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夜。布団の上に身を丸めていた遥は、ドアの外から忍び込むような気配に気づいた。カーテンの隙間から覗いた月明かりの下、蓮司が当たり前のようにそこにいた。


「……っ、お前……なんでここに」


声が震える。

蓮司は笑いながら部屋へ入り込んだ。


「そんなビビんなよ。ちょっと遊びに来ただけだって」


遥は言葉を失う。


蓮司は机の上の教科書を勝手に手に取ってめくり、つまらなそうに放り投げる。


「でさ――お前、まだ分かってねぇんだろ」


「……なにを」


「日下部が、お前に腹立ててる理由だよ」


遥の心臓がぎゅっと縮んだ。


「……俺が……裏切ったから」


「ハッ」蓮司が鼻で笑う。


「お前、ほんとバカだな。裏切りなんざ今さらだろ。あいつだって分かってるさ。お前が無理やり喋らされてんのなんか見りゃ一発で分かる」


「……じゃあ……」


蓮司は近づき、遥の目を覗き込んだ。


「問題は“何を喋ったか”だ」


遥の背筋を冷たいものが走る。


「日下部にとっちゃ、親のことは絶対に触れられちゃいけない地雷だったんだよ。お前はそれをぶちまけた。だからアイツはキレてんだ」


「……俺……」


声が出ない。

布団を握る手が震えた。


蓮司は楽しげに続ける。


「人間にはな、誰にも触れられたくない領域がある。自分の存在そのものを否定されるぐらいの“禁区”ってやつが。普通は親しい奴ならそこに踏み込まない。いや、踏み込まないように必死に避けるんだ」


「…… 」


「でもお前は踏んだ。しかも大勢の前でぶちまけて、笑い者にした。そりゃもう致命傷だわ」


遥は頭を振った。


「違う……俺は、守りたくて……!」


「守りたくて売った? クソだな」


蓮司の声は淡々としていた。逆にその無慈悲さが胸をえぐる。


「お前、友達なんてほとんどいたことねぇだろ。だから分からなかったんだよ。人間関係には、“ここだけは壊しちゃいけない”って一線があるってことを」


遥は息を呑む。思い返す。

確かに、自分は人との距離感を測れないまま生きてきた。だからこそ、日下部が親のことを絶対に触れさせなかった理由なんて、本当の意味では分かっていなかった。


「日下部にとっちゃ、殴られるのも晒されるのも我慢できた。でも親だけは違う。お前はそこを知らなかった。だから踏み抜いた。もう二度と元には戻れねぇ」


胸が抉られる。


「……俺……どうすれば……」


弱々しい声が漏れた。


蓮司は薄く笑い、肩をすくめた。


「知らねぇよ。お前が気づかないで踏み抜いたんだ。直せるわけねぇだろ。せいぜい、これからアイツがどんな目でお前を見るか楽しみにしとけ」


残酷な言葉を残し、蓮司はあっさりと立ち上がり、ドアの外へ消えていった。


部屋に残された遥は、布団に顔を押し付けて震えた。

頭の中で、日下部の視線がよみがえる。逸らされたあの一瞬の冷たさが、蓮司の言葉と重なって胸を貫いた。


(俺は……知らなかった……でも、知らなかったじゃ済まない……)


涙で枕を濡らしながら、遥は初めて「取り返しのつかないことをした」という絶望を骨の髄で理解した。

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