翌日の午前中、健吾の部屋のインターフォンが鳴った。
健吾がドアを開けると妹の真麻が立っていた。
「暑い中こんなに重いのを持って来てあげたんだから、何かご褒美くれないとやってられないわ!」
真麻は汗を拭きながらそう言うと、紙袋二つを抱えてリビングへ向かう。
紙袋の中には、昨夜健吾が頼んだ水野リサの小説と漫画が全て揃っていた。
「悪かったな。今日友達とランチなんだろう? ほれ!」
健吾はそう言うと、一万円札を数枚出して真麻に渡した。
「サンキュー! あっ、本を読む時は変な折れ目とかつけないで大切に扱ってよ!」
真麻はそう注意すると、キッチンの冷蔵庫からペットボトルの水を一本出して飲み始める。
そして続けた。
「急に恋愛小説を読むなんて、もしかしてお兄ちゃん好きな人でも出来た?」
真麻がニヤニヤしながら言うと、
「お前には関係ない!」
健吾はあえて無表情で言った。
(フフッ、図星のようね。きっとその女性が水野リサのファンなんだわ)
兄の反応から真麻はそう確信する。
すると既に健吾は既にソファーに座って漫画を読み始めていた。
健吾がいきなり漫画の方を読んでいる事に気づいた真麻は、
「漫画は小説を誇張して作ってるから漫画を鵜呑みにしたらやばいよ! 下手したらキモイって言われかねないよ!」
そう言ってフフッと笑った。
「えっ? そうなのか? キモイって例えばどういうのがキモイんだ?」
「うーん、そうねぇ…あ、ちょっと貸して!」
真麻はそう言うと健吾の横に座り、健吾が持っていた漫画のページをパラパラとめくった。
「例えばこれ。このシーンなんて、いきなり真っ赤なスポーツカーで会社の正面玄関へ乗りつけて、花束渡して海までドライ
ブ…….こういうのって漫画の中だから違和感ないけれど、普通にやったらキモくない? 今だったら待ち伏せ=ストーカーだ
よ!」
「お、おう…そういうもんなのか?」
「リサ先生の小説はね、もうちょっと、なんていうのかなぁ……漫画に描かれているような過激な表現ではなくて、本当にさ
りげないんだよ、男女の心の機微みたいなものが? その微妙なニュアンスみたいなものが女性ファンの心を鷲掴みにしちゃう
んだよ。その繊細な感覚はきっと男にはわからないんだよねぇー」
真麻はうっとりとした表情で言った。
「だからお兄ちゃん! 読むならまずは小説からにしなさい! 原作を読んでその意図をきちんと汲み取った後に漫画ね!」
真麻は兄に向って偉そうにアドバイスをすると、またペットボトルの水を飲む。
「そ、そうか…….わかった」
健吾は慌てて漫画を閉じると、今度は紙袋の中から小説を出した。
「去年のリサ先生の映画、お兄ちゃんも観ておけばよかったのにねー! あ、でも今はもうネットでも観られるかも! 映画は
ね、小説を忠実に再現してあるからオススメよ」
真麻はそう言ってから、ついに核心部分に触れ始める。
「で、どんな人なの? お兄ちゃんが気になっている人は?」
「なんだよ。お前には関係ないだろう!」
「だって、こういうのってお兄ちゃん久しぶりじゃない? 大学の時以来? なんかワクワクしちゃう」
「そういうんじゃないから」
健吾はつっけんどんに言うと、手にした小説の文字を追い始める。
「教えてくれないなんてケチ! あっ、それはそうとリサ先生のサインはいつ貰えるの?」
「来月になるかなぁ。それまでこれは貸しておいてくれ」
「もちろんいいよ。あ、サインをしてもらうならこの美月出版のこの本でお願い。これがリサ先生の小説第一号だから! 初版
なんだよー!」
真麻は自慢げに言うと理紗子の処女作を取り出す。
その小説は昨年大ヒットした映画の原作になったもので、
『moon story~真実の愛は新月から始まる~』
というタイトルだった。
その本を手にした健吾は、まずはこれから読んでみようと思った。
「じゃあ、私そろそろ行くわ」
「ああ、ありがとう。ランチ楽しんで来いよ!」
「うん!」
真麻はそう返事をするとマンションを後にした。
部屋に残った健吾は、早速理紗子のデビュー作である小説を読み始めた。
その小説は、男女が出会い、思いを深め、結ばれるまでの過程を、月の満ち欠けに絡めて描かれているしっとりとした大人の恋
愛小説だった。
真麻が言っていた通り、男女の心の機微がとても繊細に表現されている。
その理紗子の筆力に健吾は脱帽していた。
正直、小説を読み始める前は恋愛小説なんてミーハーな軽いものなのだろうとたかをくくっていた。
しかし読み始めると、一気にその作品の中に引きずり込まれた。
気付くと窓の外は薄暗くなり日が沈み始めていた。
その間に健吾は小説を数冊一気読みしていた事に気づいた。
相場の方はずっとノーポジションだったので今日のロンドンタイム辺りで相場に入ろうと思っていたが、それさえもすっかり忘
れて没頭していた。
理紗子のデビュー作の中にある、
『真実の愛なんて本当にあるのかしら? 何を以てそれが真実の愛だと証明されるものなの?』
ヒロインがそう問いかけたセリフが強く印象に残っている。
『真実の愛とは?』
健吾は心の中でそう呟いてみたが、
それが一体何なのか?
一体どんなものを指しているのか?
健吾自身にも全くわからなかった。
今までは『真実の愛』についてなんて考えたこともない。
少なくとも、今まで付き合って来た女達との間に、その『真実の愛』はなかったように思う。
その時、健吾の頭の中にあのシーンが蘇ってきた。
それは二年前、ベンチで泣きじゃくる理紗子の姿だった。
『彼女は真実の愛の意味がわかっているのだろうか?』
健吾は今自分がすべき事は、この真実の愛を探求する事なのではないか?
そんな風に感じていた。
健吾がふと窓の外に目をやると、空が夕焼けに染まっている。
(明日は雨かな?)
健吾はそうぼんやりと思いながら、しばらく燃えるような空の色をじっと見つめていた。
コメント
3件
2年前に見た理沙ちゃんの泣きじゃくる姿を思い出した健吾さん。小説と過去と今の理沙ちゃんとの偽装恋愛で真実の愛が垣間見えてきそう✨🤗💕
真実の愛を探究していく中で、どのようにし てその愛に辿り着くのかワクワクです💓
真麻ちゃんがなんともいいキャラを醸し出してる👍健吾もタジタジ🤣でもなにかといいアドバイスとかしてくれそう🤭