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#大人ロマンス
桃下結衣
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遼が藤堂教授と共謀し、患者からお金を吸い取っていた――
直江先生と楓の話は一致する。そのことから判断すると、もはや疑う余地はない。
楓はどんな手を使って、あの証拠を手に入れたのだろう……
初めは自分用の「脅しネタ」だったと言っていた。だとしたら、遼本人が楓に教えた可能性は限りなくゼロに近い。
楓はこの証拠を握っていたから、何の迷いもなく早々に病院を立ち去ったんだ。
病院中に噂を広めることで私を追い込み、自分は高みの見物をしながら、私を揺さぶる機会を待っていた。
楓はしらを切っていたが、友人を使って噂を広めるよう仕組んだのも、彼女としか考えられない。
そして、私は楓の思惑どおりに平常心を乱され、まんまと策略にはまってしまった。
彼女は自分の手は汚さず、遼の妻である私を監視下に置いて目的を果たそうとしている。
それはおそらく、私を心底憎む彼女にとって最高傑作のシナリオ。
『想像しただけでゾクゾクしちゃう』――あの言葉はまさしく、彼女の本心に違いない。
利害一致で私があの娘のパートナー?
――違う。
あの娘にとって、私はただの無能な操り人形。友人だと信じていたおめでたい過去の私と、彼女から見れば何一つ変わっていない。
あの娘の思いどおりにはさせたくない。
誰にも操られたくない。
遼にも――
「楓、あなたにも……」
ベッドの上で膝を抱える私は、シーツの上に置いた楓からの『プレゼント』を見つめ、低く呟いた。
――午後7時。
最後の病棟回診を終えた私は、医局の扉を開けた。
循環器内科と呼吸器内科の二つの科が共用するこのスペースには、片袖デスクが向かい合い、三列に並べられている。
まばらに座るドクター達へ「お疲れ様です」と挨拶しながら、窓際にある自席に向かった。
あれ……
「麗香。先に帰ったと思ってた。どうしたの?」
部屋の片隅にあるソファーに視線を向け、週刊誌を片手に珈琲を啜る親友に声を掛けた。
「あぁ、お疲れ様。亜紀を待ってたの。一緒に帰ろうと思って」
私に気づいた麗香は微笑むと、雑誌を閉じてテーブルに置いた。
「そうなんだ。今日は早く帰らなくていいの?」
「大丈夫。今夜は旦那が残業だから、娘は祖父母と外食するんだってさ。さっき留守電が入ってた」
「外食……? 麗香は一緒に行かないの?」
「うん、行かない。旦那の帰りが遅い日は、私の帰りも遅い方が家庭内の雰囲気が平和なの」
笑い飛ばすように言って、ソファーの背にもたれ、大きく伸びをした。
「またそんな卑屈なこと言って……」
麗香はご主人の両親との折り合いが悪い。
“デキちゃった婚”が気に入らないのか、医師という職業柄、不規則な生活が気に入らないのか、その理由は定かではない。特に姑からの風当たりは強く、ネチネチとしたいじめが結婚当初から続いているらしい。
誰もが見惚れる“マドンナ麗香様”が、白衣を脱いで帰宅すると、実はガラスの靴を脱いだシンデレラだとは誰も想像できないだろう。
肉体は妻として母親として縛られていても、疎外感によって常に心は空虚な寂しさを抱える麗香。
女として目も向けられずに肉体は放置されていても、常に精神は夫に支配されていた私。
社会で生きる限り、真の自由などないと分かっていても、直江先生のように欲望のまま自由奔放な生き方ができる人間を羨ましく思う。
故に、麗香が直江先生に対して牙を剥き出すのも、彼の心を見透かすような舐めきった態度と、自己中心的な軽薄さが癪に障るのかもしれない。
「ねえねえ、今夜は先約あるの?」
麗香は残りの珈琲を飲み干して、正面に立つ私を見上げた。
「先約?」
……ああ、今泉さんのことね。
「ううん、今日は約束してない」
今夜は取引先の重役さんたちと会食だと聞いている。
「ならさ、新栄辺りでご飯食べて帰ろうよ。焼き鳥とビールで作戦会議を……ね」
「作戦会議って……」
「そう、その“作戦会議”よ」
麗香は組んだ右膝に手を掛け、意味ありげな笑みを浮かべた。
楓との件について、麗香には全て話している。
「……うん、じゃあ行こうか。焼き鳥を食べに」
口元に控えめな笑みを滲ませた後、再び自分のデスクに向かって歩き出した。
「……あっ。忘れてた」
ソファーから立ち上がった麗香が声を発した。それを聞いて振り返った。
「どうしたの?」
「病棟に寄る用事を思い出した。亜紀はすぐに帰れるの?」
「うん、このまま帰れるけど……ここで待ってようか?」
「病棟から更衣室に直行する。だから、亜紀は先に更衣室に行って着替えててよ。すぐに済む用事だから」
麗香はそう言い置くと、私の返事を待たずに踵を返した。
デスクがずらりと並ぶ狭い通路を、カツカツとヒールの音を鳴らし、颯爽と歩いていく後ろ姿。
「うん、分かった。更衣室でね」
白衣をなびかせる凛とした後ろ姿に目を置きながら、私は小さなため息とともに声を落とした。
医局を出た私は、廊下ですれ違う病院関係者たちと会釈を交わしながら更衣室へ向かった。
私の姿を映し出す窓ガラスの向こう側にあるのは、どこまでも続く夜の闇。細かな光で飾られる街の夜景が、まるで映画のスクリーンを見ているような遠い景色に感じられる。
「作戦会議か……」
街並みに顔を向けたまま視線だけを下ろし、誰に聞かせるでもない小声を漏らした。
遼との約束は二日後の午後七時。場所は名古屋駅に隣接する高層ビル内のレストラン。――楓が指定した店だ。
私の名前で席を予約したと言っていたが、ネットで検索した情報では、ガラス張りで夜景が一望できる、開放感の漂うレストランらしい。
あの証拠を叩きつけて脅した末、離婚届に判を押させようという毒々しい企みには、あまりに不似合いな場所に思える。
『その証拠品はあなた自身で手に入れたモノです。くれぐれも私の名前は出さぬように。約束は守って下さいね』――最後に付け加えられた彼女からの言葉。
楓が自分の監視下で事を進めようという思惑は、彼女が告げたとおり本当なのだろう。
恐らく彼女はレストランのどこかに身を潜め、薄ら笑いを浮かべながら私たちを眺めるつもりに違いない。
楓が言うように、遼との離婚を望んでいるのは事実。
そして、一刻も早い手術を待ち望んでいる患者のために、自分の未来のために、遼の悪事をこのまま黙って見過ごすつもりがないのも事実。
だからといって、全て彼女の言いなりになるつもりはさらさらない。
楓との約束は守る。
けれど――
「亜紀、仕事は終わったのか?」
低い声が私の思考を遮った。
知らず知らずのうちに歩く速さを緩めていた私はハッとして、窓に置いていた視線を慌てて正面に戻した。
目の前に佇んでいるのは、白衣をまとった長身の男。
遼……
こちらに近づいてくるその姿を凝視して、反射的に顔を強張らせた。
「何をボーっとしてる。今から帰るのか?」
白衣のポケットに両手を突っ込んで私を見据える彼。
「ええ、そうよ……」
威圧感で後ずさりしそうになる足をその場にとどめ、彼を見上げた。
コメント
1件
みぅ🤍🥀です。152話、読み終えました……。 亜紀が楓の策略に完全に気づいてしまったところ、ゾッとしました。あの「想像しただけでゾクゾクしちゃう」が本心だったと確信するシーン、怖かったです。でも亜紀が「思いどおりにはさせたくない」って決意するところ、好きです。麗香との焼き鳥会話も、一瞬の日常が逆に不気味さを引き立ててて……最後に遼が現れる終わり方、続きが気になりすぎます。柏木先生、今日もありがとうございました🌙