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資料を置いて、荷物を持ち、打合せ終了から三十分後には、居酒屋の個室で私は京谷さんと向かい合っていた。
彼女の食べたいものが全て揃っているお店が、他に浮かばなかった。
「すみません。普通の居酒屋で」
「なにが? 全然オッケー! ね! 私が適当に注文していい?」
「はい、どうぞ」
京谷さんは一杯目のジョッキビールを二つと、ラーメンサラダにほっけの開き、イカの一夜干し、ザンギ、ジンギスカンの唐揚げを注文した。
「海鮮丼とラーメンは食べないんですか?」
「それは、後のお楽しみ」
今も十分、楽しそうだ。
すぐにビールが届けられ、私たちはジョッキをゴツンと重ねて乾杯した。
「フードロス企画の成功に!」
そう言うと、京谷さんはジョッキ半分まで一気に飲み干す。
「は~~~っ! 美味い!! 仕事の後のビールって、ホント最高!」
いい飲みっぷりだ。
美人は、鼻の下にビール泡の髭をつけても様になる。
私は一口をゆっくりと飲み込む。
女子会と言えども、私は彼女を接待する立場だ。
酔って醜態を晒すわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせながら、もう一口含む。
「で!? 椿ちゃんは彪とヤッちゃった!??」
「ゴフッッッ!」
吹き出しそうになり、波打ったビールが鼻に入る。
私はむせながら、テーブルの上のティッシュを引き抜いた。
鼻がツンとして痛い。
「あ、ごめんね? 直球過ぎた? 大丈夫!?」
「ゴホッ! だ、大丈夫です……」
「お待たせしました! イカの一夜干しとラーメンサラダです」
勢いよくドアが開き、元気な店員さんが皿を置いていく。
「美味しそう! いただきます」
京谷さんはラーメンサラダを取り分け、待ってましたと食べ始めた。
「なに、これ! チョー美味し!」
美人はラーメンサラダをすする姿も可愛らしい。
「ほら、椿ちゃんも食べて! 私、たくさんの種類食べたいから、一緒に食べてくれないと!」
ラーメンを咀嚼しながらも、注文用のパッドを操作する。
「かいへんどんもいいへろ、さしみのもりあわへもいいね」
もぐもぐと顎を上下させながら、パッドをスクロールさせていく。
私も箸を持ち、イカの一夜干しを三切れ程皿に移した。マヨネーズをつけて、口に入れる。
「彪は今頃、一人寂しくコンビニ弁当かな」
昨夜作ったカレーライスが冷蔵庫にある。
炊飯器にご飯も入っているから、食べてくれていると思う。
一人寂しく……。
彪さんのマンションで暮らすようになって、朝ご飯と夜ご飯は一緒に食べていた。
その期間は飲み会などもなく、毎日一緒だった。
そう思うと、彼を一人にしてしまって申し訳ないと思う反面、向かい合ってもまともに顔を見ることも、何気ない会話をすることも出来なかっただろうとも思う。
『椿となら結婚したいって思うくらい好きなんだよ!!』
ふっと気が緩んだ拍子に、昼間の彪さんの言葉を思い出す。
恥ずかしさと動揺から、ビールを喉に流す。
「ね! 椿ちゃんは――、あ、椿ちゃんて呼んでいい? 女子会っぽくていいよね? で、椿ちゃんは、なんて返事するの?」
「へ? 返事……?」
「うん! 彪からのプロポーズの返事」
「プッ――プロッ――!?」
「え!? あれってプロポーズでしょ?」
「ま、まさか! あれは、その、ものの例えであって――」
「――結婚したいぐらい好き、なんて結婚したいって言ってるのと同じじゃない!」
ケラケラと笑う京谷さんは、一夜干しをふた切れ一緒に口に入れた。
「ん! 美味しい! 幸せ~」
噛んで、飲み込んで、ビールを飲む。
「ザンギとジンギスカンの唐揚げでーす」
店員さんが次なる料理を持って来る。
皿がテーブルに着地するかしないかで、京谷さんがザンギを箸で挟み上げる。
「お熱いのでお気を付けください!」
大きな口を開けてザンギを待ち構えていたが、店員さんの言葉に口を閉じ、ふーっと息を拭いてザンギを冷ます。
「で? するの? 結婚」
「しません! 私は、結婚などできる身分ではありません。相手が彪さんだなんて、恐れ多すぎてとても――」
「――身分て! 昔は奴隷だって結婚できたんだよ? え? あ! もしかして、椿ちゃん既に結婚してる? それじゃあ、出来ないよね! 重婚とか、逮捕されちゃう~」
「滅相もない! 私は独身です!」
「私はバツ二です~」と爆弾発言をして、京谷さんはザンギを口に放った。
「ん~~~!」
ギュッと目を閉じて味わっている。
なんて愛らしい仕草なのだろう。
「椿ちゃん! ビールのお代わり頼んで~」
私はパッドでビールを一つと、ウーロン茶を注文する。
「刺身の盛り合わせも! あと、豚串! 北海道って、豚串のことも焼き鳥って言うんでしょ? 鳥じゃないのに」
京谷さんのご希望の他に、私は月見つくねと餅ベーコンも注文した。
「けど、そっかぁ。椿ちゃんにフラれたら、彪の将来は孤独死かな」
「えっ!?」
唐突に縁起でもない単語が飛び出し、思わず声が大きくなる。
「だってぇ、あの彪が結婚したいと思う女なんて、そうそう現れないわよ。フラれて、仕事に没頭して、過労死もあるか」
孤独死……過労死…………。
まさか、と思う反面、一人暮らしでは何があるかわからない。
「もうすでにぽっくり逝っちゃってたりして? 昼間の公開プロポーズの恥ずかしさと、椿ちゃんに拒否られたショックで! あー、心配だなぁ。けど、彪のマンションなんて知らないしなーーー。あ、スマホの番号は変わってないかな? 慰めてあげちゃおっかなぁ。そのまま既成事実作っちゃおうかな? 彪、優しいし、ヤリ捨てとかしないと思うし」
そう言うと、京谷さんがバッグからスマホを取り出す。
彪さんに連絡を取るのかと思いきや、「あ」と口を開いてスマホをバッグに戻した。
「この時間はまだ仕事してるか」
彪さんは、東京支社から視察に来る方と一緒に食事をすることになるだろうと思って、昨日のうちに仕事を終わらせていた。あるとすれば、今日中に回ってきた決裁くらいだろう。
「椿ちゃんは知ってる? 彪のマンション」
「え? あ、は――、いえ」
「えーーーっ? どっち?」
「場所は……知っています」
「そうなの? じゃ、教えてよ」
京谷さんがラーメンサラダの皿を空にした。
「わたひ、ひょうとめてもらっひゃおうはな」
「え?」
京谷さんは私に掌を見せながら、咀嚼し、ごくんと飲み込むと、更にビールを一口飲んだ。
「既成事実! マンション押しかけて脱いじゃえば、彪もソノ気になるでしょ」
「ほっけの開きとビールとウーロン茶です!」
ノックが聞こえたかどうかのタイミングでドアが開く。
忙しいのか、客の返事を待つ気はないらしい。
「あれ、椿ちゃんウーロン茶? もう飲まないの?」
「あ、はい。明日も仕事ですし、そんなに強くないので」
最近、酔って醜態を晒してばかりだ。
「若いのにまっじめー!」
ケラケラと笑う京谷さんは、私なんかよりずっと若く見える。
「私なんか、二時間きっちり飲んでから、彪とセックスしようとしてるのに。明日、遅刻したらごめんねぇ」
京谷さんと彪さんが……セックスする。
急に息苦しくなる。
「だって椿ちゃん、彪を振るんでしょ?」
私が彪さんを振る……?
「そんな滅相も――」
「――それって、彪が他の女を好きになって、その女のものになってもいいってことよね?」
「え?」
「今日、椿ちゃんを好きだと言った彪が、一か月後には椿ちゃんじゃない女を好きだと言っているかもしれない。それでもいいってことよね?」
「いい……も、なに……も」
うまく声が出ない。
激しい動悸と息切れ。
某CMの症状だ。
ジョッキ一杯で酔ってしまうとは、東京支社からの視察で緊張と疲れが出たのかもしれない。
そうでなければ、視界がぼやけたり、唇が震えたりしないはずだ。
「素直じゃないね、椿ちゃん」
「刺身の盛り合わせと豚串、月見つくね、餅ベーコンお持ちしました!」
店員さんはトレイの皿をテーブルに置き、テーブルの空いた皿とジョッキをトレイに載せて出て行く。
その間、二十秒ほどだろうか。
「ね、椿ちゃん」
「は……い」
鼻の奥がツンとする。
「彪に東京行きの話が出てるの」
東京……!?
「今回、私が札幌に来たのは、フードロス企画の視察と、東京行きを彪に打診するのが目的」
ぼやけた視界の中で、京谷さんが小皿の中で醤油とワサビを混ぜているのが見える。
「彪の評判を聞いて、支社長が自分の補佐に欲しいって言ってるの。支社長、めちゃくちゃ忙しくてね。だから、彪、東京に来たら働き過ぎで、ホントに過労で孤独死しちゃうかもね」
「ダメです!」
私は衝動的にテーブルに両手をついて腰を上げ、前のめりになった。
「彪さんは札幌本社になくてはならない方です! 東京で過労死なんてダメです! 会社にとって大きな損失です!」
「椿ちゃんにとっては?」
「……?」
「椿ちゃんにとって彪は、なくてはならない人じゃないの?」
「それは……もちろん……」
「彪が他の女を好きになるかもしれないって聞いて、泣くほど苦しいのはどうして?」
瞬きする度に冷たい液体が頬を伝う。
眼鏡に水滴がつき、視界がぼやける。
「東京に行くかもって聞いて、ダメだと興奮するのはどうして?」
「それ……は……」
「過労死も孤独死もさせたくないなら、椿ちゃんがずっとそばにいてあげたらいいじゃない」
京谷さんがわさび醤油に何かをつけて、口に運ぶ。ぼやけていて、何かはわからない。
「美味しい!」
「椿ちゃん! 私、この料理を全部平らげたら彪のところに行くわ」
「……?」
「だから、私が食べ終わる前に、彪のところに行きなさい」と、京谷さんが片手を振る。
しっしっ、とでも言いたげに。
「ふぇ……」
口を開いたら、変な声が出た。
もう、次々と溢れる涙が止まらない。
「私のEカップの胸はライバルを慰めるためにあるんじゃないの。椿ちゃんの胸は? 私に負けじといい大きさで柔らかそうね。その胸で癒してあげたら、彪は死ぬほど仕事したりしないんじゃない?」
そう言われて、思わず彼女の形の良い丸い胸を見つめてしまう。
「私の胸で癒しちゃっても、いい?」
「ダメです!」
自分でも驚くほど身軽にピョンッと立ち上がると、なぜか腰に手を当てて仁王立ちしてしまった。
「私が! 彪さんを孤独死なんてさせません!!」
後はもう、がむしゃらに走った。
大好きで、尊敬する、大好きな彼の元に。