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#大人ロマンス
桃下結衣
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「どうしてあなたがこの紙を持ってるの? 答えて!」
「じゃあ、亜紀先生はどこまで知ってるの?」
頬杖をついて微笑む楓。
「質問をしてるのは私よ!」
明らかに小馬鹿にした視線に煽られて、思わず語気が荒くなった。
「――第一火曜の21時。場所は名古屋三大老舗料亭の一つ、華柳禅。この店の天ぷらは、それはもう絶品なんですよ。亜紀先生、食べたことありますぅ?」
「……はっ?」
返されたのは、またしても一貫性のない話だった。不快感を露わにして眉を寄せる。
「遼一さんが、藤堂主任教授と密会をしている場所ですよ。そこに書かれた人物には、藤堂教授も絡んでる。最低限それくらい知ってますよねぇ」
――最低限?
「あなたはどうして、一体どこまで知ってるの? どうして遼と藤堂教授が繋がってるの? 二人は何のためにそんな危険なことをしてるの?」
顔を引き攣らせ、問いを連ねる。
「なんだぁ。何も知らないんだ。妻のくせに呑気なものね。これだから、職場で女なんて作られちゃうのよ」
緊迫を打ち破ったのは、吹き出すような笑い声。彼女は鐘を鳴らすようにケラケラと笑って、二枚目のピザに手を付けた。
「どうやって手に入れたかなんて、あなたは知らなくていいのよ。“藤堂教授とつるんで患者から高額な金を巻き上げていた”――離婚を迫るための手土産としては、その紙切れ一枚で十分です。……あなたが思っている以上に、効果があると思いますから」
「効果があるって……なら、どうして私にこれを? ……初めから私に渡すつもりで手に入れたわけじゃないでしょ?」
目を大きく見開き、途切れた言葉を並べていく。
「ええ、もちろん。最初は私自身が彼を追い詰めるために手に入れたモノ。だけど、見てみたくなったの」
「見てみたくなった……?」
「だって、こっちの方が面白いじゃない。憎むべき愛人の手を借りて、あなたが彼を精神的に追い込む。悪事の証拠を最愛の妻に叩きつけられた彼は、一体どんな顔をするのかしら? ……想像しただけでゾクゾクしちゃう」
楓はまるで台本を読み上げるようにそう言って、ピザを嬉しそうに頬張った。
こっちの方が面白い?
私に追い詰められる彼を想像しただけで、ゾクゾクする?――まるで宇宙人。感覚が理解できない。
不意に――
『あなたは、私の所へ来るしかないのよ』――楓がマンションから立ち去る際に吐き捨てた、あの不吉な言葉が頭をよぎる。
「……これを掴もうとした初めの理由は、自分自身で遼を追い詰めるつもりだったって言ったわよね?」
「はい、言いましたけど?」
「そんな汚い手を使って脅すようなことをして、本当に遼の心が手に入ると思ってるの? あなたがやろうとしてることは、近い将来、自分の首を絞めるだけ。……本当は、自分でも分かってるんじゃ――」
「煩い! 知ったような口利かないで! 悠々と生きてきたあんたに私の何が分かるっていうの? あんたのそのくだらない説教も偽善もうんざりなのよっ!」
彼女の顔に凄まじい怒りが這う。怒気を込めた言葉を叩きつけた彼女は、噛みつくような勢いで私をキッと睨み付けた。
思わず肩を引く。突然の噴火に驚いた私は目を丸くし、喉まで上がった言葉を飲み込んだ。
「あなたには言ったはずですよ。私が欲しいのはありふれた男女の恋愛なんかじゃない。欲しいのは、死ぬまで逃れられない永遠の愛。それはこの子が手に入れてくれる……」
楓は声のトーンを落とし、下腹部に手を触れて口元に笑みを浮かべる。
「――亜紀先生、あなたには到底理解ができない世界なの。だから、余計な詮索も説教もやめてくださいね。それと、約束は必ず守ってくださいよ?」
石のように冷たい視線が向けられる。怒りを鎮め、元に戻った言葉遣いの丁寧さが、さらに不気味さを際立たせる。
「約束? ……」
ゴクリと唾液を飲み込み、眉根を寄せる。
「それを使って離婚を成立させる約束です。時間は二人の都合に合わせます。だけど、場所は私が指定しますから」
「場所を指定って……」
「離婚の話をする場所ですよ。当然のことながら、私が監視できる場所でしていただきます。重要なネタをこのまま持ち逃げされては困りますから」
えっ……
「待って! あなたが見ている前で、そんな話をしろと言うの!?」
平然とした顔をする彼女を凝視し、声を裏返す。
「見ると言っても、同席するつもりはありません。私が指定する店の、私の目の届く範囲にいていただきたいだけです。ご希望なら、同席しても私は構いませんけど? それはそれで面白そうだし」
楓はテーブルに肘をついた両手のひらを口の前で合わせ、「ふふっ」とおかしそうに笑う。
確かに、遼と二人きりで部屋に籠って離婚話を持ちかけるのは、身の危険を感じる。
それは麗香にも止められていたことだ。
しかし、この娘の監視下で実行しろと言われるのは想定外。
「……」
彼女をまじまじと見て、言葉を詰まらせる。
「それと、席に着いたらまず私の携帯を鳴らして、彼にバレないようにそのまま通話状態にしておいてください」
「……私達の話を盗み聞きするのね」
「亜紀先生が私との約束を守るか、確認をするためにです。これは盗み聞きとは言いませんよ? だって亜紀先生は協力者ですから」
彼女は首を傾けてニッコリと笑い、おもむろに烏龍茶のグラスに手を添える。
魔女の微笑みはいつでも怖気を誘う。
表情を固め、呼吸を止めたまま再び手元に視線を落とす。
不吉なオーラが漂う封筒だというのに、真実を追う好奇心に背中を押されて掴んでしまったのは私。
魔女から譲り受けた毒りんごは、その辺にポイと放り出したくてもできるはずもなく。そして中身を知ってしまったからには、もう頭の中を白紙には戻せない。
「考えさせて……」
彼女と向かい合うのにも限界を感じる。今にも息が詰まりそうで、大きく顔を歪めて席を立つ。
「考える? いつ彼に連れ戻されるか分からない状況なのに? 逃亡者のあなたに、のんびり考える時間なんてないんじゃないですか」
「私は逃亡者なんかじゃない。自分の今後のことを考えるために彼から離れたの。それに、さっきから何をいけしゃあしゃあと……私が家を出る原因は誰にあったと思ってるの」
苦々しく言って、握り締めた封筒をバッグに押し込んだ。
財布から出した千円札をテーブルへ置き、怒りを込めて彼女を睨みつけた。
「申し訳ありませんが、あなたの恨み辛みの話には興味がありません。今週中に連絡をください。……必ず」
「今週中?」
「はい、今週中です。……では、お疲れさまでした。お気を付けてお帰りください。それと、その千円はお持ち帰りください。今夜は私の奢りだと言ったじゃないですか」
わざとらしく上品に手を振って、私を嘲笑うかのように満足げな笑みを浮かべる。
「……」
それを無視して立ち去ろうとする私の背中へ、
「……氷山の一角ですよ」――意味ありげな声が掠めた。
「え……」
……今、何て言った?
後ろを振り返り、彼女を訝しく見る。
「その封筒に書かれた内容は、おそらく氷山の一角に過ぎない。藤堂教授の懐までは、さすがの私も飛び込めませんから。……もし、その紙を彼に破られたりしても大丈夫ですよ。予備はたくさんあります。データは私が大切に保管してありますから」
再び視界に入れた彼女はそう言って、ソファーに大きくもたれかかり、口の端を引き上げる。
「……そう。随分と用意周到ね」
私は吐き捨てるように言って背中を向けた。まとわりつくような視線を感じながら、店を後にした。
コメント
1件
うわあ……今回も重くて濃いですね。楓さんの「魔女の微笑み」が本当に怖気付くというか、あの楽しそうにピザを食べながら冷酷な計画を語るギャップがゾッとしました。「氷山の一角」って最後に言うところ、不気味すぎます😨 でも亜紀先生が毒りんごを掴んでしまった以上、もう引き返せないんですよね……逃げ場のなさに胸が締め付けられます。次が気になります!