その後、二人は朝食を食べ始める。
食べながら華子が陸に聞いた。
「今日、仕事が終わったらジムに連れて行ってくれるのよね?」
「ああ。一度家に帰ってからだから、六時でいいか? 一時間のトレーニングをやった後、また飯でも食いに行こう」
(やった! 夕食代が浮くわ! ラッキー!)
華子はそう思いながらすました顔で陸に言う。
「わかった。でも、トレーニングウェアはどうしよう。まだ荷物が届かないし…」
「ああ、それならジムの売店にあるから揃えてやるよ」
「ん、ありがと!」
(やった! ウェアも買って貰えるんだ! だったらお礼を言うくらい容易い事だわ。だって言葉はタダなんですもの)
華子はニンマリしながらそう思う。
そこで大事な事を聞くのを忘れていた事に気付く。
「あ、あと、私が住む予定のマンションの住所を教えてくれないかしら。荷物の送り先を野崎に教えておかないと…」
「おっ、そっか! ちょっと待ってて」
陸はメモ帳を取りに行きメモ用紙にサラサラと住所を記入する。
それを破って華子へ渡した。
メモの住所を見ると、どうもこのマンションの近くらしい。
「ここから近いのね」
「ああ、歩いたら五分くらいかな」
「カフェとこのマンションの中間くらい?」
「位置的にはそうだな」
すると、華子はスマホに地図を表示させてマンションの位置を確認する。
「あっ、ここって昨日買い物をしたお弁当屋さんのすぐ近くだわ」
華子はそう呟くと、満面の笑みになる。
あのお店に近ければ、これから頻繁に買いに行けるからだ。
「昨日買って帰った弁当か?」
「そう! イタリアン弁当で凄く美味しかったの!」
「へえ…そういや数ヶ月前にあの辺りに新しい店が出来たみたいだな」
「多分そこよ。私と同年代の女性が一人でやっているの。凄いでしょう?」
「へぇ…そんなに美味かったのか? だったら俺も一度食べてみるかな」
「是非! もしよかったら、今度私が買いに行く時に二人分買って来てあげる! あっ、でも…」
「ん?」
「私ってもうすぐ社宅のマンションに移るのよね? そこっていつから住めるの?」
「明後日リフォームが終わるから火曜日からだな」
「じゃあ、明後日まではここでお世話になってもいいのね」
「もちろん」
陸はそう言ってトーストを口に入れた。
華子はやっと自分だけの城が持てるとわかり、急にウキウキしてきた。
とにかく一日も早く自分の家に落ち着きたい。
今度こそ誰にも邪魔されない自分だけの城を築くのだ。
三日後の引っ越しが華子は楽しみで仕方なかった。
食事を終えた二人は昨日と同じ時間に家を出た。
陸は華子をカフェの前で降ろすと、そのまま走り去って行った。
今日は別件の仕事があるらしい。
車を降りた華子はカフェへ入って行った。
「野村さん、おはようございます」
「三船さんおはよう! 今日もよろしくね!」
挨拶を終えた華子はロッカーへ行き、すぐにエプロンをつけた。
そしてフロアへ戻って来ると、昨日いた店長の中澤の姿が見えない。
中澤は今日は休みのようだ。
その代わり、初めて見るスタッフが中澤の業務を担当していた。
その時、華子は野村に呼ばれた。
「三船さん、紹介するわ! こちらはアルバイトの大木君よ」
「初めまして、大木です。よろしくお願いします」
「三船です。よろしくお願いします」
「いやぁ、新しいバイトの方がまさかこんなに綺麗な人だとは思わなかったですよ」
大木はそう言って笑う。
それを聞いた野村が笑いながら言った。
「大木君は綺麗な人の前だとすぐにデレデレしちゃうんだから! あ、華子さん、こう見えてもね、大木君は今弁護士を目指し
て勉強中なのよ」
「えっ? そうなんですか?」
そこで大木が言った。
「野村さん、こう見えてもっていうのは余計です」
「あらごめんなさい」
そこで野村が笑ったので、華子も釣られて笑う。
「去年、司法試験を落ちたんですよー。でも諦めませんからねー!」
「司法試験って、かなり難しいんですよね?」
「そうなんです。僕は大学を出た後一度就職したんですが、どうしても夢を諦め切れなくて会社を辞めてからチャレンジしてい
るんです」
大木はそう言って朗らかに笑う。
おそらく大木は華子より少し上の30歳前後だろうか?
見た目は、シルバーフレームの眼鏡をかけていて聡明に見える。性格も真面目そうだ。
雰囲気だけはもう立派な弁護士に見える。
その時華子は、大学時代の法学部のボーイフレンドを思い出していた。
彼はとても頭が良く、今の大木と同じようなシルバーフレームの眼鏡をかけていた。
結局その男性とはボーイフレンド止まりで終わった。
元はと言えば、当時付き合っていた重森が浮気性の男だったので、重森と別れた時の補欠要因としてキープしていた男だった。
頭も良く見た目もまあまあだったその男性には、ただ一つ欠点があった。
それは究極の『ケチ』だったのだ。
食事に行くと、必ず一円単位まできっちり計算して割り勘にする。
金銭感覚がしっかりしている点は家庭を作る上で重要な要素だが、ケチが過ぎるのはどうかと思う。
結局華子は重森と別れた後、その男性とも会わなくなった。
(もしあのままキープしていたら今頃…? いえ、無理無理、絶対無理!)
華子は心の中で呟く。
今なら分かる。あの頃の自分はどうかしていたのだ。
付き合う相手は医者か弁護士という条件を掲げ、職業で結婚相手を決めようとしていたのだから。
その条件は、母・弘子からずっと植え付けられてきた観念だった。
しかし華子は、重森と別れた頃から母親の考えに疑問を持ち始める。
そこで華子は就職を機に一人暮らしを始めた。それ以降、母親とは距離を取るようにしていた。
華子は一人になってみて気づいた。
自分は母親のいいように操られていたという事を。
母・弘子は、常に自分の考えを華子に押し付けていた。
もちろんそれが娘の為に良かれと思ってやっていたのだと思う。だから母を責める事など出来ない。
しかし、華子はもうそういった母親の呪縛からは解放されたかった。
ずっと母親に支配されて来た華子は、自分が何がしたいのか? そして、自分がどうなりたいのかがわからなかった。
皆が夢や目標に向かって頑張っている姿を見て自分も同じように頑張りたいと思うのだが、
目標自体を見つけられないので頑張る事が出来ない。
だから目の前にいる大木のように、夢に向かっている人を見ると心から羨ましく思ってしまう。
華子は大木が楽しそうに夢を語る様子をじっと見ていた。
いつか自分もキラキラとした表情で、夢を語れる日が来るのだろうか? そんな事をぼんやりと考えていた。
カフェのオープン時刻が迫っていたので、それから三人は慌ただしく準備を始めた。
今日は晴れの土曜日なので、忙しくなりそうだ。
九時半になり店がオープンすると、早速客がなだれ込んで来た。
今日はいつもの平日とは違い、昨日いたマダム達の姿は見えない。
その代わりモーニングを食べにくる客や待ち合わせにこのカフェを使う客が多い。
華子は、野村と大木が客の対応に追われるのを見ながら、なるべく二人のサポートになるよう自分なりに配慮しながら仕事
を続けた。
コメント
4件
華子チャン....お母さんと決別し 周囲の人と触れあうなかで 、徐々に 本来の自分らしさを取り戻している⁉️🥰
華子は今の所まだ陸さんのところに居候の気分なんだね。早から自分だけの城🏯が欲しいって気持ちが見て見える🥴 それにしてもお礼の言葉だけでは甘えてるというか少し足りなくないか?? でも華子自身が今母の呪縛に囚われてたのも気付いてたんだね。もっと早くに気付いてたらもっと充実してたのかも⁉️と思うと切ない😭 でも陸さんとの出会いで人としてすごく成長できると思うわ☺️✨
華子派カフェ→華子はカフェ?