クエント大陸の東部に位置するソレイユ王国は本来なら冬になれば雪の降る地域に属する。だが、遥か昔に聖女・カルムが王国の広範囲を覆うようにして展開した結界に今尚守られているおかげで、この国では雪が積もらない。雪の日にこうやって空を見上げれば振っている様子は辛うじて確認出来るのだが、結界に当たった瞬間溶けてなくなるのだ。郊外に行けば積もっている地域もあるらしいが、私はその様子を見た事はない。
箒を持って庭先の掃除をしながら息を吐くと一瞬だけ目の前が真っ白になった。シスさんからの支給品でもある上質な上着を着て、分厚い手袋をし、ふわっふわなマフラーを首に巻いていても今日は寒い。国を守る結界の外では雪が降っているのだから、この寒さも納得だ。こんな日は外出するのも辛かろうに最近は随分と忙しなく付近を通り過ぎる人を多く見かける。何故だろう?何かあったのかなと不思議に思っていると、庭奥にあるツリーハウスから丁度出て来た所かと思われるララが声を掛けてきた。
『何か気になっているノ?カカ様』
欠伸を噛み殺し、ララが私の肩に飛び乗ろうとする。だけどマフラーがちょっと邪魔で、結局私の頭にしがみつくみたいな状態になってしまった。
「んー……ただちょっと、最近はこの辺も、随分と人通りが多いなぁと思って」
この辺は商店のある通りとは違い、貴族のタウンハウスが多いだけの住宅街だ。なのに、窓掃除をしていた昨日も、絨毯の埃を叩こうと大荷物を抱えて外に出た一昨日も、いつも以上に行き交う人達が多い事がつい気になり、外を見ている時間が多くなってしまった。だけどシスさんに訊く程の事でもなく、ただ不思議に思っているだけになっていた疑問を私はララに伝えた。
『きっと年の瀬が近づいてきたせいネ』
「あ……そうか、もうすぐ年末だもんね」
一年の終わりが近いのだと今更気が付いた。その日その日を生きていく事に必死で、イベント事を楽しむ機会も無く過ごしてきたから、今までは全然気にもしてもいなかったなと改めて思う。ついつい今まで通り普段と変わらずにいたが、自分も何かするべきなんだろうか?
『あとはそうネ、多分ちょっと前の新聞記事のせいもあると思うワ』
「新聞の記事?」
そう言えばこの二、三日は新聞を読んだり読まなかったりしていた。目を通した日の新聞には特別変わった記事は無かったので、何の話なのかさっぱりだ。
『シリウス公爵家がネ、正式に聖女候補であった“ティアン”の死亡を宣言したノ』
「……“ティアン”の、死亡……を?」
『えェ、そうヨ』とララが深く頷いた。
『実は事故の時に怪我を負っていたテ、そのまま完治せずにって事にしてネ』
「そう……なん、だ」
(それって、叔父様が、私の残した手紙と指輪を真摯に受け止めてくれたって事だよね?)
『年末年始はどの国も毎年花火を上げたリ、色々な出店を多く出したりもするシ、神殿も参拝に訪れる人達への対応準備とかで大忙しなんだけどネ、今年はソレのせいで中止にすべきじゃないかって意見も出ていテ、結局はどうするんだってなかなか決まらずに何処もてんやわんやらしいわヨ』
「なるほどねぇ」
そっか、家出をした“|ティアン《この体》”を探し、連れ戻そうとしないでくれて本当によかった。叔父には今までのお礼も、こちらの事情も現状も何も伝えられていない事は気掛かりではあるものの、辛い記憶ばかりの公爵邸に戻る気も無ければ、姉のフリをして聖女として生きるつもりも無いという決意に変わりはないのだから。
買い物に出た先で“ティアン”を探していた神官に見つかった時は本当に焦ったが、最近は実に穏やかなものだ。あれからもたまに神殿からの捜索隊らしき人達を見掛ける機会くらいは何度もあったけど、シスさんと居る私の事を『聖女候補では?』と疑う者はいなかった。公爵令嬢でもあった“ティアン”と直接対面した事のある神官はきっと少ないし、多分その殆どが位の高い者ばかりだろう。その者達が直接捜索に出る事など本来ならばまず無いだろうから、絵姿だけでは限界があるに違いない。
『でもまぁ自粛ムードになったとしてモ、中止とまではならないと思うわヨ。年末年始のお祝いでの売り上げは相当だシ、もう時期的に仕入れも済んでいるはずの商人達に「今年は諦めろ」とは言えないだろうしねェ』
「そっか……聖女候補の死を哀しみはしても、金銭が絡むと、どうしたって一枚岩ではいられないもんね」
『生活が掛かっているシ、所詮は“候補”でしかなかったシ、最後まで“候補”のままだった事への落胆も正直あると思うワ』
三代目の“聖女”を待ち望む人々への後ろめたさが私を襲う。ララ曰く、なり得るだけの条件を今の“私”は持っているらしいのに、“自分の人生”を最優先にしている私は冷たい人間なのかもしれない。
(……だけど、関わってきた殆ど全ての者達が私に冷たかったのに、今更他人を気遣う必要があるの?)
——と、いくら自問自答しても、どうしたって『無い』と答えが出てしまうのだ。
「……そう、だね」
この子とこうして出会う以前の、真っ白な空間での彼女との記憶がもう随分とあやふやなせいで、ララが“私”の事情を何処まで知っているのかがわからない。だから私は、無難な言葉しか返せなかった。
『——ところデ、年末のデートには何を着て行くノ?まだ決まっていないなラ、一緒に選んであげましょうカ?』
「……デ、デートって?」
“デート”という言葉の持つ意味のせいで頬がちょっと熱くなった気がする。
(何度聞いても、慣れない言葉だなぁ…… )
私とシスさんは別段特別な関係でもないのだから、例え二人で出掛けたとしても決してそれは『デート』とは言えないのに、ララはどうしたって『デート』に仕立て上げたいみたいだ。
『だっテ、二人で年越しの花火を見に行くんでしょウ?この間シェアハウスの中を一人でうろうろしていたラ、シス様が地図を広げて花火の絶景ポイントは何処だろってニコニコしながら思案していたわヨ』
「そ、そういえば、そんな話もちらっと前にしたような……」
てっきりあのお誘いは社交辞令ってやつだと思っていた。なのにそこまで楽しみにしてくれていただなんて驚きだ。公爵邸に居たメイド達の会話で聞き知ってきた『いつか行こう』『行けたら行くわ』といった類の言葉はほぼ全て、『実行されないもの』らしかったのに。
そう思うと、本当にあのやり取りが、ちゃんとした『約束』なのか、『社交辞令』でしかないのかが私では区別がつかない。そのせいでララへの返答に困っていると、「——カーネ」と私の名を呼びながらシスさんがシェアハウスから出て来た。何故かその手には、サイズは膝掛けくらいと小さいながらも、分厚そうな毛布を抱えている。
「雪が降ってきましたね。寒いでしょう?風邪をひいたら大変ですよ」
そう言いながらシスさんが持っていた毛布を私の背中から掛ける。確かに今日は寒いけど支給してくれたコートはきちんと着ているし、手袋とマフラーがあるから大丈夫なのに、私の雇用主は随分と心配性な様だ。
彼にそっと背中を押され、問答無用で庭掃除は中断となった。
「庭のお掃除、寒い中お疲れ様でした」
「いえいえ。そちらも、事務作業お疲れ様です」
軽く頭を下げ合いながらお互いを労わる。シェアハウスの窓に映るララがマフラーと毛布に挟まれて夢見心地みたいな顔をしている様子がチラリと見えて、ちょっと笑いそうになった。
「そうだ。カーネは、年越しには何が食べたいですか?」
何ともタイムリーな話題がきた。建物の中に居た彼では私の声は聞こえていないから、近隣を行き交う人々と同じく、シスさんも年末の件で頭が一杯なのかもしれない。
「私は何でも。シスさんのお料理は何でも美味しいですし」
「そうですか?じゃあ、僕の把握しているカーネの好きな料理を、色々作りましょうか」
「何でも手伝うので、遠慮なくおっしゃって下さいね」
「ありがとうございます。当日は早めに食事を済ませないとですね。花火を見逃したら大変だ」
(……ララが思っていた通り、“社交辞令”ではないパターンだったんだ)
「——あ、えっと、そうですね」
返答に少し遅れがあったからか、「……もしかして、社交辞令かと思っていましたか?」とシスさんに訊かれる。無言のまま頷くと、ふふっと彼は笑った。
「僕が口にする貴女への言葉は、有言実行。全て言葉通りに受け止めてもらって大丈夫ですよ」
「……わかりました」
経験不足もあってか、ヒトの言葉の裏を考えるのは凄く苦手だ。なのでそうして貰えると本当に有難い。
「花火、楽しみですね」
「そうですね」と微笑みながらシスさんに返して、表面上は年末の花火を楽しみにする女性を演じた。だけど頭の中では、“カーネ”としての人生を“双子の姉”に奪われ、次は“ティアン”までもが公式には死んだ事で“今の私”が宙ぶらりんな存在になってしまった事に対し、今後どう向き合っていけばいいものかと……気に病む羽目になっていた。
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