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#ハッピーエンド
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硬いものがぶつかり合う鋭い音が、遠くで鳴っていた。
(……どれくらい、寝てた?)
ダリウスは瞼を持ち上げた。視界がにじむ。だが音だけは刃物みたいに刺さってくる。
ガキン、ガキン。
目線を滑らせる。光の盾を前に突き出し、よろめきながら後退していくオットーの背中があった。腰が落ち、足が岩を削って下がる。
《シールドバッシュ》は点滅している。白く、薄く、消えかけの灯りみたいに。
(……限界が近いな)
喉がひゅっと鳴った。だが胸が跳ね上がらない。焦りはある。怖さもある。
それでも、頭の中が妙に静かだ。呼吸が一つ、深く入った。
ダリウスは地面に片手をつく。石が冷たい。掌に砂が刺さる。体を起こすと、首の奥がズキリと痛んだが、視界はさらに澄んでいった。
「……助けないと」
言葉が自分の耳に届いた。低い。落ち着いている。自分の声じゃないみたいだった。
その瞬間、目の前の景色が別の並び方をした。
ワーウルフの爪が上がる。肩が持ち上がる。肘が折れる。腰がひねれる。
動きが、分解される。
振り下ろしは、遅い。
重たい物が落ちる前の“溜め”まで、線で見える。
ダリウスは立ち上がり、剣を構えた。握り直す必要がない。柄が手に吸いついている。足裏が床を捉えた瞬間、次の位置が決まった。
ワーウルフの背後へ影が差し込む。
「《グランドスラッシュ》——」
地面を蹴る感触が鮮明だった。硬さ。反動。足裏から脚へ、腰へ、背骨へ。
力を足すんじゃない。乗せるだけだ。体が先に知っている。
斬撃が跳ね上がる。刃が右腕をなぞる。
ぼとり。
大剣を握っていた右腕が肩の付け根から落ちた。音は軽い。肉が床に当たり、鈍く跳ねた。
洞窟に咆哮が響く。ワーウルフが振り向き、黄色い両目を見開いた。
ダリウスの胸は静かなままだった。息が短くならない。肩が上がらない。
背骨の奥にだけ、熱がじわりと広がる。
(……息が、上がらない)
ワーウルフの肩が揺れる。踏み込む前に腰が沈む。
(来る)
声に出す前に首が動いた。ほんのわずかに傾ける。剣を引きつける。
次の一拍が見える。
「《ダブルスラッシュ》!」
一太刀目が頬を裂く。二太刀目が目の下をえぐる。
血が飛ぶ。暖かいものが頬に当たり、すぐ冷えた。
ワーウルフが吠える。表情が変わる。
唇の上がり方が違う。目の開き方が違う。狙いがずれる。
さっきまでの「獲物」を見る目じゃない。距離と危険を測る目だ。
(……体が、楽だ)
背中が押される感覚はない。代わりに、床の感触が一直線に背骨へ入ってくる。足裏が軽い。膝がぶれない。
(そうか……軸か)
稽古場の記憶がかすめる。汗の匂い。木床の音。師範の声。
『体で振るな。地面から生えている“軸”で振れ』
言葉じゃなく、足裏が答えた。
(俺の体は……地面から生えている柱みたいなもんで、剣はその枝先か)
一歩踏み込む。岩が返す反動が腰に戻る。背骨がわずかに回る。剣先が勝手に急所へ向かう。
爪が来る。軌道が見える。肩の高さ。肘の角度。腰のひねり。
ダリウスは足を引く。ほんの少し。剣の腹で爪をいなす。風圧が頬を叩くだけで通り過ぎる。
勢いが抜ける瞬間を拾う。
「《スラッシュ》」
刃が太腿裏をかすめる。アキレス腱の位置に薄く線が走る。ワーウルフの脚が一瞬遅れた。
目が泳ぐ。呼吸が荒くなる。喉が鳴る。
焦りは“表情”で出る。それが見える。
(……変な感じだな)
ダリウスは瞬きをした。視界の端までくっきりしている。
目の前の巨体が、さっきより近い。距離が縮んだんじゃない。自分の間合いがはっきりしただけだ。
(ワーウルフって、こんなに……小さかったか?)
ワーウルフが片膝をつく。残った腕で床を掴み、爪が石を削る。奥歯がギリ、と鳴った。
黄色い瞳の奥が揺れる。怒りと、迷いと、躊躇。呼吸が詰まる。
「——《グランドスラッシュ》」
ダリウスは腰を落とす。今度は左で回す。足裏から背骨へ、背骨から肩へ。
剣が走る。
左腕が肩口から切り飛んだ。飛んだ腕が落ちるまでの間、ダリウスは目を逸らさない。落下の軌道が最後まで見える。
ワーウルフが声にならない音を漏らした。喉の奥で擦れ、唇が震える。
さっきの嘲りは消えている。牙の見せ方が変わった。口が閉じきらない。
洞窟の中で、音が一段減った。
焚き火の爆ぜる音が戻ってくる。オットーの盾の点滅が、目の端でまだ続いている。