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「おい……大丈夫か?」
出社した私を見るなり、充さんが言った。
「何がです?」
「何がって……ひでぇ顔してるぞ」
ひどい顔、ひどい顔って……真も充さんも何なのよ!
ただでさえ不機嫌な私は、ますます機嫌を損ねた。
「寝不足なだけです! それよりも——」
私は充さんに蒼からの情報を伝えた。
「あのお嬢様……なかなかの情報通だったってわけか」
話し終えると、充さんが難しい顔をして言った。
「で、お前のその顔か……」
「私の顔は関係ないでしょう!」
「いや、冗談抜きで。お前自分がどんな顔してるかわかってないのか? そんな殺気むき出しで宮内に会うなよ」
え……?
「そんなんで明日のパーティー、大丈夫かよ。今のお前の形相じゃ、お嬢様を見るなり喉笛に噛みつきそうだぞ」
そんなにひどい?
私は自分の頬に手を当てた。
「獣じゃあるまいし——」
「いや、獣そのものって顔だよ。嫉妬に狂った『メス』の顔」
嫉妬に狂った……。
私は痛みを感じるほど強く、歯を噛み合わせた。
今は私情を挟んでいる場合じゃない。
「それより、社長の仲間に心当たりはありますか?」
「ああ……」
充さんは迷いなく三名を挙げた。
T&N観光専務、大河内豊。
T&N観光営業部長、内藤仁。
T&N開発常務、柿崎良平。
「この三人は内藤社長の口利きで入社している。社長がT&Nに入る前からの付き合いのようだ。三人とも取締役で株保有者だ」
私はメモを取り、侑にメッセージで同じ内容を伝えた。
「充さんは……内藤社長のことを伯父さんとは呼ばないんですね?」
私は前から気になっていたことを聞いた。
「ん?」
「いえ、蒼は『広正伯父さん』と呼ぶので……」
「ああ」と言った充さんの表情が曇る。
「今の情報といい、今回の事件以前にも何かあったんですか?」
「まぁ、座れ」と促されて、私は応接用ソファに座った。
充さんもデスクから移動し、上座に座った。
「内藤社長について、蒼から何か聞いているか?」
「会長のお姉さまとの結婚は内藤社長の本意ではなかったと……」
「そうだ。伯母は社長と結婚する前に一度結婚していた。俺が生まれた頃にご主人を事故で亡くしている。それから数年、伯母はショックで自宅に引きこもっていたと聞く。だが、俺を生んだばかりの母が体調を崩して入院していた時、俺の世話をしてくれていたんだ。伯母が社長と結婚するまで、俺にとっては母親代わりだった」
伯母さまが内藤社長と結婚した時期と、お母さまが亡くなられた時期って、同じ頃じゃ——。
ふと、そう思った。
「伯母と結婚する前、社長は実家の旅行会社の二代目社長をしていた。だが、ツアー先でバスが事故を起こし、死者を出してしまった。事故自体は保険で処理出来たらしいが、信用を失った会社は瞬く間に傾いた。詳しい経緯はわからないが、資金繰りに困った社長が親父を頼り、親父は伯母との結婚を条件に社長の旅行会社を吸収合併し、T&N観光を立ち上げた」
「どうして会長はお姉さまと内藤社長を?」
「内藤社長が亡くなった伯母のご主人に似ていたんだそうだ」
「そんな……」
「社長に同情しなくもないが、親父の引け目につけ入って、社長はこれまでも散々会社を食い物にしてきた。俺が観光に入ったのは伯母の願いからだ。社長が悪事を働くようなことがあれば、会社を守って欲しいと……」
「伯母さまは……」と言いかけて、私は迷った。
私の迷いを察して、充さんが先を続けた。
「知っているかもしれないな」
部屋の外が騒がしくなった。明日のパーティーの準備に、秘書室が駆り出されているのだろう。
「社長の隠し子まではわからないが、愛人の存在は知っているかもしれない。仲間を集めて、T&Nを乗っ取ろうとしていることも」
伯母さまはすべて知っているのではないだろうか……。
漠然と、そんな気がした。
「これまでにも親父に取って替わろうとしたことがあった。今回ほどのことではなかったから俺の方で妨害してきたが」
「充さんが和泉社長を糾弾するように仕向けたのは、内藤社長?」
「ああ……」
だから、取締役会以降は動かなかったのか……。
「社長は、本当は俺を取り込もうとしたんだよ。だから、早々に副社長の椅子を与えた。けど、俺は歯向かった」
「充さんは……」と言いかけて、私はまた迷った。
そして、言葉を飲み込んだ。
聞いても、どうすることも出来ない……。
「副社長、会議の十五分前です。遅れないでくださいね」
私は副社長室を出た。
秘書室に戻ると、タイミングの悪いことに宮内が一人でいた。
いや、タイミングが良かったのかもしれない。蒼や充さんが何て言っても、私は宮内に興味があったし、二人で話してみたいと思っていた。
「お疲れ様です」と、私は挨拶をした。
「お疲れ様です」と、宮内が挨拶を返す。
宮内のデスクは私の向かい側で、二席隣。
私は自分のデスクに座り、スリープモードのパソコンを目覚めさせた。
ディスプレイに現れたのは、見慣れたトップ画面ではなく、雪の結晶がくるくると回る映像。
ウイルスだ。
宮内の仕業なのは明らかで、宮内が私の反応を眺めていることもわかっていたが、私はディスプレイから目を逸らさずにキーボードを数回叩いた。
パソコンが唸り声を上げて、再起動を始める。
「お見事」と、宮内が嬉しそうに言った。
「どうも」と、私は無表情で言う。
「お父さまは会議室に向かわれましたか?」
「さぁ? 父には母がついていますから」
隠す気はない……か。
パソコンが正常に再起動したことを確認して、私は宮内を見た。宮内も私を見ていた。楽しそうに。
「時間もないし、単刀直入に聞くけど……」
「はい?」
「目的は?」
「本当に、単刀直入ですね?」
「そう言ったでしょう?」
宮内は眼鏡を外してデスクに置いた。伊達眼鏡だろう。眼鏡を外した宮内は、掛けている時よりも若く見えた。
「一、T&Nの乗っ取り。二、T&Nの崩壊。三、成瀬咲」
宮内はニッコリ笑った。
「どれだと思います?」
「その三つに正解があるとは限らないでしょう?」
「ありますよ。それは約束します」
廊下で話し声が聞こえ、宮内が眼鏡を掛け直した。
「どれかわかったら教えてください」
そう言った宮内の表情は穏やかだったが、目は笑っていなかった。むしろ、敵意に満ちた、見るものを凍てつかせるような視線。
秘書室のドアが開き、女子社員が二人、疲れた顔で入って来た。