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「佐橋教授が関東出身とは聞いてたけど……あの中川教授と知り合いだったなんて……」
「お前、学生時代に中川教授の本を夢中で読んでたもんな。亜紀にとっては『神』みたいな存在だろ」
「うん。その教授が私の論文を読んでくれたなんて……信じられない……」
「佐橋教授の推薦があったことは間違いない。でも、亜紀の力が認められたことも事実だ。お前には才能がある」
遼はふっと柔らかな笑みを浮かべると、グラスを軽く持ち上げ、乾杯を促した。
ここ最近、向けられることのなかった優しい笑顔。
そして、私を認めてくれる言葉。
「……ありがとう」
戸惑いながらも、その言葉が嬉しくて、私は静かに烏龍茶へ口をつけた。
「誘われたら、もちろん行くんだろ?」
好物の酢豚を箸でつまみながら、遼が言う。
「えっ?」
「中川教授は循環器病センターで、新しい医師チームを立ち上げようとしてるらしい。
認定読影A判定を取得している亜紀は、循環器内科医として欲しい人材なんだ。
来年の春には、センターのスタッフとして走り回ってるかもしれないな」
遼は甘酢あんの絡んだ肉を頬張り、満足そうに笑った。
「それは……まだ誘われるって決まったわけじゃないし。論文を評価してもらえただけで……」
「誘われるに決まってる。うちの病院にとっても名誉なことだし、亜紀にとっても……夫である俺にとってもな」
遼は私の遠慮がちな言葉を遮るように、きっぱりと言い切った。
「……」
私は箸を止め、黙って夫の顔を見つめる。
「こんな話を断るなんて馬鹿だ。俺なら絶対に行く」
「……遼は外科医として、もっと上を目指したい人だから。
私は……。
それに、関東なんて行きたくないな。今の病院でもやりがいを感じてるし、やっと医師として少し自信もついてきた。まだ勉強しなきゃいけないことも、たくさんあるから……」
強張った表情を隠すように、私は小さく笑った。
「だから、その勉強をするために行くんだろ?
今の病院で満足だなんて……お前の口からそんな言葉を聞くなんて、がっかりだ」
遼は大きくため息をつき、冷たく言い放った。
「だって……離ればなれになっちゃう……」
箸を握る手に力が入る。うつむいたまま、小さく声を漏らした。
「……は?」
私のかすれた声を打ち消すように、遼は眉をひそめて私を見つめた。
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「関東に行ったら、今まで以上に遼と一緒にいられる時間がなくなっちゃう……」
不機嫌そうな彼を一瞬だけ見上げ、私は再び視線を落とした。
「何くだらないこと言ってるんだよ。付き合いたての恋人じゃあるまいし」
少し間を置いて、遼は呆れたように言った。
――くだらないこと?
私は思わず顔を上げる。
私の表情を見た遼は、さらに深いため息をついた。
「東京なんて新幹線で二時間だぞ。何を大げさに。今と生活なんて大して変わらない」
「……」
「今までどおり、お互いがやるべきことをやる。
お互いを認め合って、それぞれの時間を大切にする。俺たちは、ずっとそういう夫婦でやってきたじゃないか」
私は瞬きもせず、ただ彼を見つめ続けた。
遼は私を諭すように穏やかな口調でそう言うと、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
その笑顔を見た瞬間――
「……それは、あなたが望んだ夫婦の形でしょ」
喉の奥から、押し殺すような低い声がこぼれた。
「何だと?」
「いつ私が、そんな夫婦の形を望んだの?
確かに、お互いすれ違いの生活だよ。でも、すれ違っているのは生活だけじゃないでしょ」
歪んでいく彼の表情を見つめながら、強く握り締めた拳が小さく震え始める。
「遼は……私を必要としていない」
今まで何度も口にしかけ、そのたび喉の奥で飲み込んできた言葉。
行き場のない虚しさに耐え続け、私は唇を強く結んだ。
「亜紀……お前は何を言ってる?」
遼の眉間のしわが、さらに深く刻まれる。
「『くだらないこと』なんかじゃない。
前はこんなんじゃなかった。
忙しくても、お互いの存在が励みになってた。
……少なくとも私は、そう感じてた。
今の遼にとって、私は何?
『自慢の妻』って、何?」
動揺する彼の声を遮るように、込み上げる感情のまま言葉があふれ出した。
「……」
遼は感情を露わにする私を見つめたあと、グラスのビールを一気に飲み干した。
「……俺は亜紀を信頼してる。
人として。
そして、同じ医学の道を志す者として」
遼が静かに口を開く。
「それは……仕事のパートナーとして私を見てるってこと?」
私はゆっくり顔を上げ、膝の上で汗ばんだ拳をさらに握り締めた。
コメント
2件
ああ、この回は……亜紀の胸の内がついに爆発しちゃったね。ずっと飲み込んできた「遼は私を必要としてない」って言葉が飛び出した瞬間、こっちまで息が止まった。遼の「くだらないこと」って一言が、どれだけ彼女を孤独にしたか。仕事のパートナーで満足してる夫と、ちゃんと妻として見てほしい亜紀の温度差が切なすぎる。次、どうなるんだろう…🔥