その頃信濃大町の優羽の実家では、裕樹と母の恵子が流星と一緒に楽しく食卓を囲んでいた。
「流星は偉いなぁ。ママがいなくても大丈夫なんだから」
すると流星は、
「ママはおしごとでしょ? ママはがんばっているんだからぼくはじゃましたらだめなんだよ」
大人びた口調で言うと、祖母の恵子が作ったハンバーグを美味しそうに食べ始める。
それを聞いた恵子が言う。
「それにしても、子供を置いてまで東京へ出張に行くほど大事な仕事なのかしら? そのなんとかさん…そう佐伯さん? 確か
に有名な人らしいけど、優羽がわざわざやる必要があるのかしら?」
「優羽は本当はファッションの仕事を続けたかったんだよ。母さんもそれは知っているだろう? せっかく訪れたチャンスなん
だからチャレンジさせてやろうよ。優羽は今までさんざん苦労をしてきて自分のやりたい事はいつも後回しにして頑張って来た
んだから」
裕樹の言葉を聞き、再び恵子が言った。
「関わっているのが東京の男だっていうのが気がかりなのよ。東京の人間なんて、信用しちゃダメなの。あの子も一度ひどい目
にあって凝りているはずなのにどうしてまた。私はあの子の事を心配しているのよ…」
恵子は少し感情的に言葉を吐く。すると裕樹が口に指を当ててシーッ!と母に注意した。
なぜなら、流星が二人の話を聞いていたからだ。
そこで裕樹が話題を変える。
「流星、明日の日曜日は裕ちゃんと遊びに行くか! どこへ行きたい?」
一生懸命ハンバーグをもぐもぐ噛んでいた流星は、きょとんとした顔をした後、
「うんとね、ぼく、みちのえきのアイスがたべたい」
「道の駅って、保育園の近くの?」
「うん、そうだよ。まえにママとたけちゃんといったの!」
それを聞いた裕樹と恵子は思わず顔を見合わせる。
「よしっ、じゃあドライブしながらそこへ行こうか! 母さんも行くかい?」
「行きたいけれど店があるからねぇ。それに明日は商店街の会長さんの所に用事があるんだよ。だから二人で行っておいで」
母の言葉に裕樹は「わかった」と返事をした。
流星は恵子が作ったハンバーグが美味しいと言って嬉しそうにもぐもぐ食べている。
そんな流星の頬にハンバーグのソースがついていたので、恵子はそれをティッシュで優しく拭ってやる。
孫に優しい視線を向けている母を見た裕樹は、微笑みながら今度は流星へと視線を移す。
この愛らしい流星が長野に来てくれた事で、再び家族の絆を取り戻すことが出来たような気がする。
裕樹はその事が嬉しくて、グラスにビールを注ぐと満足そうに飲み干した。
その頃、優羽達三人は店を出て駐車場へ向かった。
食事会では発展的な話題で盛り上がった。
三人で話し合った事によりさらにやる気が増し、なんとしてでもこの仕事を成功させようと一致団結した。
それから三人が乗った車は、井上の運転で優羽のホテルの方へ向かう。
窓には深い漆黒の夜の闇と摩天楼のようなビルの明かりが対比するように浮かび上がっていた。
ほろ酔い気分の優羽はその景色を眺めながら、過去の切ない思いが一切消えている事に気付く。
自分はしっかり前に進んでいる……その時そう確信した。
しばらくしてから岳大が言った。
「井上君、この辺りで降ろしてくれないか」
「え? ここでいいんですか? ホテルの前まで行きますよ」
井上が驚いた様子で言うと、
「酔い覚ましに少し散歩したいんだ」
岳大がそう言ったので、井上はわかりましたと言って車を脇に停めた。
岳大は後ろを振り向くと、優羽に向かって言った。
「優羽さん、ホテルまで少し歩きましょう」
優羽は驚いたが、ホテルまではそう遠くはないとわかっていたので、
「はい」
と言って車を降りる準備をした。
それから井上に向かって礼を言う。
「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「明日は事務所でお待ちしていますね! おやすみなさい!」
井上も笑顔で答えた。
優羽が車を降りると岳大も降りて運転席の井上に言った。
「車、頼んだよ」
「承知しました。では、明日の十時に!」
井上は軽く手を挙げると走り去って行った。
ハンドルを握りながら井上はバックミラーに映る二人の姿を見た。
そして優しい微笑みを浮かべると、鼻歌を歌いながら元気よくハンドルを握った。
コメント
2件
岳大さん2人の時間を作りたかったんだろうなぁ。 それを察してさらっと帰っていく井上くん、いいなぁー👍
お母さんは過去に東京で(西村)辛く過酷な経験をしたから優羽ちゃんが不憫なんですね…でもお兄さんも知ってる岳大さんの仕事だから安心して下さいね、お母さん🧑‼️