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目の前にキミカの背中があった。
まだ中学一年生の女の子と言うことを差し引いても小さすぎる背中。
病室から追いかけてきた怪異が周囲を激しく跳ね回り、そいつが発する威嚇の笑い声に明らかに怯えながらも、瀕死の僕の姿を悪意に満ちた視線から庇うようにその両手を大きく広げていた。
そして、ほとんど聞き取れないような低く小さな声で、歌うように何か呟き続けている。
南無 大天狗小天狗十二天狗有摩那。
南無 秋葉大権現。南無 三尺坊大権現。
南無 火之加具土神。
童ノ宮の由縁を申し上げる。
その昔、湯山の里に天の遣わした御子あり。
燃え盛る御姿でご慈愛を与え給う。
ふるふると震ふ亡者。
荒ぶる神。
隔てるたゆたう水面。
くるくると独楽のごとくに回りしは人の心と世のことわりの物語。
諸々の禍事・罪・穢・物の怪有らむをば焼き祓い給え。
燃やし清め給えとかしこみかしこみ申す。
それは――童ノ宮心経だった。
塚森家の人間なら例外なく子供の頃、耳にたこができるほど聞かされ、唱えさせられるであろう祈りの詞だ。
キミカが何をしようとしているのかすぐに理解し、先程とは違う理由でまた気が遠くなる。
「やめろ馬鹿。お前の飛び散った肉片をまた、僕に拾い集めさせるつもりか?」
そう怒鳴りつけてやりたかったが喉で血が絡まり、かすれ声ですら発することができなかった。
キミカに怪異と戦う力はない。
害虫に毛が生えた程度のごく弱い怪異を追い払う、初歩的な外法でさえ使うことができない。
また、童ノ宮心経と同じく、塚森家に先祖代々伝わる天狗流外法杖術という護身術がある。
自分の身は自分で守れるようになりたいという、キミカ本人たっての願いで僕が稽古を見る事になったのだが……お察しの通り、結果は散々だった。
外法にしろ武術にしろ、戦うことに関してキミカは圧倒的にセンスがない。向いていない。
危険と遭遇したら余計なことは一切考えず、一目散に逃げるか、どこかに隠れろ。動物で言えば小鹿のくせにヒグマに立ち向かおうとか百万年早いんだよ。
そのことを本人に告げたらその場で号泣され、話を聞いた親族連中からは睨み殺されそうになったが――、今でも僕は自分が間違っているとは思わない。
手合わせする時、腰が引けてるだけならまだしも怖くて目も開けられない小娘に教える武術なんかあるわけない。
人にはそれぞれ、与えられた役割がある。少なくとも切り裂かれ血まみれになり、一生残る傷跡を負うのはキミカの役目じゃないだろう。
だから、僕は……。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
まずい、と僕は顔をしかめる。
キミカの唱え事、童ノ宮心経は既に最終シークエンスに入っている。背面からだと詳細はわからないが、キミカはトランス状態に入っているのだろう。
止めないと。この唱え事が終わったら、キミカが唯一使えるあの外法が完成してしまう。
神孕み――。長く塚森家でも受け継ぐものが現われず、半ば伝説として扱われていた禁断の外法。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
童ノ宮の神、稚児天狗ことカガヒコノミコトの御霊を異界から現世に呼び出し、自らの血肉を捧げることで神を実体化させ、その神意を振るうことを願う。
言うならばセルフ人身御供とでも言うべき外王の中の外法。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
「な、なぁ。キミカ、やめてくれ。頼むからそれだけは……」
気がつけば僕はキミカの背中に向かって懇願していた。
あんなものは二度と見たくない。
もし、そうしなければ誰かが犠牲になると言うのなら、それはそれで構わない。
可哀想だとは思うが、ユカリが死んだって構わないし、何なら僕が死んだって構わない。
だって、あの日、僕はあの子の、キミカが内側からズタズタに切り裂かれる様を目の当たりにし、まだ生温かい返り血を全身で浴びたんだから。
カウントに母さんを入れれば二度目だった。
三回も同じことが目の前で起これば――、きっと僕は気が狂う。
#異能
#伝奇