉を無視して、オクレール領地の屋敷に入っていく。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ってくるメイドにジェイクが薬師サラを呼ぶように指示する。
階段を上がった真ん中の部屋の扉を開け、ジェイクが私をそっと柔らかなベッドに下ろした。
喉が詰まって呼吸困難になりそうな程に苦しい。
さっきまで全然元気だったのに急激に体が重くなっていくのが分かり怖い。
こんな苦しい思いを多くの人がして、酷い時は命を落とした。
「コフッ、ジェイク、ありがとう」
「ちょっと、待ってろ」
彼が姿を消したと思ったら、直ぐにグラスと砂糖水で漬けたカリンの実のデカンタを持って来た。
「カリンのシロップだ。咳止めに効く」
「コホッ、ハハコグサのお茶で良いのに」
「苦いの苦手だって言ってただろ」
バルベ公爵邸で私が言った些細な事も覚えてくれている彼に心が温かくなった。
私はグラスに注がれたカリンのシロップに口をつける。
甘い味が口内いっぱいに広がる。
「甘くて、美味しい」
「まだまだ、あるから好きなだけ飲め。それで、寝て休め。エスメは頑張り過ぎだ」
私の髪を撫でてくる彼の手の気持ちよさに身を任せていると、扉をノックしてサラが入ってきた。
短い黒髪に黒い瞳に丸メガネをしたサラを見るとホッとして力が抜ける。
「おっと」
グラスが手から抜けそうになるのを、ジェイクがそっと押さえてくれた。
声を出すと咳が出てしまいそうで、私はアイコンタクトで彼にお礼を言う。
サラが粉末状の薬を紙に乗せたものを差し出してきた。
「苦いかもしれませんが、お飲みください。これで二日で症状が落ち着くと思います」
「良かったな。今週中には首都に戻れそうだぞ」
私は粉薬を受け取ると、一気にカリンのシロップで喉の奥に流し込んだ。
「ありがとう、サラ。ジェイク、悪いけれど先に帰ってくれる? 罹患して間を空けずに首都に帰るのは危険だわ。せめて、もう一週間は様子を見たいの」
私は過去三度、感染症に罹り亡くなったライナス皇帝を思い出していた。
せっかく領地で病が食い止められそうなのに、私が首都に病気を持ち込んだら意味がない。
「俺も残るよ。建国祭には間に合いそうだな。その時は、俺にエスコートさせてくれよ」
「もちろんよ」
領地には父、クラリッサ、それからアンドレアから手紙が頻繁に届いていた。
手紙によると私とアンドレアの婚約は未だ破棄されていない。
建国祭に私をエスコートしたいとアンドレアから手紙で伝えられたが断った。
クラリッサの話では、私とジェイクが恋仲でアンドレアとの婚約は破棄されると令嬢たちの間でも噂になっているらしい。
流石に三ヶ月以上も他の男と過ごした女と自分の愛息を婚約したままにする等、グレンダ皇后のプライドが許さないだろう。
私とアンドレアの婚約が破棄されるのも時間の問題だ。
真夜中、自分の空咳で目が醒める。
「コフッ」
(苦しい)
背に温もりを感じると、ジェイクが私を抱き起こしていた。
「ほら、グラス。持てるか? あと少し我慢すれば咳も止まるから」
「なんで? 病気が移るからここにいちゃダメでしょ、コフッ」
私の言葉にジェイクが眉を下げながら、そっと私の手にカリンシロップの入ったグラスを持たせる。
「俺に移したら早く治るかもしれないだろ。俺なら新薬なくても力で病魔なんて倒せるしな」
不安な気持ちを隠せず、下手くそな笑顔を作る彼に私は何も言えなくなってしまった。
「移っても知らないから、コフッ」
私はカリンシロップを一気に飲み干す。炎症していた喉が鎮静化していく。
(このシロップ、ジェイクみたいだな)
周囲に振り回され沢山傷ついたから、彼はこんなに優しい人間になったのだろうか。
「分かったから、もう寝ろ」
彼の優しい声に魔法がかけられていたのか、私は空のグラスを彼に手渡すとそのまま深い眠りについた。
♢♢♢
私は夢の中にいた。
アンドレアが指で猫の私の首を摩りながら語ってくる。明らかに何かに悩んでいる表情をしているのが心配。
『ノエル、僕ってつまらないよな。だから、エスメは飽きてしまったんだろうか。最近は淡々と仕事ばかりだ』
『にゃー、にゃー、にゃあん。(エスメはアンドレアの為にいつも動いてるんだよ)』
うなされているアンドレアが悪夢を見ていると思って、私はベッドの上に乗って彼を起こした。私の姿を確認するなり、彼が私をギュッと抱きしめる。爽やかなシトラスの香りに包まれ、私は自分の温もりを分けようと彼の懐に大人しくおさまった。
『ジェイクの方が優秀だったって陰口を言われている気がするんだ』
『にゃー、にゃん!にゃーん。(そんな事、誰も言っていない! アンドレアの事みんな褒めてたよ)』
肩までの金髪を揺らしながらシエンナが眉を下げて、アンドレアに近付いてくる。
アンドレアは膝の上に私を乗せて毛並みを整えていた。
『アンドレア皇子殿下、大丈夫ですか? まさか、エスメ様が仮面を付けて夜な夜な男のベッドを渡り歩いているなんてショックですよね』
彼の私を撫でる手が止まり、その手が温度を失い小刻みに震えているのが伝わってくる。
『にゃん、にゃん!(エスメはそんな事してない、この性悪聖女がデマを吹聴してるんだよ)』
私の言葉はアンドレアに届かない。
(苦しい! どうして、こんな無力なの?)
♢♢♢
遠くから声が聞こえる。
「エスメ? 大丈夫だ、エスメ」
うっすら目を開けると銀髪に女のように美しい男性。宝石のように美しい瞳に映るエスメ・オクレール。
(そうだ、私がエスメだ)
「うなされてたぞ、胸が苦しいのか?」
私の胸を摩り、自分がどこを摩っているか気が付き慌てて顔を赤くして手を引っ込めるジェイク。
「大丈夫、ちょっと怖い夢を見ただけ。胸の苦しみは取れて来てるの」
「怖い夢? エスメは何が怖いの。俺にできる事はない?」
私が怖いのは自分が無力である事。それは自分でしか解決できない。
でも、私の力になりたいと思い、私の側にいようとしている彼にそんな事は言えない。
「側にいてジェイク」
「もちろん、それでエスメが怖いのがなくなるなら、いくらでも側にいるよ」
具合が悪くて涙腺が弱くなっているのか、双眸の眦から涙が溢れる。
私は泣いたのを彼に見られたのが恥ずかしくて、再びゆっくりと目を閉じた。
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芙月みひろ
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#恋愛