その後、浜田家の別荘は、湘南在住のフリースクール経営者・菊田優子に、無事引き継がれた。
別荘は、フリースクールの学生たちの研修所として活用される。
若い世代が学びの場として思い出の別荘を使ってくれると知り、浜田夫人は喜んでいた。
菊田は提示された売値で購入する意向だったが、浜田夫人自ら値下げを申し出た。
「少しでも、未来を担う若者たちの応援になれば」
そう言って、大幅な値引きを申し出てくれた。
その厚意に感激した菊田は、
「合宿の際は、ぜひ別荘へ遊びに来てください。湘南のスクールの方にも、ぜひお越しください」
と声をかけた。
その申し出に、浜田夫人はぜひ訪れると約束した。
そして休日の夜、柊の家のキッチンにいた花梨は、食器を洗いながらこう言った。
「それにしても不思議ですね。別荘の売買がきっかけで、売った人と買った人が仲良くなるなんて」
「うん。でも、いいことだと思うよ。特に浜田様にとって、あの別荘は思い入れのある場所だからね」
「そうですね。きっと、亡くなったお嬢様も喜んでいるかも……」
「そういえば、ここ最近浜田様は、フリースクールのバザーに出品する品を集めるために、知り合いの家を回ってるって!」
「あ、私も聞きました。フリースクールのバザーに参加するって。この前お会いした時に、『こんなことならお裁縫くらいやっておけばよかった』ってぼやいてましたよ。手作り品を出品したかったみたいで、すごく残念そうでした」
「ははっ、すっかりフリースクールに夢中みたいだな。でも、忙しいのはいいことじゃないか」
「ふふっ、ご本人も言ってました。認知症予防になるって!」
そこで二人は声を出して笑った。
「さてと……じゃあ、俺たちもちゃんとするか」
「ちゃんと……って、何を?」
花梨は不思議そうな顔をした。
「そろそろ、みんなに公表してもいいだろう? 俺たちが婚約することを」
「こっ、婚約?」
花梨は驚いて、思わず皿を落としそうになる。
「花梨! 俺と結婚しよう」
「…………」
突然のプロポーズに、花梨は言葉を失った。
「そんなに驚かなくてもいいだろう……」
「だ……だって、私たち、付き合い始めてまだ間もないのに?」
「交際期間なんて関係ないよ。出会って10日で結婚した芸能人もいるくらいだし」
「それは芸能人だから……」
「いや、芸能人も一般人もないと思うけどな」
「そうかもしれないけど……」
戸惑う花梨に向かって、柊はもう一度プロポーズをした。
「花梨! 俺と結婚してくれないか?」
いつになく真剣な柊の眼差しに、花梨は吸い込まれそうになる。
「花梨、返事は?」
「本当に……私で……いいの?」
「もちろん。花梨じゃないとだめなんだよ」
そう言って、柊は穏やかに微笑んだ。その笑顔には誠実さがあふれ、嘘などまったくない。
安心した花梨は、こう返事をした。
「よろしくお願いします」
「ありがとう! いい返事が聞けて嬉しいよ。よーし、婚約するとなれば、花梨のご両親にも挨拶に行かないとな」
柊の何気ない言葉に、花梨の表情が曇った。
「ん? どうした?」
「両親には、会わなくていいです」
「え? でも、そうはいかないだろう?」
「あの人たちとは、もう関わりたくないんです」
「……でも、大事な娘さんを嫁にもらうんだ。知らんぷりって訳にはいかないだろう?」
「それでも、今あの人たちとは関わりたくないんです」
「参ったな……」
「いつか……私の気持ちが落ち着いたら、その時に会う機会を作ります。だから、今はやめてもらえませんか?」
今にも泣き出しそうな表情の花梨を見た柊は、ゆっくりとソファから立ち上がり、花梨のそばまで行った。
「辛いことを思い出させて、悪かった……」
「いえ……課長のせいじゃありませんから……」
その瞬間、こらえていた花梨の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
それが引き金となり、彼女は大きな声をあげて泣き始める。
柊はそんな彼女を、そっと抱きしめた。
「ごめん……本当に悪かった」
「ううんっ……うぅっ……ひっく……」
花梨は嗚咽をもらしながら必死に首を横に振る。
激しく泣きじゃくる彼女を優しく抱きしめながら、柊が言った。
「もう言わないよ……いつか……その時が来るのを待ってるから」
「うぅっ……ごめんなさい……」
「大丈夫だ……気にするな」
柊は、腕の中で泣きじゃくる花梨に優しく囁いた。
その穏やかな声を耳にしながら、花梨は全身が癒されていくのを感じていた。
(私は一人じゃない……こんなにも優しい人に守られてる……そして、その優しい人が私の新しい家族になるのね……)
花梨は今、このうえない幸福感に包まれていた。
その幸せな気持ちは、彼女に信じられないくらいのエネルギーを与え、今まで見ないようにしていた悲しみの蓋をこじ開ける。
その時彼女は、娘として顧みられなかった両親との決別を心に誓った。
数日後、花梨が出勤途中電車に乗っていると、バッグの中の携帯が震えた。
(こんな朝早く、誰だろう?)
不思議に思った花梨は、携帯を取り出してメッセージを確認した。
メッセージが母親からのものだったので、一気に緊張が走る。
見たくない気持ちを抑え、花梨は意を決してメッセージを開いた。
【花梨、久しぶり。悪いけど、またお金を工面してもらえないかしら? 20万でいいの。すぐに返すから、お願い!】
予想通りの内容に、花梨はフーッと息を吐いた。
(久しぶりに娘にメールするのに『元気?』の一言もないのね……)
花梨は冷めた表情のまま、返信を打ち始めた。
【お母さん、私、今度結婚するの。ようやく私のことを守ってくれる人に出会えたの。だから、もう邪魔しないで。あなたは夫や娘よりも、愛する人を選んで家を出たんでしょう? だったら、その人だけを頼ってください。そして、もう私には関わらないで。さようなら】
送信後、花梨は母親のアドレスをブロックした。その瞬間、一気に胸のつかえがとれたような気がした。
携帯をバッグにしまった花梨の顔には、自然と笑みがこぼれていた。
流れる景色を見つめながら、花梨は心に誓った。
(私は母のようにはならない。賞味期限のない『いつまでも美味しいクッキー』を必ず見つけてみせる……)
窓の外に広がる澄んだ青空を見上げながら、花梨は思わずフフッと笑った。
コメント
14件
別荘で 素敵なご縁が生まれ、本当に良かったですね…✨️ きっと浜田様の今は亡きお嬢様も、安心して母親を見守っていることでしょう…👼🪽🍀 柊さん、花梨ちゃん、 婚約おめでとう❣️💐🎉✨️ 愛するひとに守られ、花梨ちゃんもようやく安心できたね…🥹💓 お金を無心する毒親とスパッと縁を切る決心ができて、本当に良かった…😊👍
柊さんのプロポーズ!!ビビビッとキタのですね⚡⚡ これ以上ない公私共に相性抜群の2人だもん💕💕 そして毒親の連絡は金の無心だけとはほんと情けないよ😢 ブロックでサヨナラで良いよ! 花梨ちゃんは母としての温もりを感じた事があるのだろうか。。 これからは柊さんと前だけを向いて生きて行こう(人´∀`*).。:*+
別荘はとても良いご縁が結ばれて良かったです。 柊さんもいきなりのプロポーズ❣️ 花梨ちゃん幸せになって欲しいけどお母さんがやってきそう💦 でもきっと柊さんが守ってからるよね🙏