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管野アリオ
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瑠璃マリコ
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#大人ロマンス
桃下結衣
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遠くに見える山の頂はうっすらと雪に覆われ、ひんやりとした山の静寂が肌を包み込む。
口元まで引っ張り上げたマフラーの隙間から漏れる息は、手のひらで掴めそうなほどに白く、ゆっくりと澄んだ空気の中に溶け込んでいく。
「やっぱり、こっちは寒いな……」
……名古屋は桜の蕾が膨らみかけているのに、ここはまだ真冬みたい。
それに、空気も全然違う。空気って、こんなに美味しかったっけ?
バスから降りたばかりの私は、生まれ故郷の静かな景色を眺め、懐かしい冷気を胸いっぱいに吸い込んだ。
道沿いにある小さなバス停から、田畑が広がる方向へと歩いていく。
ぽつりぽつりと点在する古民家。鼻腔に届くのは、朝露で湿った土の匂い。
私は懐かしい友に再会したかのように、山に囲まれたその風景をしみじみと眺めやる。
「……亜紀ちゃん? あんた、亜紀ちゃん違うの?」
山鳥の囀りと共に聞こえてきたのは、風に溶け込むような優しい声。
微かに名を呼ばれた気がした私は、声の聞こえた畑の方へ顔を向けた。
視界に映ったのは、大根畑の中に立つ茶色いニット帽を被ったご老人。
「……ああっ! 松本のお爺ちゃん!」
声を掛けてきたのは、幼い頃によく遊んでくれた近所のご老人だった。
私は一瞬にして顔をほころばせ、喜びの声を上げた。
「おおっ、ほだほだ。やっぱり亜紀ちゃんだ。久しぶりだなぁ。おまんの母ちゃんから元気にしとるとは聞いとったが、ちっとも顔見せにこーへんで心配しとったぞ。元気でやっとったか?」
「……うん、ごめん。仕事が忙しくてなかなか帰れなくて……。元気でやってるよ。お爺ちゃんも元気そうで良かった」
私はお爺さんの言葉を聞いて何となく気まずくなり、笑顔の下に苦笑を隠す。
「ほうかほうか、亜紀ちゃんはお医者さんだで忙しいわな。よう来た、よう来た。お帰り」
「うん。お爺ちゃん、ただいま」
懐かしい方言で私を迎え入れてくれる、幼い私を可愛がってくれたお爺さん。その笑顔を見て、自然と柔らかな笑みがこぼれた。
「今からざいしょに帰るんなら、これ持ってけ。母ちゃんに鍋でも作ってもらえ」
そう言って、お爺さんは足元に置かれた採れたての白菜と大根を持ち上げ、軍手をはめた手で野菜の土を払う。
「うわ~、立派な大根と白菜。お鍋に入れたら美味しそう~っ!」
「ほーだ、旨いに決まっとる。都会のスーパーで売っとる野菜とは違うで。……あ、高級な服が汚れてしまうな。なんか入れる袋は……」
まだ土が薄くこびり付いた野菜を抱える私。
お爺さんは私の着ているクリーム色のコートに目をやり、ハッとした様子で慌てて辺りを見渡す。
「ああ、いいのいいの。服なんて。それより、今夜は泊まっていくから。後でまた顔出すよ。お婆ちゃんにも会いたいし」
「ほうか。婆さんも亜紀ちゃんに会いたがっとったで。わしん家にも寄っとくれ」
「うんっ。じゃあ、お母さんが待ってるから行くね」
一泊分の着替えを入れたバッグを肩に掛け、大きな大根と白菜を抱えた私は、無邪気な子供に戻ったような顔をして、野菜畑に囲まれた細道へ再び足を向けた。
緩い坂を上り、田畑から少し離れた場所に数軒並ぶ民家の一番手前。南天の木に囲まれた木造平屋建ての古い民家が、私の生まれ育った家。
垣根の役目を担う、真っ赤に染まった南天の葉に触れ、その場で立ち止まった。
もしかしたら、お兄ちゃんがいるかもしれない。もう15年以上会っていないのに……
どんな顔をして会えばいい? どんな会話をしたら……
それに、お母さんにもどうやって借金と離婚の話を切り出せば……
実家を目の前にして、今更ながらに尻込みしそうになる。
「……」
緊張で、野菜を抱えた胸がドキドキする。
まだ数十歩先にある玄関の扉を見つめ、心を落ち着かせようと深く息を吸い込んだ。――と、その時。
「……亜紀? そんな所で立ち止まって、何しとるの?」
「ひゃっ!?」
不意を突かれ、肩を跳ね上げる私。
「お、お母さん。……ただいま」
「お帰り、亜紀。今ね、賢三おじさんの所からキジ肉お裾分けしてもらってきたよ。今夜はキジ鍋やるでねっ」
目を皿のようにする私を気にも留めず、母はラップの掛かったお皿を私に見せてニッコリ笑った。
「あれ。その野菜どうしたの」
母はキジ肉が載った皿を引っ込め、私の胸元に視線を移した。
「あ、うん。これね、下の畑で松本のお爺ちゃんにもらったの。お鍋に入れたらいいって」
「松本さんに? ほんなら、ちょうど良かった。こっちは名古屋より寒いでしょ? 風邪ひいたらいかんで、はよ中に入ろ」
母はそう言って目尻にしわを刻み、私の背中をさすりながら玄関へと促した。
玄関に足を踏み入れると、昔懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。
古い木の匂いに混じるお線香の香り。
床板に体重を乗せるたび、ギシギシと木材の軋む小さな音が聞こえてくる。
和室の居間にバッグを下ろし、野菜を抱えた私はキッチンに向かった母の後を追う。
「お腹は空いとらん? おはぎあるけど食べる?」
母は冷蔵庫を開け、手にした皿を中に入れながらテーブルの上に目配せする。
促されて向けた視線の先には、大きな真ん丸のおはぎが六つ、皿の中でひしめき合うように並べられている。
「わぁ、お母さんが作ったおはぎだね。あんこたっぷりで美味しそう。野菜はどこへ置く? 流し台でいいかな」
「いいよ、流し台に置いといて。……あ、コートが汚れて。えらい高価なものじゃないのかい? 母さんが後で染み抜きしてあげるから」
コートの胸元に付いた土を見て、母が慌てて布巾を手にする。
「ははっ、松本のお爺ちゃんと同じ反応だ。高価なコートじゃないから大丈夫。後で自分で綺麗にするよ」
「……ほうか?」
下手に触っていいものかどうか迷うように、母は遠慮がちに布巾で土を払う。
「うん、大丈夫。私、お父さんにただいまの挨拶してくるね」
母の手から布巾を受け取り、コートを脱ぎながら微笑みを浮かべる。
「ほうだね、久しぶりにお父さんと話しといで。母さんはお茶淹れとくから」
そう言って、小柄な私よりもさらに小さな母は、半年前に食事をしたあの時よりも少し痩せたように見える頬を緩ませた。
「ただいま、お父さん。ごめんね、しばらく帰らずに……」
お線香に火をつけて手を合わせ、写真の中で笑う父の顔をじっと見つめる。
一番奥の和室にある、父のお仏壇。
この部屋でこうして父の写真を見るたび、父が亡くなった18年前のあの吹雪の夜を思い出す。
「……過労死。お父さん、近所の人たちが言ってた言葉は本当だったんだね……」
会社存続のために多額の借金を抱え、その責任を一人で背負って。会社に殺されたようなものだって……
「……お兄ちゃんも家族を守るためにこの家を出たのに。それなのに、私だけ何も知らなくて……意気揚々と一人で贅沢な暮らしをして。ごめん、お父さん……薄情な娘で本当にごめんね……」
言葉数は少なくても、いつも優しかった父。
あの頃のまま時を止めてしまった父の顔が、涙で滲む。
親から離れて初めて気づくこと。
親を亡くして初めて気づくこと。
それはどれも、もう二度と元には戻らないものばかりで……
「……今度は、私がお兄ちゃんと一緒に守らなきゃ」
――お母さんと、この家を。
頬を伝う雫を手で拭い、父を真っ直ぐに見つめ、涙を堪えるように唇を引き結んだ。
「亜紀? お父さんとの話は終わった? 終わったらこっち座り。お茶入ったから」
私の背中に届いた母の声。
「……うん、今行くね」
私は母に涙を気づかれまいとして、慌てて顔を上げ、強いて明るい声で返事をした。
コメント
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みぅです🤍🥀 「帰省(2)」、読ませてもらいました。 地元の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む冒頭から、もう惹き込まれました。「空気って、こんなに美味しかったっけ?」って、私も田舎に帰った時、同じこと思った気がする。 松本のお爺ちゃんの「ほだほだ」、方言めっちゃ温かいですね。野菜抱えて「高級な服が汚れてしまうな」って気にする優しさ、刺さりました。 最後、お父さんの仏壇の前で「今度は私が守らなきゃ」って決意する亜紀ちゃん……涙、気づかれないようにして強い声出そうとする姿、すごく胸が詰まりました。 「死んでから気づくこと」って、戻れないものばかりで、本当に重いですよね。 久しぶりの帰省から、何かが変わり始める予感がします。続き、読みたいです。