マンションへ戻った凪子は、信也にプレゼントされた花束をキッチンカウンターの上に置くと、段ボールの中からお気に入りの
花瓶を探す。
そして花瓶に水を入れると31本のひまわりを活けた。
(フフッ、今年31歳になるから31本なのね)
その愛らしい黄色い花を部屋に飾ると、無機質で味気ない室内がパーッと明るくなったような気がした。
凪子はすっかり気分が良くなり、鼻歌を歌いながら荷物を片付け始める。
そして夕方まで集中して一気に段ボールを片付けた。
頑張った甲斐があり、洋服類は全てきちんとクローゼットに収まり、その他のこまごました物も作り付けの収納棚へ落ち着く。
気付くと、段ボールはあと数箱を残すのみとなった。
それから凪子はキッチンへ行き辺りをぐるりと見回す。
(とりあえず、明日はカーテンと家電、それにキッチングッズを揃えなくちゃ。これじゃあ簡単な料理も作れないわ)
調理道具も食材もないので、今日の夕食はコンビニ弁当だ。
先ほど信也と出掛けた際にコンビニへ寄り、夜の弁当と明日の朝食用のパンを買って帰った。
テーブルがないので、凪子は空の段ボール箱をテーブル代わりにした。
(フフッ、一人暮らしを始めた頃みたい。あの頃は最小限の物しかなくて、これから少しずつお気に入りを揃えていくんだと思
いながらワクワクしていたわ。なんだか懐かしい)
凪子は若い頃を思い出しながらコンビニ弁当を食べ始める。
その時凪子のスマホが鳴った。
新しい携帯番号は、凪子の家族と信也、そして紀子夫妻にだけしか知らせていない。
電話の着信は紀子の夫の紘一からだった。
「もしもし? 紘一さん?」
「凪ちゃんこんばんは。引っ越しは無事に終わったかな?」
「はい。今はもう新居にいます」
「それは良かった。携帯番号の変更、よく気づいたね」
「あ、はい…知り合いが変えた方がいいよってアドバイスをくれたので」
「それはよかった。このタイミングで変えておいて正解だよ。きっと相手から電話がかかって来るかもしれないからね」
「それが嫌で変えました。あの人とはもう直接関わりたくないので…」
「うん、でね、おそらく今頃二人に…あ、もちろん不倫相手の方にもね、内容証明が届いている頃だと思うんだ。で、今後の事
なんだけれど……」
紘一は内容証明が相手に届いてからの事を、ざっと凪子に説明する。
今後良輔と直接話す必要はないけれど、同じ会社に勤めているからおそらく良輔は凪子に接触を試みるだろうと紘一は言った。
言い争いを避ける為にも、社内ではなるべく一人にならないようにと凪子に助言する。
また紘一は、帰宅時に後をつけられて新住所が漏れてしまう可能性についても言及した。帰り道はくれぐれも注意するように
と。
そしてもしストーカーまがいの事をされたら、写真に撮るか後をつけられた日時を記録して紘一に知らせるようにと言った。
更には、例え男女の関係になかったとしても特定の男性と二人きりになる事は避けるようにと言われた。
もしそんなところが見つかれば、相手はそこをついてくるだろうと。
だから充分気をつけるようにと紘一は念を押して凪子に言った。
紘一が話した内容は、先ほど信也に言われた事とほぼ同じだった。
そこで凪子は急に緊張感に包まれる。
この闘いが終わるまで、凪子は決して気を抜いてはいけないのだ。
信也も紘一もその事をよくわかっているのだ。
「とにかく、まずは離婚に同意させる事が第一で、慰謝料云々はまたその先の話なんだ。相手がすんなり離婚するって言えばい
いけど、男っていうのはいざとなると往生際が悪いんだよね。過去の例を見いてもまずはそこでごねるからね。だから、相手に
弱みを握られるような行動はくれぐれも慎んでね」
「分かりました。充分気をつけます」
「うん、じゃあ、何かあったらいつでも連絡して」
「はい、ありがとうございます」
「あ、それから、紀子が『頑張れ』って伝えておいてくれってさ」
「ありがとうございます。もう少し落ち着いたらご飯に誘うからって伝えて下さい」
「オッケー、じゃあね」
電話を切ると凪子はホッと息をつく。
そして思った。
(そろそろ良輔とあの淫乱女に郵便が届くのね……)
二人は一体どんな顔で書類に目を通すのだろうか?
凪子はニヤッと笑うと、引き続き楽しそうに弁当を食べ始めた。
その頃、良輔はゴルフバッグを右肩に担いでマンションのエレベーターに乗っていた。
左手には、高速のサービスエリアで買った凪子への土産を手にしている。
帰る途中、何度か凪子にメッセージを送ったが、既読がつかないし返事も返ってこない。
こんな事は今までに一度もなかった。
良輔は仕方なくそのまま自宅へ戻って来た。
そしてインターフォンを押してみるが、やはり返事がない。
(出かけているのか?)
そう思った良輔は、鍵を出してドアを開ける。
すると、玄関に凪子の靴がなかった。
(やっぱり出かけたのか…)
良輔は玄関脇にゴルフバッグを置くと、リビングへ向かった。
時刻は6時半だった。
外が暗くなり始めていたので、良輔はとりあえずカーテンを閉めると冷蔵庫へ行き水を取り出してごくごくと飲んだ。
その時、携帯が鳴った。
凪子からだと思った良輔は、相手の名前も見ずに電話に出た。
「もしもし、凪子? 一体どこへ行って…」
その声を遮るように興奮した女の声が響いた。
「ちょっと! 変な郵便が来たんだけれどこれは何?」
その声の主が絵里奈だと気付いた良輔は、ハッとした。
「なんだよ、休みの日にいきなり電話してくるなよ、凪子にばれたらどうするんだ……」
「バカッ、もうとっくにバレてるわよっ! 私払えないわよ、300万円なんて!」
「なんの話をしてるんだ?」
「だから、奥さんから慰謝料請求が来たのよっ!」
絵里奈の泣きそうな声を聞き、良輔は事の真相がやっとわかったようだ。
(まさか…)
その時インターフォンが鳴った。
(凪子か?)
良輔は慌てて玄関へ行きドアを開けた。
すると、そこにいたのは郵便局の配達員だった。
「朝倉良輔様でいらっしゃいますか? こちら内容証明の郵便が届いております。恐れ入りますがご印鑑をお願いできますでしょうか?」
「!」
良輔は絶句してその場に立ち尽くした。
微動だにしない良輔を見て困った配達員は、もう一度優しく声をかける。
「あのぉ……ご印鑑がなければサインでも結構ですが……」
そこで良輔はハッと我に返り、慌ててシューズボックスの上にある印鑑を手にすると配達員が持っている紙に押印した。
「では、こちらが郵便物になります。ありがとうございましたー!」
配達員はドアを閉めてそそくさと立ち去った。
その時、まだ繋がったままのスマホから絵里奈の叫び声が響いてきた。
「あなたの所にも来たのね! 早く開けてみなさいよ、多分同じ内容よ!」
急かされるように言われた良輔は、
「一度切るぞ!」
電話口で叫んでいる絵里奈を無視し、良輔は通話を切った。
コメント
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ザマァ🤪‼️やーっと復習スタートだね、凪子さん✨ 引っ越し完了&2通の内容証明で相手がどう出てくるか⁉️ 信也さんも浩一さんも言ってた通りくれぐれも相手2人に信也さんのことと新居を突き止められないよう、1人にならないよう気をつけて⚠️⚠️