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ぽっと明かりが浮かび上がった。
瑠璃製のほやの色を受けた燭台は、夕日のような、紅色の光を漏らしている。
「いいね。これを灯すのを忘れないで」
あの人の声。
耳元でささやくあの声に負け、私は、言われるままに明かりを灯している。
だって……。
逢いたい……。もっと、もっと。
「ああ、だからこれで明かりを。いいね?」
あの人は約束した。
部屋の窓に、紅色の明かりが灯れば、忍んでこようと。
私の夫は、まだ七つ。男と言える歳ではない。
旧家の男子は、七つになったら嫁を娶る。どうやら、女手という、家の働き手を増やすことが目的のようだ。
でも、そうして習慣だからと、子供の元へ嫁がされる身にもなって欲しい。
しかも、幸か不幸か、夫に当たる子供は、当主だった。
昨年流行った病に、本来の主人であるべき両親は身罷り、七つの子供にこの家が託された。
そして、私は、裏方を取りまとめる女主人であれと、母屋の西側に離れを与えられ、座らされている。
何もしない事こそが、女主の仕事であるらしい。
威厳を保ち、働かなくとも良い。人も羨む生活は、実の所、退屈という以外なにものでもなく……。
そんなある日、屋敷に若い商人がやってきた。
垢抜けた雑貨品を売りに来た男と、下女を交えて退屈しのぎに、あれこれ話し込んでいるうち、向こうが誘いをかけてきた。
言葉巧みに客の気を引くのも、商売のうち。私もそれぐらいは知っている。
でも、分かっていても男には、惹かれるものがあった。
見栄えも悪くなかった。髪は今風に小さく結い上げ、汗染みひとつない衣を折り目正しく着こなしている。
畔道に囲まれるだけの田舎では、若い男というだけで十分魅力になりえた。
ついに、これが定めであったのだと思いこむほど、私は男と馴染んでしまう。
しかし、仮にも奥様と呼ばれる身。不義密通は極刑で、知れてしまえば男共々首が飛ぶ。
命が惜しいと案じた男は、珍しい紅色をした瑠璃のほやが付く燭台を用意した。
夜、部屋に明かりが灯っているだけでは、私が独りきりか判断が付かない。
でも。
窓に瑠璃の色を反射した、紅い灯火が浮かび上がっていれば、人払いはできていると、合図になる。
燭台は、異国で使われているものと聞かされた。
そんなもの、いったい、どうやって仕入れたのか。
きっと、贔屓先のご婦人からの、到来物だろう。
とてもそんな珍品を、仕入れられる商人には見えないから。
そのくせ、忍んでくる姿は堂に入っていて、肝を冷やさないのかと男に尋ねても、生返事が返ってくるばかり。
その余裕は、他の屋敷へも通っているからなのだろうか。
コツンと音がする。
窓枠に小石があたった。
今宵も、男は、私の知らせに答えてくれた。
「近頃、夜なべが過ぎておるようですが?」
学のない女主人では困ると、夫の爺やが、日がな一日、婦道とか言うものに、舌を振るっていた。
腰の曲がった年寄りと、顔を突き合わせ、書を紐解く。
これが、私にかろうじて与えられた仕事で、もちろん、喜べるものではない。
懇々と続く小言に似た、説法事は、若い頃は官吏だったと老人の自慢話に落ち着くだけ。
こんな見張りのごとくが、側にいては、息が詰まるどころか。
今日も、嫌味のひとつを述べてやろうと、重箱の隅をつつくように、私の行いに口を挟んできている。
夜なべが過ぎる?
それは、仕方ないこと。そうしなければ、あの人と、一緒にいられないもの。
「ええ。旦那様の晴れ着を仕立てているのです」
すかさず、貞女の振りをして、そらぞらしい事を私は言う。
嘘も板についてきた。
「晴れ着?」
と、爺やが、ぽつり。
続いて、落ちくぼんだ瞳を覆い隠す、灰色の眉がぴくりと動いた。
「旦那様は、もうすぐ、都へ旅立たれますから。そのお支度を」
「ああ。なるほど。それもよろしいでしょう」
嫁の自覚に目覚めたのかと、自分の教育の成果の表れを感じ取ったようで、爺やは、勝ち誇ったような、眼差しを送ってくれた。
七つの夫は、近く都へ旅立つ。
あちらにとどまり、見聞を広めるのだとか。
屋敷は、その出立の準備に目まぐるしく動いている。
もちろん、沸き立つ中にいようとも、私には、すべてが他人事。
ばからしい。
なぜ、夫と呼ばされている子供へ向けて、衣など。
しかし、衣は確かに仕立てている。
側仕えの下女に言いつけて。
私は、裁縫が得意ではない。だから、そんなこと誰がかってでるものか。
けれど、何もしなければ、前にいる年寄りが、気の利かない嫁であると言い放ち、皆の前で恥をかかせてくれるだろう。
そう思い、手を打ったのだ。
しかも。
明かりを灯す言い訳に使えるのだから、これ以上のことはない。
「なあ。お前の亭主はいつ出かけるんだい?」
いつものように明かりに導かれ、男はやってきた。ただし、忍び込み開口一番、そんな言葉を吐く。
「もうすぐよ」
肩に頬をよせて甘えてみるが、男は、微動だにせず。
「もうすぐって?だから、いつだ?」
何か急いているように言う、その口ぶりが鼻につく。
まさか、見送りにこようなど、馬鹿げたことを考えているのでは?
いい加減にして欲しい。まどろみの時にまで、屋敷の事情など持ち込まれたくはなかった。
せっかくの甘いひとときが台無しになるのに。
「……三日後だけど。どうして?」
「待ち遠しくてさ。こうして気兼ねなくいいことができるだろう?」
こちらの苛立ちをみてとったのか、男は、ふっと笑うと、やおら懐に手をねじ込んできて、私の機嫌をとろうと胸を揉みしだく。
その手慣れた動きが憎らしかった。
どうせ、よその女にも同じことをしているのだろう。
でも……確かに。
もうすぐ屋敷から、あの爺やを筆頭に男どもが消えうせる。
幼い主人を、屋敷の主に育て上げようと、都までぞろぞろとついて行く。実のところは、単なる物見遊山なのだけど。
残る者といえば、下働きの女たちと、年老いた下男ぐらいなもの。となると、あれこれ口を挟んでくることもない。
なにより、一度寝付いてしまえば多少のことでは、朝まで起きない。
そう……。私が何をしようとも。
もうすぐ。
もうすぐ。
気兼ねなく、この人と……。
定められていた通り、祭りの山車かと見まがうほどの列を作って一行は都へ旅立った。
村中の者が物珍しさから、幼い当主を見送りに来る始末で、屋敷は上へ下への大騒ぎ。
別れ際、夫は、私に向かって、この日のために仕立てた衣の礼を、子供らしからぬ言葉で述べてくれた。
最後まで、あの爺やの影がちらついたけれど、これで、すべてのしがらみから開放された。
──見送りのために纏った、晴れ着を脱ぎ捨て、一気に体が軽くなる。
開放感に浸りながら、私は、部屋の隅にある戸棚から、燭台を取り出した。
深紅色のほやは、特別に輝いて見えた。
なんだか、騒がしい。
聞き慣れない物音に、私は、はっと目を覚ました。
どうやら、うたた寝をしてしまったようだ。
部屋は、薄闇に覆われている。
もしかして、月が出てもおかしくない時刻なのだろうか。
それにしても。
外が異常に沸き立っている。
その騒がしさで目が覚めたのだけど、いったいどうしたというのだろう。
首をかしげる間もなく、母屋からは、次々と異常な音が響いてきた。
怒鳴り声と悲鳴が入り混じり、さらに、何かを蹴り倒すような音が被さっている。
これは……。
屋敷は、襲われている!
身の危険を感じたその時、窓枠をコツンと鳴らすわけでもなく、待ち人が部屋の扉を蹴破り、現れた。
「よお、待たせたな」
肩で息をしながら、それでも、弾んだ声色は、あの人のものなのに……。
現れた姿は、いつもと違いすぎていた。
小さく結い上げていた髪は下ろされ、くすんだ色合いの衣を纏い、折り目正しい身繕いはどこにもない。
胸元がだらしなく崩れている。
否。
袷の乱れは、争ったあとなのだろう。
その胸元から首筋に汚れが。
……返り血……。
男の頬にまで飛び散る鮮血が、自分のおろかさを突き付けてくる。
「お前さんのお陰で、仕事がはかどった」
男は笑った。
刹那、刃が振り下ろされ、私は自身が導いてしまったものを知った。