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「職業や住所を知ることが重要だとは思ってない。
俺は亜紀ちゃんの表の顔よりも、裏の顔を知りたい。
その人の奥深くにある本質を知りたい……
俺って根っからのスケベで、欲張りなんだよね」
今泉さんはそう言うと、にっこりと笑った。
……今のは、口説き文句?
私をもっと知りたいってこと……だよね?
「あの……私の本質を、ですか?
今泉さんにさらけ出したくても……私、どうしたらいいんでしょうか」
思わず視線が揺れ、言葉を詰まらせた。
「はははっ。
亜紀ちゃんの、そういうところが大好きだよ。
全てが新鮮で、たまらなく疼く」
……ん?
全てが新鮮で疼く……?
どういう意味だろう。
「あのぉ……私、からかわれてるんですか?」
眉を寄せ、拗ねたように今泉さんの横顔を見つめた。
「まさか!
俺はいつでも亜紀ちゃんに対して真剣だよ。
可愛くて、つい意地悪したくなっちゃうけど」
今泉さんは駅前の交差点を右折し、ファーストフード店の手前でゆっくりと車を止めた。
可愛くて意地悪って……
それは、からかうとは違うの?
彼の言葉の裏にある意味をうまく汲み取れず、私は小さく首を傾げた。
次の瞬間、ふっと視界が遮られ、彼の顔が近づく。
抱き寄せられるまま瞼を閉じると、唇から彼の温もりが伝わった。
静かに離れていく唇。
触れ合うだけの口づけなのに、身体はじわりと熱を帯びていく。
トクトクトク……
甘い鼓動が胸を打つ。
彼を見つめ返す瞳には、魔法をかけられたように熱が滲んでいた。
「さっきも言っただろ? 焦らなくていいって。
亜紀ちゃんは自然体のままで、十分魅力的だよ」
今泉さんが私の手を握り、柔らかな笑みを浮かべる。
唇から指先へ……
与えられる彼の熱で、頭がクラクラする……。
「俺に気兼ねはいらない。何でも聞いていいよ。
ただ……これから結婚を前提に付き合っていく関係とは違う。
どうしても答えられないこともある。……それは分かるよね?」
「……はい」
彼の真っ直ぐな視線を受け、小さく頷いた。
「俺に知られると、もしもの時に立場が危うくなることや、不安に思う事情は一切言わなくていい。俺も聞かない。
今伝えている言葉は、冷たく聞こえるかもしれない。
だけど、これだけは覚えていて欲しい。
自分を守ることが、相手を守ることなんだ」
今泉さんはそう告げると、握る手にそっと力を込め、もう片方の手で私の頬を優しく撫でた。
「……」
麗香……
もしかして、麗香も同じことを私に伝えたかったの?
お互いを守るための……
「自分を守る覚悟が……大切に想う相手を守る覚悟……」
頬に触れる彼の手にそっと自分の手を重ね、私は呪文を唱えるように彼の言葉を繰り返した。
「覚悟か……そうだね。
狡い人間になる覚悟だ」
「……狡い人間になる覚悟?」
「そう。
俺の持論も、人によってはただの茶番だ。
狡い男の言い訳に聞こえるだろう。
純真無垢な亜紀ちゃんに、狡い人間になれと、自分の考えを植え付ける残酷な男なんだ」
今泉さんはそう付け加えると、短くため息をつき、苦笑いを浮かべた。
今泉さん……。
恋愛経験の少ない私。
一線を越えた相手は、夫だけだ。
もちろん、こんな複雑な感情を抱くのも初めて。
戸惑うばかりで、返す言葉が見つからない。
今泉さんはそんな私の表情を見つめ、ふっと微笑んだ。
「さぁ、そろそろ帰らないと御主人さんより遅くなっちゃうね。
この話の続きは、また次回。
亜紀ちゃんが期待してる濃厚なキスも、また次回にね」
頬から離した手で今度は私の頭をぽんぽんと軽く撫で、満面の笑みを見せた。
「なっ。期待って……またそうやって意地悪を言うんだから……」
「だってぇ。
亜紀ちゃんの柔らかな唇と潤んだ瞳が、『もっと欲しい。お願い』って、俺を誘惑するから」
「そ、そんな誘惑してません!」
「えぇ~。してくれないの?
しばらく会えないのに?
おじさん、淋しいなぁ」
今泉さんは拗ねたように首をかくんと傾げた。
うっ……
またこのパターンか……
「もうっ。今泉さん、狡いですよ!」
たまに見せる彼の茶目っ気を、可愛いと感じてしまう。
……まんまと引っ掛かってる自分が悔しい。
「だから言ってるでしょ?
俺は狡い男だって」
今泉さんは飄々としたまま、無邪気な笑い声をあげた。
多面性のギャップが魅力って……
……本当だ。
胸のくすぐったさを誤魔化すように、私は口を尖らせた。
「ははっ。ごめん、ごめん。
これも可愛い亜紀ちゃんへの愛情表現だよ。
……じゃあ、今日中に片付けたい仕事があるから行くね」
今泉さんはそう告げると、
「二、三日、出張や会議で忙しいんだ。
あまりメールはできないけど、落ち着いたら連絡するね」
落ち着いた口調で言い、すっと手を差し出した。
握手……。
「……はい」
私は差し出された大きな手をじっと見つめる。
「……お仕事、頑張ってくださいね」
その手を握り、精一杯の明るい笑顔を彼に向けた。
今泉さんは綺麗な微笑みを返し、そっと私の手を離した。
私は取り繕った笑みを浮かべたまま車を降りる。
ここは駅の正面から少し離れた場所。
それでも駅前通りには、まばらに人々が行き交っていた。
私は温もりの残る右手を小さく振り、街のネオンへ溶け込んでいく彼の車を見送った。
何故だろう……
彼との握手が、切なさだけを残していく……。
しばらく会えないって……
次は、いつ会えるの?
落ち着いたら連絡するって……
いつ落ち着くの?
熱く甘い余韻に比例するように想いは募り、淋しさと切なさだけが胸に残る。
風にさらされ、冷たくなっていく唇へそっと指を添えた。
「今泉さん……」
車の音に掻き消されるほど小さな声で、彼の名を呼ぶ。
唇から離した指をきゅっと握りしめ、改札へ向かう人々の背中を追い越すように、私は静かに歩き出した。
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コメント
1件
ああ、もう、このじれったい感じたまらないっすね……! 今泉さんの「狡い人間になる覚悟」って言葉、めっちゃ刺さりました。覚悟ってカッコつけたいけど、彼の言う通り表向きは狡いだけに見えるってのがリアルで。亜紀ちゃんの「自分を守ることが相手を守ること」って反芻するところ、もどかしくて感情移入しちゃいました。最後の「次はいつ会えるの?」って淋しさと、唇に指を添える仕草が切なすぎる……。今泉さんの多面性、ずるいけど魅力的です🔥